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産経新聞とわだつみの国語りに関するkanoetatsuのブックマーク (19)

  • 【わたつみの国語り 第4部】(6)戦後の漁村伝道 神仏の荒波にもまれた「教会船」

    それは海に浮かぶ教会だった。ブリッジに十字架を掲げた「真光丸(しんこうまる)」は、船内に約60人収容の礼拝堂があった。昭和37年から約14年間、大阪・泉佐野を拠点に大阪湾周辺の漁港を巡ったキリスト教伝道船である。 「真光丸が来ています。集会に参加してください」 キリスト教伝道船「真光丸」船内の礼拝堂で伝道師の話に耳を傾ける子供たち=昭和39年(中村栄志さん提供) 大阪南部、淡路島、和歌山北部、ときには三重や小豆島にも遠征した。寄港地では夕方に子供、夜は大人向けの集会を開いた。着岸すると乗組員らはハンドマイクを手に歩いて参加を呼びかける。子供たちは「キリストのオッチャンが来た」とついて歩いた。 「クリスマスは階段まで椅子にしたほどで、船が沈みこんで心配しました」 乗船伝道師だった中村栄志さん(79)=大阪府阪南市=は、懐かしそうに当時を振り返った。

    【わたつみの国語り 第4部】(6)戦後の漁村伝道 神仏の荒波にもまれた「教会船」
  • 【わたつみの国語り 第4部】(5)明治のキリシタン弾圧 文豪・森鷗外が小説に残した新政府批判

    ことし没後100年を迎えた森鷗外が生涯、沈黙を通したことがある。出身の津和野藩で明治初年、37人のキリシタンが命を落としたとされる事件だ。文豪は故郷の汚名に頰かむりしたのだろうか。手がかりを求め、津和野に向かった。 島根県の西端、中国山地の小さな盆地に着いた。ここにあった4万3千石の外様藩は教育熱心であった。国学や儒学を教えた藩校は、鷗外や思想家の西周(あまね)ら優れた人材を輩出した。 三尺牢に閉じ込められ聖母マリアに励まされたという安太郎を再現した造形=島根県津和野町沢沿いの小道を10分ほど上ると緑の中に聖堂が現れ、付近は広場になっていた。乙女峠だ。斜面の木立に聖母マリア像が立ち、その足元に奇妙な造形が置かれていた。約1メートル四方の檻の中で褌裸の男が座り、マリアを見上げている。 「三尺牢です。明治2年に殉教した安太郎という29歳の青年が、毎夜マリアの姿を見て励まされたという逸話を示した

    【わたつみの国語り 第4部】(5)明治のキリシタン弾圧 文豪・森鷗外が小説に残した新政府批判
  • 【わたつみの国語り 第4部】(3)信じるか否か キリスト教が生み出す虚構の世界

    9月上旬、台風11号の接近で不穏な空模様のなか、長崎県平戸市春日町を訪ねた。平戸島の西岸にある小さな集落だ。寺田一男さん(72)が、子供のころの祖父との思い出を語る。 「毎年正月、中江ノ島が見えるところで、延々とお祈りをするのに連れて行かれました。大事な信仰だと思うがとにかく寒かった」 中江ノ島は集落の近くに浮かぶ無人の小島だ。江戸時代初期に棄教を拒んだ多くのキリシタンが処刑され、信者から聖地とされてきた。かくれキリシタンの熱心な信者だった祖父は、オラショと呼ばれる祈りを唱えていたのだ。春日と中江ノ島は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に含まれている。 中江ノ島の写真を手に祖父の思い出を話す寺田一男さん=長崎県平戸市中江ノ島で処刑されたヨハネ次郎右衛門は島に向かう船で、こう語ったと伝わる。「ここから天国は、もうそう遠くない」。命を捨てるほどの信仰とはどんなものか、想像することはと

    【わたつみの国語り 第4部】(3)信じるか否か キリスト教が生み出す虚構の世界
  • 【わたつみの国語り 第4部】(2)キリスト教と日本人 宗教2世・遠藤周作が抱いた違和感

