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産経新聞と近現代史に関するkanoetatsuのブックマーク (167)

  • 東大が「真っ先に共産主義を唱える学校」になると予言した福澤諭吉 「反・東大」の思想史

    学歴社会の頂点に立つ東京大(帝国大)に対し、慶応義塾を創設した福澤諭吉、早稲田大など在野の対抗勢力は、いかに対抗し闘ったのか。5月に出版された『「反・東大」の思想史』(新潮選書)が、東大を巡る複雑かつアンビバレント(二律背反)な感情を描き出していて興味深い。特に福澤は帝大を批判しつつ、息子2人を帝大に通わせようとし、さらには帝大への共産主義の侵を予言もしていた。同書の一部を紹介する。 冷遇に態度硬化させ筆者の尾原宏之さんは昭和48年生まれ。早大出身で、NHKに入局して芸能番組などを手がけ、退職して現在は甲南大学教授を務める。『「反・東大」の思想史』については「東大を中心とした構図で日の近現代史を見てみた」と語る。 同書などによると、福澤が開いた慶応義塾は安政5(1858)年に創設した蘭学塾を起源とし、明治4(1871)年設置の文部省より歴史は古い。開塾5年の文久3(1863)年か

    東大が「真っ先に共産主義を唱える学校」になると予言した福澤諭吉 「反・東大」の思想史
  • ノルマンディー上陸作戦80年 改めて試される専制主義との対決意志 世界を知るキーワード

    第二次世界大戦で連合軍を勝利に導く一大転換点となったノルマンディー上陸作戦から6月6日で80年を迎える。米英などの自由主義陣営はナチス・ドイツを打倒した後、共に大戦を戦ったソ連と約45年間にわたった東西冷戦に突入した。そしてロシア中国が冷戦終結後の国際秩序の変更に動く現在、自由主義陣営は80年前と同様、力を合わせて専制主義勢力に立ち向かう決意を試されている。 13万人超が海岸に敵前上陸「私は諸君の勇気と任務への献身、戦闘の技術に全幅の信頼を置いている。完全勝利以外は認めない。幸運を祈る!」 第二次大戦末期の1944年6月6日、米英やカナダなど連合国軍を束ねるドワイト・アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官(後の第34代米大統領)は、ノルマンディー上陸作戦の決行を全軍に命じるメッセージでこう述べ、戦争の行方を決定づける作戦の完遂を訴えた。

    ノルマンディー上陸作戦80年 改めて試される専制主義との対決意志 世界を知るキーワード
  • 憲法記念日は「くつ辱の日」 GHQから「与えられた」経緯に元貴族院書記官の嘆き 正論モーニング

    小野寺五一氏の昭和30年5月3日の日記(宗澤俊郎氏提供)「憲法記念日にて休みなり 御祝いの日というか辱(はずか)しき日なり いわゆるくつ辱(じょく)の日であり 與(あた)えられたる憲法を尊(と)うとしとする人々の気が知れない」 日国憲法施行から8年後、昭和30年の憲法記念日(5月3日)の日記でそう嘆息した人物がいる。貴族院の書記官として同憲法制定の経緯を目の当たりにしていた小野寺五一氏(1900―79)だ(引用文中の歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに改めた)。 日国憲法は昭和21年2月、連合国軍総司令部(GHQ)がわずか9日間でつくった草案(GHQ草案)を、日政府が日語に訳したもので、「押し付け」論が根強い。日記の「與(与)える」には、「自分の物を目下の者にやる。授ける」(広辞苑)との意味があり、憲法という国家のありようを定める最高法規を他国から押し付けられ、それを有り難がる風潮がある

    憲法記念日は「くつ辱の日」 GHQから「与えられた」経緯に元貴族院書記官の嘆き 正論モーニング
  • <正論>特攻への理解深める特別の日を  ノンフィクション作家・早坂隆

    ノンフィクション作家・早坂隆氏映画『ゴジラ―1・0(マイナスワン)』が第96回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した。 私はこの大作を単なる「怪獣映画」ではなく、優れた「戦争映画」として観(み)た。なぜなら、私がこれまでに取材してきた多くの戦争体験者の方々の「叫び」のような言葉と、映画の中のセリフが何度も重なり合ったからである。 特攻整備兵の声

    <正論>特攻への理解深める特別の日を  ノンフィクション作家・早坂隆
  • 昭憲皇太后が「大礼服」に込めた近代化への思い 崩御110年、修復終え明治神宮で初展示

