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戦争と歴史に関するcinefukのブックマーク (240)

  • 昭和天皇の終戦史 - 岩波書店

    cinefuk
    cinefuk 2024/01/15
    "戦争責任ははたして軍部だけにあったのか? 天皇と側近たちの「国体護持」のシナリオとは何であったか? 近年,社会的反響を呼んだ「昭和天皇独白録」を徹底的に検証し"(吉田裕、1992)
  • 旧日本軍開発「風船爆弾」 基地についての調査資料見つかる | NHK

    太平洋戦争末期に旧日軍が開発した「風船爆弾」の攻撃拠点となった基地について、旧厚生省が調査した資料が残されていたことが分かりました。基地の詳細な設置計画などのほか、戦後、基地があった土地の原状回復を求めて地元の住民らが国に陳情を行っていた経緯などが明らかになりました。 「風船爆弾」は、戦況が悪化する中、旧日軍がアメリカ土を直接攻撃しようと開発した兵器で、3か所の基地から放たれたおよそ9000個のうち300個ほどがアメリカに到達し民間人が犠牲になったとされています。 作戦に関連する資料は終戦時に処分が命じられたため、詳細な記録は残されていないとされていましたが、明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が国立公文書館に保管されていた文書を調査したところ、茨城県の大津基地について旧厚生省が調査した資料が見つかりました。 資料は、基地があった土地がどのように使用されてきたかをまとめたもので

    旧日本軍開発「風船爆弾」 基地についての調査資料見つかる | NHK
    cinefuk
    cinefuk 2023/12/18
    銃剣を突き付けて土地収用、何処にも同様の逸話がある。"茨城県の大津基地。1944年8月に、およそ70人の土地所有者から27万坪の土地を借り上げた記録や、風船を放つ20か所以上の「放球陣地」などが記された配置計画図"
  • 「原爆はなぜ日本に落とされたか」というテーマでマンガを描いてみた

    2023年10月30日〜11月7日にかけてツイート連載(ポスト連載)したマンガのセルフまとめです。 多少詳しい方ならすでにご存知の話だと思いますが、自分の論点を整理する事とあえてマンガで語る事にも意義があると思い、書き起こしました。 なかせよしみ @11月3日の第23回いっせい配信「創作同人2023年11月」にて新刊の電子書籍を配信 @yosimin また少し、自分が物事をどう考えているかをまとめたマンガを作成しました。 今回のテーマは… 「原爆はなぜ日に落とされたか」 その1 「ただの理由」と「正当な理由」(1/2) まずは、話の前提を少し整理 #漫画が読めるハッシュタグ #戦争 #哲学 pic.twitter.com/PwTZmECn3f 2023-10-30 08:24:38

    「原爆はなぜ日本に落とされたか」というテーマでマンガを描いてみた
  • 戦時中に作られた謎の石碑? 「国威宣揚(こくいせんよう)碑」の余生が興味深い - 足跡を辿る

    散歩をしていると「国威宣揚」と書かれた石碑を見つけた。普通こういうのには解説があるものなのに、立て札もなくそこにたたずんでいる。一体何者なんだろう。 調べて見えてきたのは、それぞれ違った余生をけなげにすごしている彼らの姿だった。 街かどの異物 慣れた場所を歩くとき、いつもと一ずれた道を選ぶのが好きだ。曲がった先で変なものを見つけると、自分だけの秘密基地を見つけたような少年時代に戻った気持ちになる。 ある日、いつも歩いている道をなんとなく左に曲がった。思わず頭の中の少年が歓声を上げた。 謎の石碑がコンチニハ。(中野3丁目) あまりに自然に違和感が立っている。思わず歩調が速くなった。 「国威宣揚」ってなんだろう。 こういうものには解説の看板がつきものだ。でも、見渡しても目に入るのは自転車とゴミ回収のお知らせだけ。ほほう、これは謎の香りがするぞ。 もうちょっと詳しく見てみよう。 側面には作られ

    戦時中に作られた謎の石碑? 「国威宣揚(こくいせんよう)碑」の余生が興味深い - 足跡を辿る
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/02
    文字をノミかグラインダーで削り落とされた「国威宣揚」の痕跡が残る石碑に、戦中〜戦後の価値変容を考える
  • 三幸貿易公式 on Twitter: "(・~・ ).。oO(インドネシアで何度も言われた事 「ここは日本が支配(統治)していた事があるんですよ。日本人は知らないんですよね」 「日本人は学校で習わないから、みんな知らないって言われましたよ」 これ、本当に言っている日本人… https://t.co/LGlH3kS2IA"