    遠藤周作氏(平成2年撮影)「この岩の下に隠れてオラショ(祈りの言葉)を、伝えていたそうです」 巨岩が雑木林の斜面に横たわっていた。先祖が潜伏キリシタンだった元高校教師、松川隆治さん(82)が指をさす。潜伏キリシタンを導いた宣教師が身を隠していたとの伝承がある長崎市黒崎地区。遠藤周作の代表作「沈黙」(昭和41年発表)の舞台である。 「沈黙」は激しい弾圧が行われた江戸時代初期、命がけで潜入してきた宣教師を描く。カトリックの信仰には、神との橋渡しをする聖職者が必要だった。告解ができると信者は喜ぶが、新たな受難の始まりでもあった。取り締まる奉行側は宣教師の「ころび」を促すため、一般信者を拷問にかける見せしめまで行う。 小説は史実を伝えるような体裁で、作家の強い問題意識を割り込ませている。 遠藤は宣教師と言葉をかわす役人に「そこもとのために、あの者らがどげんに苦しむことか」と言わせた。通辞役の侍は「

    【わたつみの国語り 第4部】(2)キリスト教と日本人 宗教2世・遠藤周作が抱いた違和感
  • 【わたつみの国語り 第4部】(1)海を越えたキリスト教 高山右近と「隠れキリシタンの里」

    海と日人の関わりを探る「わたつみの国語り」。第4部はキリスト教伝来を考える。西洋文明の核心といえるキリスト教は突如、海を越えてやってきた。キリスト教と日人について、ゆかりの土地や人を訪ね、考えた。 山林と棚田が美しい。曲がりくねった細い道をたどると「茨木市立キリシタン遺物史料館」(大阪府茨木市千提寺(せんだいじ))という小さな建物があった。照明を抑えた展示室に「聖フランシスコ・ザビエル像」(複製)がかかっていた。胸の前で両手を交差させ、ひげをたくわえたなじみの絵だ。 ハート形の心臓が体外に飛び出すという、独特の宗教的な表現をしている。 「ザビエルが祈りをささげると心臓が熱くなるほど神の愛を感じた。信仰心の強さを、燃え上がる心臓で表現しているのです」 教会関係者が絵の意味をそう説明したことを思い出す。ダグラス・マッカーサー、マシュー・ペリーと並び日史上最も著名な外国人であるザビエルの肖

    【わたつみの国語り 第4部】(1)海を越えたキリスト教 高山右近と「隠れキリシタンの里」
  • 【わたつみの国語り 第3部】(4)海の男に脈打つ プライドと義侠心

    (3)麻から木綿へ「衣料改革」が生んだ産業としてのイワシ漁 大阪からJRで南下する。海南駅を過ぎて和歌浦湾が広がると間もなく、小さな港を抱く家並みが右下に見える。和歌山県海南市塩津だ。ありふれた海辺の小さな集落に、千年近い海民の歴史が刻まれている。 傾斜地に軒を重ねて家が立ち並ぶ。集落内の小学校は7年前に閉じていたが、商家風の重厚な家屋がかつての繁栄を忍ばせた。 江戸時代初期、大事件があった。史実をもとに紙芝居「塩津を救った庄屋彦太夫」を作った南方嘉門さん(77)に聞いた。大漁を祈願する民俗芸能「いな踊り」の保存会会長だ。 元和2(1616)年、当時の紀州藩主、浅野長晟(ながあきら)が、徴発用の漁船を調べる軍船改めを実施。生活にかかわる大問題だとして村人が相談し、大型の6隻を陸に隠した。ところが隠密によって策が露見、村人全員に咎(とが)が及びそうになった。そこで庄屋の彦太夫が自分ひとりの企

    【わたつみの国語り 第3部】(4)海の男に脈打つ プライドと義侠心
  • 【わたつみの国語り 第3部】(3)麻から木綿へ「衣料改革」が生んだ産業としてのイワシ漁