    明治天皇の后(きさき)、昭憲皇太后の崩御から110年を迎える今月、その事績を改めて振り返る催しが明治神宮(東京都渋谷区)で開催される。6日から始まる展覧会では、昭憲皇太后が着用し、昨年、修復が完了した「大礼服(たいれいふく)」を東京で初めて展示。5年に及んだ修復プロジェクトの集大成となるシンポジウムも開催予定で、関係者は「日の近代化に尽力した昭憲皇太后の思いを感じてもらえたら」と話している。 現存最古のドレスバラの花や葉の文様に沿い、金属製のモール糸で施された立体的な刺繍(ししゅう)。華麗な長さ約3・5メートルのトレーン(引き裾)の先には、小柄な体に強い意志を携えた女性の姿が浮かぶ-。 明治期、近代化の中で宮中改革を牽引(けんいん)し、皇后として初めて洋装を取り入れたことで知られる昭憲皇太后の貴重なドレスが6日から、明治神宮ミュージアムの展覧会「受け継がれし明治のドレス」でお披露目される

    昭憲皇太后が「大礼服」に込めた近代化への思い 崩御110年、修復終え明治神宮で初展示
  • 明治11年 大久保利通暗殺 要人警護の礎 警視庁150年 3/150

    明治維新後、草創期の警察機構を揺るがす事件が起きた。西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ「維新の三傑」として、要職の内務卿(現在の首相に相当)に就いていた大久保利通の暗殺だ。 明治11年5月14日朝、現在の東京都千代田区紀尾井町で発生した。馬車で赤坂仮皇居に向かっていた大久保を旧加賀藩士の島田一郎ら士族6人が襲撃。「車外にひきずりだして乱刃のもとに殺害」(吉川弘文館「国史大辞典」)したという。 日比谷図書文化館の学芸員、高木知己さんによると、「当時は士農工商制度が廃止され、給料を減らされるなどして士族の不満が高まっていた時期」という。島田らは西郷の思想に共鳴しており、大久保が政府軍を指揮した西南戦争で、前年の明治10年、西郷が自決に追い込まれたことも大久保が標的とされた背景にあるようだ。 事件に衝撃を受けたのが、大警視(初代警視総監)の川路利良だ。西南戦争でも大久保の指揮のもと抜刀隊を編成するなど関係

    明治11年 大久保利通暗殺 要人警護の礎 警視庁150年 3/150
  • ウソを信じ続ける欧米…ラムザイヤー氏の告発 福井義高

    来日した米ハーバード大教授のマーク・ラムザイヤー氏(大森貴弘撮影)戦前、朝鮮半島の慰安婦が日軍に強制連行され、性奴隷にされていたという主張は、吉田清治といういわくつきの人物の全くの捏造に朝日新聞が乗せられ、日でも一時は広く信じられるようになった。しかし、間もなくその矛盾だらけの嘘はばれ、不覚にもお先棒を担いでしまった朝日新聞も2014年に吉田「証言」に基づく記事をすべて撤回することになった。日では今や慰安婦強制連行説、「慰安婦=性奴隷」説が作り話であることは公知の事実である。 ところが、困ったことに、欧米の日研究者の間では、いまだに「慰安婦=性奴隷」説が批判の許されない「コンセンサス」であり、欧米のメディアもそれを鵜呑みにする状態が続いている。 青山学院大教授の福井義高氏数年前、ハーバード大学教授で、米会社法の大家であるマーク・ラムザイヤー氏が、この偽りのコンセンサスに一石を投じた

    ウソを信じ続ける欧米…ラムザイヤー氏の告発 福井義高
    kanoetatsu
    kanoetatsu 2024/01/19
    毎日新聞9月13日付夕刊でM・ラムザイヤーと同様の見解を示してた吉見義明。
  • 【ポトマック通信】日米開戦82年 「救われた」退役軍人の言葉に思う

    毎年11月11日の「退役軍人の日」から数日後。ワシントンの空港でシカゴ行きの便を待っていたら、「第二次大戦復員軍人」と刺繡(ししゅう)された帽子をかぶった老人がつえをつきながら私の隣に座ろうとしたので、とっさに彼の手を支えた。 元医師のディックさん、100歳。首都の行事に出席した帰路だという。日人の新聞記者と名乗ると自然、大戦の話になった。 1945年8月、海軍衛生兵のディックさんはサンフランシスコで日土上陸戦の出撃に備える日々だった。「どんなに悲惨な戦闘になるか。恐怖を仲間と打ち明け合った。日が降伏した日は鮮明に覚えている。皆で大騒ぎだった」 復員後、結婚し医師となった彼はこう続けた。「原爆で日は降伏し、命が救われたと思ったのは私だけではない」。原爆投下を正当化する米国の論理を退役軍人の言葉で直接聞かされたのは初めてだった。 「日は原爆を落とされなくても降伏を受け入れたはず