    (・~・ ).。oO(インドネシアで何度も言われた事 「ここは日が支配(統治)していた事があるんですよ。日人は知らないんですよね」 「日人は学校で習わないから、みんな知らないって言われましたよ」 これ、当に言っている日人… https://t.co/LGlH3kS2IA

    三幸貿易公式 on Twitter: "(・~・ ).。oO(インドネシアで何度も言われた事 「ここは日本が支配(統治)していた事があるんですよ。日本人は知らないんですよね」 「日本人は学校で習わないから、みんな知らないって言われましたよ」 これ、本当に言っている日本人… https://t.co/LGlH3kS2IA"
    cinefuk
    cinefuk 2023/02/20
    本土と沖縄との温度差がそれなんだな>"マルティア @M4rtyr_Al 訪れた日本人にそういう事を言うのはインドネシア人にとっては普通なんでしょうか?日本に来たアメリカ人に原爆の歴史について尋ねようとは僕は思わないし"
  • 飴308@2㌔マン on Twitter: "先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。"

    先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。

    飴308@2㌔マン on Twitter: "先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。"
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    cinefuk 2023/02/16
    "国境側の古屯という所に住んでて、終戦間際の日、家に帰ると母親が血相を変えて「ソ連が攻めてくる」とパンパンに詰まったリュックを兄弟姉妹一つづつ渡された。家のそばにあった憲兵隊の建物も騒がしくなってて"
  • 戦争放棄と赤穂浪士討ち入りの矛盾について

    日12月14日は赤穂浪士達が討ち入りを果たした忠臣蔵の日である。 今年8月の終戦の日には戦争放棄と不戦の誓いの思いを強くしたのに、そのわずか4ヶ月後には赤穂浪士達が忠義や武士道を貫いたことが賞賛されている。 私が終戦の日も忠臣蔵もどちらも信用できない最大の理由がここにある。 日人として気で不戦の誓いを新たにするのであれば、忠臣蔵を美化するわけにはいかないのではないか。 忠義や武士道に殉じた赤穂浪士を美化するのではなく、一人の老人を私刑にしたテロリスト達として扱わなければ整合性が取れない。 日人は誰も戦争を放棄する気なんか全くないのではないか? あるいは戦争放棄するのは太平洋戦争だけで、忠臣蔵と明治維新と日清・日露戦争と第一次世界大戦は戦争放棄しない、ということにしているのではないか? いや、不戦の誓いを持つならば、全ての戦争を放棄しろよ、赤穂浪士はテロ集団に指定しろよ。

    戦争放棄と赤穂浪士討ち入りの矛盾について
  • 「社会政策」としての殺戮|『ブラッドランド』刊行記念|大木 毅|webちくま

    ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト三国。西欧諸国とロシアに挟まれたこの地で起きた人類史上最悪のジェノサイド。旧ソ連体制下で歪曲・隠蔽されてきた事実を掘り起こし、殺戮の全貌を初めて明らかにした歴史ノンフィクションがついに学芸文庫に入った。今日の世界で『ブラッドランド』をどう読むべきか? 文庫化を機に、岩波新書『独ソ戦』の著者である現代史家・大木毅氏に特別寄稿をいただいた。 早いもので、もう四十年近く前になる。筆者は、大学院の演習で、今日に至るまで大きな影響を受けることになった論文に出会った。シカゴ大学教授(現同大名誉教授)だったミヒャエル・ガイヤーによる「社会政策としての戦争」(Michael Geyer, Krieg als Gesellschaftspolitik. Anmerkungen zu neueren Arbeiten über das Dritte Reich im

    「社会政策」としての殺戮|『ブラッドランド』刊行記念|大木 毅|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2022/11/10
    "戦争の「社会政策」とは、Gesellschaftspolitik という言葉を使っていることからも、福祉など、社会問題を解決するための公共政策を意味する社会政策(Sozialpolitik)ではない。あるいは「社会改編・構築政策」ぐらいに"
  • 最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web

     太平洋戦争の敗戦直後、太平洋中西部に浮かぶサンゴの島・オーシャン島で日兵が行った住民虐殺について、元日兵が書き残していた手記を紙が入手した。これまで、虐殺事件の具体的経緯は不明な部分もあったが、上官の命令を受け自分が銃を撃つまでの一部始終を苦悩とともにつづっている。専門家は「太平洋地域で起きた紛れもない事実。ただ、この分野の研究者は少なく、一般的にはほとんど知られていない。大変貴重な資料だ」と語る。(山哲正)