    (2)太平洋を渡った出稼ぎダイバー 一獲千金の夢 関東地方の東端、犬吠埼(いぬぼうさき)の近くを走るローカル私鉄である銚子電鉄の終点は外川(とかわ)駅だ。木造の駅舎を出ると、碁盤の目の街路が緩い斜面に広がっている。5分も坂道を下れば漁港に出た。どこか漁師町らしくない整然としたたたずまいが、江戸初期に始まるこの町の来歴を物語っていた。 「ザルですくうほどイワシがとれたそうですよ。干鰯(ほしか)にして売ると大判小判にかわった」 外川で家族が代々水産業を営んできた島田泰枝さん(86)が話した。小さな郷土資料館を私設で設けている。語っているのは遠い祖先の営みのことだ。 和歌山県広川町出身の崎山治郎右衛門が江戸時代初期に拓いた千葉県銚子市の外川漁港(坂英彰撮影)外川は万治元(1658)年ごろ、和歌山県広川町から漁師を率いてきた崎山治郎右衛門が拓(ひら)いた。海辺の荒れ地を区割りして道を通し、海岸に

    【わたつみの国語り 第3部】(3)麻から木綿へ「衣料改革」が生んだ産業としてのイワシ漁
  • 【わたつみの国語り 第3部】(2)太平洋を渡った出稼ぎダイバー 一獲千金の夢

    (1)家財道具を載せた船で暮らす 漂流漁民の記憶 州最南端である和歌山県串町の潮岬に、潜水服のヘルメットを浮き彫りにした石碑が立つ。はるか南のオーストラリアで明治以降、ダイバーとして働いた出稼ぎ者を顕彰する碑だ。 「コーヒーが好きな、田舎ではハイカラな父でした。フォークとナイフの使い方も教わったんです」 串町に隣接する古座川町の藤田千里さん(74)は、ダイバーだった大正3年生まれの父、正一さんを懐かしむ。彼らがとった白蝶貝(しろちょうがい)は高級ボタンの材料で、豪州の重要な輸出品であった。 潜水服のヘルメットが目をひく海外出稼ぎ者の顕彰碑=和歌山県串町の潮岬 (坂英彰撮影)渡豪中に戦争が勃発し、強制収容された。行動の自由はなかったが寛大な扱いを受け「テニスや野球をして楽しかった」と述懐したという。収容所で洋風の習慣や事になじんだ。帰国後は林業の仕事をした。90歳を過ぎて亡くなる

    【わたつみの国語り 第3部】(2)太平洋を渡った出稼ぎダイバー 一獲千金の夢
  • 【わたつみの国語り 第3部】(1)家財道具を載せた船で暮らす 漂流漁民の記憶

    海にかかわる日人の精神史を探る「わたつみの国語り」第3部は、土地に縛られない人々「海民」を取り上げる。土地位の統治や慣習が強いこの国で、海を生業とする人たちはどう生きてきたのか。漂流、移動や海外出稼ぎなど、海民たちの足跡をたどる。 広島県尾道市の吉和(よしわ)漁港に大粒の雨が降るなか、松幸人(ゆきと)さん(82)が漁から帰ってきた。「朝から網を仕掛けよったけ、あげてきた」。桜色をしたきれいなタイをつかみあげた。 港のすぐそばをJR山陽線が通り、貨物列車が長い轟音(ごうおん)を立てて通り過ぎる。松さんはかつて船で暮らす家船(えぶね)漁師だった。漂うように生きてきた海民の末裔(まつえい)だ。 「生まれ落ちて2カ月もすれば船に乗っとったろう」 漁を終えて吉和漁港に帰ってきた松幸人さん。海上で生活する家船漁師だった=広島県尾道市 (坂英彰撮影)鍋釜やふとん、生活道具一切が船にあった。昼

    【わたつみの国語り 第3部】(1)家財道具を載せた船で暮らす 漂流漁民の記憶
  • 【わたつみの国語り 第2部】(番外編)「白鯨」と「日本永代蔵」 捕鯨文学が描く資本主義の原像