    【ポトマック通信】日米開戦82年 「救われた」退役軍人の言葉に思う
  • 【緯度経度】キッシンジャー外交の大失態 古森義久

    キッシンジャー米大統領補佐官(手前右)と北ベトナム代表団のレ・ドク・ト特別顧問(同左)=1973年1月、パリ (ゲッティ=共同)米国の元国務長官ヘンリー・キッシンジャー氏の11月末の死去は私にとって半世紀も前の南ベトナムでの彼との対面をいやでも想起させた。キッシンジャー外交の大きな「負」の回顧である。同氏の外交の功罪で大きな功とみなされがちなベトナム和平交渉の歴史的な失態を現地で目撃した実体験は忘れられない。 1972年夏、私は南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)駐在の特派員だった。キッシンジャー氏は戦争が下火となったその時期、パリでの北ベトナム政府代表との和平交渉を進め、その状況を同盟国の南ベトナム政府に伝えにきていた。私はサイゴンの空港で十数人の各国記者たちとともに同氏に接近し、質問をしたのだった。 目前に立つキッシンジャー氏は微妙な笑いを浮かべていた。地面に響くような低いドイツ

    【緯度経度】キッシンジャー外交の大失態 古森義久
  • 敗戦史観から脱却すべきとき 弁護士・高井康行の「疾風勁草」

    第2波攻撃に向け、日海軍の空母赤城の飛行甲板で一斉にエンジンを始動させる艦上機。整備兵らに送られ、次々と発艦していった=日時間1941(昭和16)年12月8日負けると決まっていたわけではない戦争敗戦後79回目の12月8日が来る。 そのころになれば、日米では総合的国力に大きな差があったのだから日米戦は負けるに決まっている戦争だった。なぜ、そんな愚かな戦争を始めてしまったのかという論調がマスコミをにぎわすだろう。

    敗戦史観から脱却すべきとき 弁護士・高井康行の「疾風勁草」
  • 【広島「正論」友の会】「大東亜戦争の教訓生かせ」 久野潤・日本経済大准教授が講演

    広島「正論」友の会の第23回講演会が28日、広島市中区の合人社ウェンディひと・まちプラザで開かれ、日経済大准教授の久野潤氏が「アジア解放と防共の大東亜戦争―大東亜会議から80年―」と題して講演した。 久野氏は、欧州各国による20世紀のアジア諸地域における植民地支配の過酷さを紹介するとともに「大東亜戦争の目的は日の自存自衛に加え、共産主義の拡大防止だった」と強調した。 昭和18年に東京で開かれた大東亜会議について「日中華民国(南京政府)、タイなど7カ国が参加した世界初の非白人のみによる国際会議」として「大東亜の共存共栄を宣言した」と説明。日は結果として敗戦したが、日が戦わなければアジアが史実以上に共産化しかねなかったと指摘し、「共産化を防ごうとした教訓を今の国際社会で生かすべきだ」と述べた。

    【広島「正論」友の会】「大東亜戦争の教訓生かせ」 久野潤・日本経済大准教授が講演
  • 【主張】韓国の慰安婦判決 事実無根で容認できない

    耳を疑う不当な判決である。韓国ソウル高裁で元慰安婦らが日政府に求めた損害賠償請求が認められた。 慰安婦について「日政府による強制的な拉致行為」と決めつけた。事実無根で、断じて認められない。 訴訟は、韓国の元慰安婦や遺族計16人が日政府を相手取り、1人当たり2億ウォン(約2300万円)の損害賠償を求めた。 国家は外国の裁判権に服さないとされる国際法上の「主権免除の原則」に基づき、日政府は訴訟に応じず審理に参加していない。当然のことである。 1審ソウル中央地裁は、主権免除の原則から、外国政府への賠償請求は訴訟の要件を満たさないと判断し、原告の訴えを却下していた。これがまっとうな判断である。 ところが2審ソウル高裁は「違法行為に対しては主権免除を認めない国際的な慣習が存在する」として請求全額を支払うよう日政府に命じた。 拉致のような違法行為に主権免除の原則は適用できない、というのだろう