    最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web
    cinefuk
    cinefuk 2022/10/13
    "1945年8月、敗戦を迎えて3、4日たった頃。思いも掛けない命令が小隊長から下る。「全島民を今から処分する」「コメを盗んだと理由をつけて後ろ手に縛り、海岸に連行してただちに射殺」この命令で約160人が殺害された"
  • インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集

    太平洋戦争で日軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日軍の指導者の根的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)

    インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集
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    cinefuk 2022/09/01
    「日本軍は、計画がうまくいっている間は、アリのように非情で大胆である。しかし、その計画が狂うと、アリのように混乱し、立て直しに手間取って、元の計画にいつまでもしがみつくのが常であった」(William Joseph Slim)
  • 日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞

    1939年、日中戦争の従軍中に撮影された小林太郎氏の写真(8月8日、京都市北区・立命館大国際平和ミュージアム) 日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に籍があり、前年に日大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、

    日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞
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    cinefuk 2022/08/15
    "日記で目に付くのは、中国兵や民間人の命を奪う際の記述に感情がこもっていないことだ。「兵は刀にて頭を切る 土民(農民)は銃殺 女は逃す」「5名の連長及将校を捕す これはしらべても何も言はぬので殺す」"
  • 史上最悪の証拠隠滅犯の死 - 読む・考える・書く

    11月25日、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が死去した。90歳。20世紀の歴史を作ってきた人物がまた一人この世を去った。 朝日新聞(11/26): フィデル・カストロ氏死去 キューバ前議長、90歳 キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日午後10時29分(日時間26日午後0時29分)、死去した。90歳だった。弟のラウル・カストロ現議長が国営テレビで伝えた。2008年2月に議長職を辞任して以降も、指導部と国民に影響力を与え続けた「革命の英雄」の死去は、国民に深い喪失感を与えそうだ。 ラウル議長は25日深夜、国営テレビで「キューバのいとしい国民よ。深い悲しみとともに、革命の総司令官フィデル・カストロが死んだと伝える」などと語った。人の遺志で遺体は火葬にするという。(略) 一方日では16日、奥野誠亮(元内務官僚・衆院議員・文相・法相)が死んだ。103歳だという。よ

    史上最悪の証拠隠滅犯の死 - 読む・考える・書く
    cinefuk
    cinefuk 2022/08/04
    "中国、満州でも書類焼きまくった。特に東條内閣機密費や関東軍謀略の原資となったアヘン。朝鮮総督府では敗戦直後に一週間もかけて、念入りに証拠文書が燃やされている。「犯罪者を出さないため」犯罪行為の隠滅"
  • 【定遠館】太宰府天満宮近くにある清国の軍艦の部材で造った館 | 太宰府魅力発見塾

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    cinefuk 2022/06/20
    "ボートのオールが縁側の下の部材と使用されていたり、玄関口には装飾品として使用されているものもあります。また、駐車場の門扉は #定遠 の装甲鉄板を使っており、海戦時の砲弾が炸裂した痕が残ったまま"
  • 「特攻に異議」信念を貫いた芙蓉部隊 今に伝えるメッセージ | NHK | WEB特集

    「精神力一点ばかりのカラ念仏では心から勇んで立つことは出来ません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい」 太平洋戦争の末期。全機特攻の方針が示された作戦会議で、末席から異議を唱えた将校がいました。 「芙蓉(ふよう)部隊」と呼ばれる航空隊の隊長、美濃部正少佐。当時29歳でした。 芙蓉部隊とはどんな部隊だったのか? そして部隊を率いた美濃部はどのような人物だったのでしょうか? (鹿児島放送局記者 西崎奈央) 取材を始めたきっかけは、鹿児島県曽於市の岩川地区に「芙蓉部隊」の展示室が完成したというニュースを見たことでした。 軍の命令に逆らうことが困難だった太平洋戦争末期に、特攻に異議を唱えた部隊だというのです。 その存在を初めて知って驚いた私は、すぐに芙蓉部隊の歴史を語り継ぐ活動を行っている「芙蓉会」に電話をしていました。 芙蓉会のメンバーの前田孝子さん(76)さんは、当時記者2年目だっ

