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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (25)

  • 江藤淳・野口冨士男VS秦恒平 - jun-jun1965の日記

    1988年に、江藤淳は日文藝家協会を中心に、売れ行き不振の文藝書を応援するために文藝書専門店を作ろうという気炎を上げていた。その結果米子市にそういう店ができたのだが、そこへ、文藝家協会理事長・野口冨士男と江藤淳が、自分の勧める文藝書百選というのを出して推薦文を書いた。 これに異論を提出したのが秦恒平で、『中央公論』88年6月号(5月10日発売)に「文芸家協会の"読書指導"に異議あり」を書いて、権威主義的だと批判したのである。さらに「東京新聞」の「大波小波」は8月5日号で、秦の論を正論としてあおり立てたのだが、実はこの時点では、野口と江藤の推薦は文藝家協会とは関係ないという答弁がなされ、秦もこれについて了承していたのだという。 以上、野口冨士男『時のきれはし』による。

    江藤淳・野口冨士男VS秦恒平 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2024/04/28
    “米子市にそういう店ができた” ぐぐってみたら今井書店だった。
  • フィクションの笑いと事実の笑い - jun-jun1965の日記

    大江健三郎の『ピンチランナー調書』は、大江没後、雨後の筍のように叢生した大江論の中でも、あまり言及されることはない。この長編が新潮社から刊行されたのは一九七六年で、「哄笑の文学」として大きく宣伝されていた。その時中学二年生だった私は、二年後に高校一年生になって大江の初期作品を夢中になって読んだあとで、この最新長編を読み、失望するほかなかった。それは哄笑とはほど遠かったし、かといって大江の初期作品のような輝きもなかった。その後、この作品を再評価した人は私の知る限り、ない。 当時、大江の盟友として知られた井上ひさしが、盛んに「笑いの文学の復権」などと言っていたが、柄谷行人は、「笑いの復権などと言っている者の書いたものが面白かったためしはない」と言っており、私もそれ以後、井上の演劇や小説の、どこがそんなに笑えるのか常に疑問に思ってきた。しかしこれも、実際に笑えるかどうかは別として、憲法九条擁護の

    フィクションの笑いと事実の笑い - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2024/03/13
    “不意打ちに現れるものこそが実際には心から笑えるものであって、笑わせようと思って作ったものは、笑わせる力は強くないと” 個人的な経験の上でそう感じるのと一般論として言うのとは、区別した方がよいのでは
  • 四方田犬彦「「かわいい」論」 - jun-jun1965の日記

    2006年1月に刊行されてけっこう話題になっただが、今回初めて読んだ。私は四方田という人に対して複雑な感情を抱いていて、大学院に入ったころ、面識のない先輩としてそのエッセイ集『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』を読んだ時だけ、素直に面白いとして読めたのだが、その後読んだ『貴種と転生』という中上健次論や、『月島物語』といういかにもおじさん受けしそうで実際に受けたを読んだ時はさして感心しなかったし、『先生とわたし』という、私も英語を教わったことのある由良君美先生について書かれたの時は、いくつか小さな事実誤認を見つけ、それなりにちゃんと書いておいたのだが、文庫化に際してそれらは訂正されていなかった。その頃には、著者の人格に対する疑念も持っていたし、嫉妬心も抱いていた。 四方田は大阪箕面という、私が阪大時代に住んでいた背後の土地で育ち、両親が離婚して母方の四方田を名乗るようになったという

    四方田犬彦「「かわいい」論」 - jun-jun1965の日記
  • 編集者特権と文学賞 - jun-jun1965の日記

    文学関係の有力出版社の編集者だった人が、引退とかしてを書くと、お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞を貰えるという現象があるのはよく知られている。人物別に一覧にしてみた。 半藤一利(1930-2021)文藝春秋「漱石先生ぞな、もし」新田次郎賞(1993)「ノモンハンの夏」山七平賞(98)、「昭和史」毎日出版文化賞(2006)菊池寛賞(2015) 高田宏(1932-2015)(エッソスタンダード「エナジー対話」)「言葉の海へ」大佛次郎賞(1978)「木に会う」読売文学賞(90) 宮脇俊三(1926-2003)中央公論社「殺意の風景」泉鏡花賞(1985)菊池寛賞(99) 石和鷹(1933-97)(「すばる」編集長)「野分酒場」泉鏡花賞(89)「クルー」芸術選奨(95)「地獄は一定すみかぞかし」伊藤整文学賞(97)、 大久保房男(1921-2014)「群像」編集長「海のまつりごと」芸術

    編集者特権と文学賞 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2024/01/29
    おもしろい/尾崎真理子が読売文学賞もらっちゃうのはナンダカナーって感じ
  • 久世光彦「蕭々館日録」 - jun-jun1965の日記