    【主張】韓国の慰安婦判決 事実無根で容認できない
  • 【東京特派員】明治の空気に触れる試み 湯浅博

    東南アジア研究が専門の慶応大学名誉教授が三味線と長唄を織り込みつつ講演会を粋の世界に誘っていた。お題は「明治時代の『空気』に触れる試み」。日国史学会の会員を相手に大津絵節の黒船来航や鉄道唱歌までお披露目した。 小唄ファンの筆者は、講演を収録したDVDを見ながら、思わず拍手を送ってしまった。演者の野村亨さん(71)は「楽しくなければ学問じゃない」とばかり落語、漫談調で会員たちを引き込んでいく。 いったい明治の庶民生活の空気感とはどんなだったか。野村さんは12歳まで同居していた祖母、友山ふくから聞いた口頭伝承を「疑似オーラルヒストリー」として再現していく。一般に近現代史のオーラルヒストリーは、政治指導者からの口述記録が多い。いわば上部構造の歴史で庶民の時代感覚にまでは及ばない。 歴史を動かす人々の考えと、それを見つめる庶民の肌感覚は違う。どうやらこれが、三味線と長唄を巧みに操る野村先生の問題

    【東京特派員】明治の空気に触れる試み 湯浅博
  • 【正論モーニング】朝鮮人陸軍特別志願兵 「強制動員」の通説覆す 『反日種族主義』共著者が報告

    朝鮮半島を統治した日をすべて「悪」とする韓国の反日的歴史観を同国の研究者らが実証的研究から批判し、日韓両国でベストセラーとなった『反日種族主義』(2019年・李栄薫編著・邦訳は文芸春秋社)。共著者の一人である鄭安基(チョンアンギ)・洛星台経済研究所研究委員を日に招いての講演会があり、朝鮮人(日)陸軍特別志願兵の実態が紹介された。 鄭安基氏鄭氏は講演で、当時の資料の丹念な読み込みにより、特別志願兵への多数の応募は「日による強制動員だった」との通説を覆してみせた。『反日種族主義』に同氏が寄せた特別志願兵についての論文でも詳述されていないテーマ。日が半島の土地や米を収奪した―という韓国の教科書にも書かれている説の誤りを膨大な統計資料から証明した同書の他論文同様のインパクトがあった。

    【正論モーニング】朝鮮人陸軍特別志願兵 「強制動員」の通説覆す 『反日種族主義』共著者が報告
  • 「戦時日誌」から見えた100歳元従軍兵士の「南方体験」

    防衛省内にある日唯一の安全保障に関する国立学術研究機関「防衛研究所」(新宿区)は、防衛に関する調査研究のほか、戦史史料の管理を行うシンクタンクとして知られる。今年8月、記者は先の大戦中に南方を転戦した100歳の元従軍兵士をインタビューした。この記憶を何らかの形で追体験できないか-。そう思い、研究所で資料と向き合う機会があった。80年前の記録に触れ、元兵士の証言とともに壮絶な南方戦線の記憶をたどった。 証言してくれたのは、先の大戦で第201海軍航空隊に所属し、ゼロ戦の整備兵を務めた国分寺市在住の川手市郎さん。大正12年に生まれ、今年1月に100歳を迎えた。川手さんは昭和17年の入隊直後から復員するまでの4年半を振り返った。 戦局が悪化した昭和18年11月、横須賀港を出港し、制空権も制海権も米軍下にあったラバウルへ向かった。翌19年1月にはサイパン、3月にはペリリュー、5月にはフィリピンのセ

    「戦時日誌」から見えた100歳元従軍兵士の「南方体験」
  • 本土防空戦で死闘を繰り広げた「紫電改」 平和願い、展示館リニューアル

    昭和54年に久良湾の海底から引き揚げられた紫電改=愛媛県愛南町第二次世界大戦の末期、日土に波のように押し寄せる米軍機と死闘を繰り広げた第三四三海軍航空隊(三四三空、剣部隊)の戦闘機「紫電改」の実機を日で唯一、展示している愛媛県愛南町の「紫電改展示館」が老朽化に伴い、建て替えられることになった。施設を管理・運営している愛媛県は「恒久平和の大切さを伝える」ことを重点に整備し、令和8年度の開館を目指している。 日の空を守る戦い剣部隊は源田実大佐(後に参院議員)を司令に、ベテラン搭乗員を多数集め、昭和19年暮れから20年1月にかけて松山基地(松山市)で編成された。当初は戦闘三〇一、四〇七、七〇一の3飛行隊に当時の新鋭戦闘機「紫電改」を装備し、偵察機「彩雲」の部隊も擁して土防空戦に当たった。