    「白鯨」の時代に使われていた米捕鯨船「チャールズ・W・モーガン号」の模型(和歌山県太地町立くじらの博物館所蔵)格差拡大など資主義の弊害に注目が集まる昨今だが、捕鯨を扱う日米古典文学の金銭への洞察が鋭い。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」(1851年)と井原西鶴の「日永代蔵」(1688年)。産業革命期の米国も「天下の台所」となる大坂も「マネー」が力の源泉だった。古式捕鯨をめぐる連載第2部「クジラがいた風景」の番外編として、捕鯨文学に現れた資主義の原像を探った。 米国の捕鯨船は19世紀半ば、世界の海を股にかけてクジラを捕った。潤滑油や灯火に使う鯨油の獲得が目的だ。日に開国を迫ったのは、捕鯨船に水や料を補給する港を確保する思惑もあった。ところが経済が時代を塗り替えていく。 黒船来航(1853年)の前年、サンフランシスコ湾で撮られた写真には何十、何百という廃棄された捕鯨船が写っている。この直

    【わたつみの国語り 第2部】(番外編)「白鯨」と「日本永代蔵」 捕鯨文学が描く資本主義の原像
  • 【わたつみの国語り 第2部】(5)命をとり、とられ 自然の摂理 赤裸々に

    古式捕鯨は人間とクジラの壮絶な戦いでもあった。長い戦いの終わり、クジラを仕留めた漁師たちは念仏を唱えてその魂を冥途に送った。クジラの親子の情愛を利用して捕獲する厳しい現実。捕鯨船の極彩色に補陀落浄土信仰との関係を見いだす研究者もいる。 大阪市東淀川区、瑞光寺境内の池に、クジラの骨でできた橋がかかっている。江戸時代の「摂津名所図会」も示す「雪鯨(せつげい)橋」だ。宝暦6(1756)年、太地から届いたクジラの骨18で架けられた。 寺によると、行脚中に太地を訪れた同寺の住職が豊漁祈願を頼まれた。殺生の戒めを理由に一度は断ったが、不漁の苦しみに同情して祈願を行い、御利益あってクジラがとれたという。架橋は供養のためであった。 代々の住職が守り、架け替えてきた。いまのは令和元年に架設した7代目。遠山明文住職は「戒めを破って生きるざんげの気持ちを伝えてきました」と言う。 古式捕鯨の時代、巨大な生命体を

    【わたつみの国語り 第2部】(5)命をとり、とられ 自然の摂理 赤裸々に
  • 【わたつみの国語り 第2部】(4)堂々たる盗人、海の恵み求める

    大きな繁栄をもたらした江戸期の捕鯨。それは誰のものでもなかった海の富の独占も意味した。捕獲したクジラをくすねる一団が出没したが、厳しくとがめる雰囲気は薄かった。まだ近代的な法が整備される前の時代。それは自然発生的な、富の分配でもあった。 気になったのはクジラの巨体を切りさばく様子より、ジオラマの片隅にあった一団だ。長崎県平戸市、生月(いきつき)島にある博物館「島の館」を訪ねた。江戸時代にはここで、全国最大規模の古式捕鯨が行われていた。 岸壁から綱を垂らし、クジラ肉の塊をひそかに持ち出そうとしている。そばには男に棍棒(こんぼう)を振り上げられ、逃げ惑う人たち。泥棒の一味、だろうか。 九州北西部の捕鯨は江戸時代後期、太地など紀州を凌駕(りょうが)した。なかでも益冨家は拠地・生月島のほか、壱岐や五島灘にも鯨組(捕鯨組織)を置き、3千人も雇用する巨大企業だった。九州各地や瀬戸内から網張りなどの技