    久世光彦(1935-2006)は、東大卒で、大江健三郎や高畑勲と同年だが、美学美術史卒だからあまり関係ない。TBSに入り、テレビドラマの演出家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などを手がけたが、「ムー一族」の打ち上げのパーティで、出演していた女優と不倫していたのを樹木希林にすっぱ抜かれて独立し、向田邦子の作品を手がけてまた名をあげた。58歳になる1993年に『一九三四年冬ー乱歩』で小説家デビューし、これでいきなり山周五郎賞をとった。「芋虫」を書いて非難され、一時姿を隠していた時期の江戸川乱歩を描いたものだが、私は読んで面白くなかった。さて、久世はドゥマゴ文学賞、芸術選奨などをとったが、『蕭々館日録』は泉鏡花賞をとっている。この時の同時受賞者が笙野頼子である。この作は芥川龍之介の晩年を描いたものらしく、芥川を「九鬼」、菊池寛を「蒲池」とし、小島政次郎を「児島蕭々」として、その児

    久世光彦「蕭々館日録」 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2024/01/14
    “私はそもそも、なんで芥川や小島を変名にするのか、と思う”
  • 書評 大塚ひかり「嫉妬と階級の『源氏物語』」  「週刊読書人」 - jun-jun1965の日記

    『源氏物語』について、新しい見解を表明することなど、不可能だろう。『源氏』や夏目漱石、シェイクスピアについては、あまりにも研究書や論文が多すぎて、すべてに目を通すことは不可能だし、何か思いついても既に誰かがどこかで似たことを言っている確率は非常に高い。将来的には、AIがそういうものを全部読んで、似た見解があるかどうか教えてくれるようになるだろうし、それはすぐそこまで来ている未来だろう。 にしても、それをどういう形で書き表すかということはまだ人間の自由のうちにあるわけで、書などは、仮に誰かが既に似たことを言っていても、それを長編評論という形で表現した近年の優れた成果だと言っていいだろう。 『源氏物語』を、女の視点から読むということを最初に意識的に行ったのは駒尺喜美の『紫式部のメッセージ』だが、これが1991年だからまだ三十数年しかたっていない。古典エッセイストを名のる大塚ひかりが『源氏の男

    書評 大塚ひかり「嫉妬と階級の『源氏物語』」  「週刊読書人」 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2023/12/16
    “何か思いついても既に誰かがどこかで似たことを言っている確率は非常に高い。将来的には、AIがそういうものを全部読んで、似た見解があるかどうか教えてくれるようになるだろうし、それはすぐそこまで来ている”
  • 大学教師経験のある文学者 - jun-jun1965の日記

    大学教員になった(であった)作家・詩人・文藝評論家・歌人 坪内逍遥 早大教授 1859-1935 二葉亭四迷 東京外国語学校教授 1864-1909 夏目漱石 東大講師 1867-1916 幸田露伴 京大教授 1867-1947 窪田空穂 早大教授 1877-1967 寺田寅彦 東大教授 1878-1935 永井荷風 慶大教授 1879-1959 森田草平 法政大教授 1881-1949 荻原井泉水 昭和女子大教授 1884-1976 折口信夫 國學院大教授 1887-1953 内田百閒 法政大教授 1889-1971 岸田国士 明治大学教授 1890-1954 谷崎精二 早大教授 1890-1971 西脇順三郎 慶大教授 1894-1982 中村草田男 成蹊大教授 1901-83 小林秀雄 明治大学教授 1902ー83 伊藤整  東工大教授 1905-69 平野謙  明治大学教授 190

    大学教師経験のある文学者 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2023/12/10
    きょうみぶかい
  • 小田実と「細雪」 - jun-jun1965の日記

    小田実に「現代史」という、1500枚くらいある長編小説があって、それが谷崎の「細雪」を下敷きにしているということを最近知った。これは題名からはちょっと想像がつかない。それで図書館から「小田実全仕事」の4巻にまとめて入っているのを借りてきて斜め読みしたのだが、1960年代の大阪の大都造船の社長の島内一家とその四人姉妹の動きが華やかに描かれていて、なるほどこれは「細雪」だ。やはり「細雪」を下敷きにしているといわれながら、事のシーンばかりの金井美恵子「恋愛太平記」より面白そうだが、これは時間をかけないとちゃんとは読めないし、その価値があるかどうかちょっと微妙だ。 もちろん小田実だから、「細雪」の保守的で古典的なところには批判的で、ベトナム戦争とか天皇制の問題とかがさりげなく出てくるが、それも押しつけがましさは感じなかった。しかし小田実のように、たくさん小説を書いているのにちゃんと論じられていな

    小田実と「細雪」 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2023/11/17
    “小田実のように、たくさん小説を書いているのにちゃんと論じられていない作家も珍しい”
  • 「蒼ざめた馬をみよ」その後 - jun-jun1965の日記

    「ざめた馬をみよ」文春文庫解説は山内亮史(社会学者)で、五木が好きだというエセーニンが自殺した時マヤコフスキーが文章を書いた、そのマヤコフスキーが 死んだ時パステルナークが駆け付けたという逸話を記して作品にはまるで触れないものだった。駒尺喜美『雑民の魂』も「さらばモスクワ愚連隊 「蒼ざめた馬をみよ」文春文庫解説は山内亮史(社会学者)で、五木が好きだというエセーニンが自殺した時マヤコフスキーが文章を書いた、そのマヤコフスキーが 死んだ時パステルナークが駆け付けたという逸話を記して作品にはまるで触れないものだった。駒尺喜美『雑民の魂』も「さらばモスクワ愚連隊