    本土防空戦で死闘を繰り広げた「紫電改」 平和願い、展示館リニューアル
  • 【正論】時代思潮の混迷と大和への思慕 文芸批評家・新保祐司

    文芸批評家・新保祐司氏亀井勝一郎と激動の昭和この9月に、「ミネルヴァ日評伝選」の一冊として『亀井勝一郎』(山直人著)が刊行された。亀井勝一郎は、明治40年、函館に生まれ、昭和41年に59歳で死去した文芸評論家であるが、没後半世紀余りを経た今日、亀井の名はそれほど知られてはいないかもしれない。 「プロローグ 忘れられた批評家」の中で、同時代に活躍した小林秀雄、保田與重郎、福田恆存などが現在でもよくとりあげられているのに比べると「一抹の寂しさ」を感じると著者は書いている。この心から、この亀井勝一郎の大部な評伝が書かれたのであるが、自らを「現代人の一標」と言った亀井の生涯とその時代が詳細に描かれている。

    【正論】時代思潮の混迷と大和への思慕 文芸批評家・新保祐司
  • <独自>朝鮮半島出身労働者「奴隷」学説否定の1次史料発見

    戦時中の朝鮮半島出身労働者の収入状況などを示す1次史料を歴史認識問題研究会(会長・西岡力麗澤大特任教授)の長谷亮介研究員が見つけ出し、分析結果を論文にまとめた。史料によると、労働者の収入は「高額」(長谷氏)で、炭鉱が「奴隷労働の現場」だったとの主張や観念を崩す実態を示している。 史料は、かつて北海道北部にあった日曹天塩炭鉱で働いた朝鮮人労働者の「稼働成績並賃金収支明細表」。長谷氏が昨年、北海道博物館(札幌市)の収蔵資料から見つけた。労働者を送り出した当時の朝鮮半島の面(村に相当)の面長に向けて、労働者ごとの収支金額や送金額、天引き貯金の状況を伝える書類で、昭和19(1944)年5月から20年6月分の冊子に総数159人分の記録があった。 史料で確認できた労働者86人のうち、19年10月から20年6月まで働いた54人を分析したところ、9カ月間の平均収入総額は896円で、同期間の支出総額が判明し

    <独自>朝鮮半島出身労働者「奴隷」学説否定の1次史料発見
  • 【正論】宰相の暗殺に国家の綱紀示せ 東京大学名誉教授・平川祐弘

    平川祐弘氏戦前日「暗殺による統治」首相の暗殺と国家の運命について考えたい。戦前の日は「暗殺による政治」と諸外国から批評された。子供心に「日政治家になる人は殺されても怖くない。そんな偉い人たちだ」と思っていた。 昭和十一年二月二十六日の雪の降る暗い朝、岡田啓介首相殺害のニュースが流れ、兄を学校へ行かせるべきかどうか、親が相談していた。父がその直後に買った二・二六事件関係のが家には転がっていた。

    【正論】宰相の暗殺に国家の綱紀示せ 東京大学名誉教授・平川祐弘
  • 鉄道貨物、栄枯盛衰の150年 「2024年問題」で脚光

    コンテナ列車なら荷物を入れたコンテナごと台車に載せ替えるだけで済む=9月4日、岡山県倉敷市(大竹直樹撮影)日の鉄道貨物輸送が15日、150年の節目を迎える。明治期の日の近代化や戦後復興を牽引した立役者だった鉄道貨物も、物流の主役の座をトラックに奪われて久しい。だが、トラック運転手の残業規制強化で物流の停滞が懸念される「2024年問題」で一度に大量輸送できる鉄道貨物が再び注目されており、復権の兆しも出ている。その栄枯盛衰の歴史に、新たな1ページが加わる可能性もありそうだ。 トラック輸送が主流に日の鉄道貨物は明治6(1873)年9月15日、新橋-横浜(現・桜木町)間で産声を上げると、明治、大正期を経て昭和中期まで輸送量は右肩上がりで増え続けた。

    鉄道貨物、栄枯盛衰の150年 「2024年問題」で脚光