    【わたつみの国語り 第2部】(4)堂々たる盗人、海の恵み求める
  • 【わたつみの国語り 第2部】(3)包丁一本、威信かけ クジラ捕獲 昔も今も試される度量

    人力でクジラに立ち向かった古式捕鯨では、最後は人間がクジラにとりつき、とどめをさした。一人前になるためには必須の過酷な任務。若者たちは命がけで海に飛び込んだ。技量と度量が試されるのは、機械力が勝るようになった現代でも変わらない。 さまざまな船が係留される和歌山・太地漁港(太地町)に、特徴的な船が停泊していた。船首に大砲を据え、見張り台を乗せた高いマストがある。太地町漁協の小型捕鯨船、第7勝丸(32トン)だ。江戸時代から続く捕鯨の伝統は今も現役である。 船の甲板で船長の竹内隆士さん(43)に話を聞いた。長さ1メートルほどの朱塗りの銛(もり)3が、横たえられていた。持ち上げるのに苦労するほどずっしり重い。 和歌山県太地町の捕鯨船船長、竹内隆士さん 「大砲で心臓を狙って撃ちます。柔らかい腹のあたりに撃ち込むので、体の反対側に通り抜けてしまう」 機械力による現代の捕鯨は、圧倒的に人間が有利だ。ロ

    【わたつみの国語り 第2部】(3)包丁一本、威信かけ クジラ捕獲 昔も今も試される度量
  • 【わたつみの国語り 第2部】(2)捕鯨は戦(いくさ)躍動する武の精神

    人と捕鯨の関わりをみる「わたつみの国語り 第2部」の「クジラがいた風景」。古式捕鯨では、大船団を組み、陸上の司令役とも連携して組織的に捕獲した。戦争で磨いた技術の応用ともいえ、武の精神が宿る。 テーマパークにある海賊館のような門が、和歌山・太地漁港に向かって口を開いていた。「岩門(せきもん)」と呼ばれる地形は江戸時代の絵図にも見える。紀州藩が編纂(へんさん)した地誌「紀伊続風土記」はこのように記していた。 〈山を切抜きて門の形をなす内に入れば、村居に接せり和田氏住居せし所といふ〉 岩門の背後に屋敷を構えた和田氏は、太地で古式捕鯨をはじめた一族である。紀伊続風土記はこう記す。 〈慶長十一年、和田忠兵衛頼元といふ者、泉州堺の浪人伊右衛門、尾州知多郡師崎の伝次といふ者両人をかたらひ鯨突を始む〉 関ケ原の合戦(1600年)から6年、戦国の世が終わろうとしていた時代だ。同書は和田氏の祖先について

    【わたつみの国語り 第2部】(2)捕鯨は戦(いくさ)躍動する武の精神
  • 【わたつみの国語り 第2部】(1)クジラは「資源」 捕鯨、工場制手工業の原点に

    人は、はるか昔からクジラを捕ってきた。第2部「クジラがいた風景」(全5回)は海と日人を語るうえで欠かせない捕鯨の歴史をみる。江戸時代に栄えた古式捕鯨は巨大な海洋資源を商品化する一大産業であり、文化であった。クジラとは日人にとって、人類にとって何なのか。捕鯨をひもとく探訪に出た。 和歌山・太地漁港の恵比寿神社に、骨2が突き立っていた。背丈の2倍ほどもある。イワシクジラのあご骨で作った「鯨骨(くじらぼね)鳥居」だという。捕鯨にまつわる宗教的な伝統かと思ったが、その制作は意外にも新しい。初代が昭和60年で、いまのは3代目であった。 江戸時代の大坂で活躍した作家、井原西鶴の「日永代蔵」(1688年)にこうある。 〈高さ三丈ばかりもありぬべし。目なれずしてこれに興覚めて、浦人に尋ねければ…〉 太地を訪れた西鶴とおぼしき旅人が、奇妙な鳥居に驚く場面である。日永代蔵は金銭にまつわる失敗や成

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  • 【わたつみの国語り】(4)生贄を求める神 人間との〝攻防〟