    「特攻に異議」信念を貫いた芙蓉部隊 今に伝えるメッセージ | NHK | WEB特集
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    cinefuk 2022/05/27
    「美濃部さんは、搭乗員が1人でも帰ってこないと非常に肩を落としますよ。必ず滑走路の一番最後のとこに軍服を着て、戦闘態勢の中だから椅子に腰かけて、全機帰ってくるのを待っているわけですよ。その表情たるや」
  • 日清戦争と日露戦争の事業収支報告書 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    断捨離の途中で、いまやウクライナ侵攻の話題で大活躍しているポール・ポースト『戦争経済学』の解説で使った、日清戦争と日露戦争の収支報告書が出てきました。 戦争経済学 作者:ポール・ポーストバジリコAmazon パブリックドメインだし、ぼく一人が持っていてもしょうがないので公開。ご活用ください。 Expenditures of the Sino-Japanese War (1922) Expenditures of the Russo-Japanese War (1923) どちらも、実にしっかり書けているし、英語も見事だなあ。このシリーズで出ているらしい他のやつもおもしろそう。 これを書いたオノ・ギイチとかオガワ・ゴウタロウ京都大学教授とか、有名なのかもしれないけれど、ぼくはよく知らない。田中秀臣氏あたりに聞くと何か出てくるのかな? なお、この手の内容を日語で詳しく読みたい人はこちらを

    日清戦争と日露戦争の事業収支報告書 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 「ウクライナ」を創るプーチン

    ウクライナ」とは何か 第二次世界大戦中のウクライナはヒトラーとスターリンの狭間で生きなくてはならなかったが、キエフの大祖国戦争史国立博物館を訪れると、ソ連時代の展示がそのまま継承されているかのようだった(同博物館の巨大な立像、盾にはソ連のマークが刻まれている、2014年3月撮影) Konstantin Grishin-REUTERS ゴーゴリ、ニジンスキー、ホロヴィッツ、そして大鵬と聞いて、共通項がロシアというよりもウクライナだと思う人は多くないだろう。もっとも作家のゴーゴリはウクライナに生まれたことは間違いないが、当時ウクライナは帝政ロシアの一部。ゴーゴリ自身もサンクトペテルブルクに移り、ロシア語で作品を執筆した。ロシアバレエ団で活躍したニジンスキーもキエフ生まれだが、両親ともポーランド人である。現在のウクライナ領西部は一四世紀以降ポーランドやリトアニア領で、その後ハプスブルク帝国の領

    「ウクライナ」を創るプーチン
    cinefuk
    cinefuk 2022/03/28
    ロシアと並び「ソ連文化」を為してきたウクライナに、統一的な民族意識を見出すのは難しいが、プーチンによる抑圧がそれを創るのでは?という田所昌幸(慶應法学部教授)氏の2015年の記事。現在の状況の答え合わせ感
  • Scan0001

    cinefuk
    cinefuk 2022/03/23
    ヘッセ「おお友よ,そのような調子をやめよ!」(1914)
  • まんがでわかるまんがの描き方

    「お気に入り」機能を使うにはログイン(又は無料ユーザー登録)が必要です。 作品をお気に入り登録すると、新しい話が公開された時などに更新情報等をメールで受け取ることができます。 詳しくは【ログイン/ユーザー登録でできること】をご覧ください。

    まんがでわかるまんがの描き方
  • タラ戦争 - Wikipedia

    タラ戦争(たらせんそう、英語: Cod Wars、アイスランド語: Þorskastríðin)は、1958年から1976年にかけて起きた、アイスランドと主にイギリスとの間の一連の紛争のことである。アイスランドが主張する漁業専管水域における漁業権を争った。当該漁場の主たる海産物がタラであったため、この名が付いた。 この戦争がもとで、現在の排他的経済水域が設定された。 イギリス料理の代名詞フィッシュ&チップス。主にタラなどの白身魚が使われている。 概要[編集] タラ戦争はアイスランドが領海の拡大を宣言することから始まった。イギリス海軍は軍艦を出動させ、アイスランドの沿岸警備隊と互いに砲撃、体当たり攻撃といった激しい衝突を起こし、一時は国交断絶にまで至った。冷戦の英語名 Cold War をもじった Cod War という呼称が流布されたため、日語でもその翻訳であるタラ戦争という呼び名が用い

    タラ戦争 - Wikipedia
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    cinefuk 2022/01/10
    「第一次:1958年、アイスランドは自国の領海を4海里から12海里へと拡大する新法を制定。これに対しイギリスは軍艦を派遣して操業を継続」「第二次:1972年、漁業専管水域を50海里へと拡大」「第三次:1975年、200海里へ」
  • https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/1476909622821027840

    https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/1476909622821027840
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    cinefuk 2022/01/02
    こういった歴史認識の人にとって、戦争はハワイ攻撃から始まったつもりでいるのかな。それだとなんで石油禁輸されたのか理解できないから「日本を滅亡させる目的のユダヤ議定書」みたいな陰謀論に飛びつきがち