    畏れ、敬い、ときにはすがる対象となる神。古代から人間は、神との距離をはかりながら生きてきた。古代の神話や文学では、人間はただ「従属」するだけではなく、ときにはしたたかな対応をみせる姿も描き出す。第1部の最終回は、神と人間の「取引」の歴史をみていく。 連載 わたつみの国語り 第1部(全4回) >(1)「東方の美しい国へ」生駒の廃駅に残る征服の歴史 >(2)母は「ワニ」 神話に見る動物との「婚姻」 >(3)クスノキ 古代の貴重な輸出資源 大阪市住吉区の住吉大社は、航海の神として信仰を集めてきた。境内に並ぶ石灯籠に刻まれた文字を見ると、江戸時代に海運関係者から多く寄進されたことがわかる。時代をさかのぼると古事記や日書紀は、現代の感覚から遠く離れた神へのささげものが古代にあったことを記している。

    【わたつみの国語り】(4)生贄を求める神 人間との〝攻防〟
  • 【わたつみの国語り】(3)クスノキ 古代の貴重な輸出資源

    先人たちと海の関わりから、日のこころの源流を探る「わたつみの国語り」。第1部は、神話の世界をひもといていく。3回目はクスノキをめぐる古代人の物語。 連載 わたつみの国語り 第1部(全4回) >(1)「東方の美しい国へ」生駒の廃駅に残る征服の歴史 >(2)母は「ワニ」 神話に見る動物との「婚姻」 >(4)生贄を求める神 人間との〝攻防〟 敷地に入ると木の香りが鼻孔を突いた。古事記に登場する一の木をめぐる探訪のなかで、堺市美原区の中川木材産業社長、中川勝弘さん(73)に会った。生業とはいえ、木が好きでたまらないといったふうであった。

    【わたつみの国語り】(3)クスノキ 古代の貴重な輸出資源
  • 【わたつみの国語り】(2)母は「ワニ」 神話に見る動物との「婚姻」

    古来、わたつみと呼ばれた海。海をめぐる営みを抜きに、日人の成り立ちは語れない。先人たちと海の関わりから、こころの源流を探る「わたつみの国語り」。第1部では神話の世界をひもといていく。 連載 わたつみの国語り 第1部(全4回) >(1)「東方の美しい国へ」生駒の廃駅に残る征服の歴史 >(3)クスノキ 古代の貴重な輸出資源 >(4)生贄を求める神 人間との〝攻防〟 太平洋が圧倒的な水量で迫っていた。九州南東部、宮崎県日南市から見る海は、水平線が丸みを帯びているように感じる。崖の中途のような大きな洞窟のなかに、窮屈な形で赤い社が建っていた。ウガヤフキアエズノミコトを祭る、鵜戸(うど)神宮の殿である。 ウガヤフキアエズ、すなわち神武天皇(カムヤマトイハレビコノミコト)の父が生まれたのがこの洞窟だと伝わっている。奈良盆地という内陸に築かれた大和王権だが、海との関係は極めて深い。ウガヤフキアエズの

    【わたつみの国語り】(2)母は「ワニ」 神話に見る動物との「婚姻」
  • 【わたつみの国語り】(1)「東方の美しい国へ」生駒の廃駅に残る征服の歴史

    遠い昔、私たちの祖先は海を渡って列島にたどり着いた。海は隔てるものではなく、つなぐものだった。 人類史の片隅で、日人がどのようにいまに至ったのか。それは古来、わたつみと呼んできた海を抜きに語れない。海をめぐる先人の営みに、こころの源流を探れないだろうか。各地を訪れ、聞き、書物にたずねてみよう。第1部(全4回)は「神から人へ」。古事記や日書紀が語る、あわいの時代からはじめてみたい。 連載 わたつみの国語り 第1部(全4回) >(2)母は「ワニ」 神話に見る動物との「婚姻」 >(3)クスノキ 古代の貴重な輸出資源 >(4)生贄を求める神 人間との〝攻防〟 大阪、奈良にまたがる生駒山の中腹に、廃線となった駅のホームが残っている。昭和39年まで使われた近鉄奈良線の孔舎衛坂(くさえざか)駅跡だ。難しい駅名の由来は、720年に編纂(へんさん)された史書、日書紀にある。

    【わたつみの国語り】(1)「東方の美しい国へ」生駒の廃駅に残る征服の歴史
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