    「蒼ざめた馬をみよ」その後 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2023/09/15
    ?
  • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

    1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

    大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記
    mugi-yama
    mugi-yama 2023/05/17
    詳細だ!
  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
  • 架空の試験 - jun-jun1965の日記

    もし私がミリオンセラーを出して金持ちの作家になり、秘書を雇うことになったら(ありえないが)、以下のような試験を課したいと思う。 ・以下は日近代小説の登場人物である。これらの人物が登場する作品名を書け(複数の作品に登場する場合は複数書いてよい) 小町田餐爾 内海文三 村越欣弥 葉越明 早瀬主税 葛木晋三 五十嵐伝吾 鷲見柳之介 間貫一 鴫沢宮 富山唯継 川島武夫 萩原初野 小野繁 関欽哉 小泉純一 長井代助 津田一郎 青山半蔵 岸捨吉 竹中時雄 瀬川丑松 猪子蓮太郎 大江匡 皐月葉子 時任謙作 藤代信之 斯波要 蒔岡貞之助 佐々伸子 尾方信吾 都筑明 得能五郎 静間重松 大庭葉蔵 犬飼多吉 杉戸ヤエ 和賀英良 多繁邦 正木典膳 東堂太郎 伊吹信介 財前五郎 杜岡冬人 唯野仁 火田七瀬 千葉敦子 山田桂子 根所蜜三郎 長江古義人 竹原秋幸 鈴原冬二

    架空の試験 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2023/03/14
    13点だった…
  • 赤木かん子への手紙 - jun-jun1965の日記

    児童文化評論家の赤木かん子に手紙を書いたのは、大学一年の時だったような気がする。それは赤木の「ヤングアダルト」というジャンルをもっと広げるべきだという論旨の文章に反対したもので、私は、高校生くらいになったら、別に大人が読むものを普通に読めばいいので、ヤングアダルトなどという細かい年齢による読書の区分けをしなくてもいいだろうと主張したのである。多分掲載誌の出版社宛てに出したのだろうが、返事は来なかった。当人が読んだかどうかも知らない。 その後の歴史は、現実には私の敗北で、公共図書館や大きな書店にはしばしば「ヤングアダルトコーナー」が設けられている。これはある意味で出版戦略の勝利であったかもしれない。だが私の、高校生になったら大人向けのものでも何でも読めばいいという考えは変わっていない。 私は図書館で、時々絵を借りるが、そうすると図書館員から「お子さんがいらっしゃるんですか」などと訊かれたこ

    赤木かん子への手紙 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2023/02/27
    “「お子さんがいらっしゃるんですか」などと訊かれたこともあった” さすがにこれは昔の話かなあ。今どきこんなこと言いだす図書館職員がいたらまずいんでねーの
  • ポモ崇拝者誕生の時 - jun-jun1965の日記

    2002年の12月に、東大比較文学出身者による「恋愛」シンポジウムが行われた。その時、「ドン・ジュアン」の比較文学などは成立しないと、プリンストン大学に提出した博士論文で主張していたヨコタ村上孝之は、その話をして、「じゃあドン・ガバチョの比較文学ってのもできるんですか」と言った。ポモ的詭弁であって、単に「女たらし」をドン・ジュアンで代表させたことを利用した言葉遊びに過ぎない。 だが出席していた大澤吉博教授は、そういう正面からの反論はせず、「ドン・ガバチョの比較文学、いいんじゃないですか」などと言っていた。これは午前中の部で、私は客席にいたから何も言えなかった。午後の部では私とヨコタの言い争いになった。 後日、比較研究室で、東アジアから来た留学生女子が、ヨコタのことを「頭がいい」と言うのを聞いて、ああいうペテンに引っかかる学生や若者がいるからポモが跋扈したんだなと思ったことであった。 (小谷

    ポモ崇拝者誕生の時 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2022/11/27
    “「じゃあドン・ガバチョの比較文学ってのもできるんですか」と言った” のは誰なんだろう…
  • 津原泰水と私 - jun-jun1965の日記

    私が津原泰水という作家を知り、いきなり電話で話して面倒なことになったのは、ちょうど十年前、2012年9月のことだった。二歳年下の津原は、当時川上未映子とトラブルの関係にあった。これは2010年に川上が新潮新人賞の選考委員に抜擢された時、津原が異を唱え(芥川賞受賞から三年で、早すぎるというのだろうが、これは私にも異論はない。新潮新人賞は又吉直樹の時も同じことをした)。そのあと津原の掲示板や2chに津原への誹謗中傷が書き込まれるようになった、というのが発端らしい。津原は川上とは面識があり、「尾崎翠とか読んだら」と助言したが、川上は尾崎翠を知らなかったとかいうのだが、川上の出世作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」(2007)が、津原の「黄昏抜歯」(2044)の盗作だというのは、津原が言ったのではなく、どこかから出てきた噂だったが、津原が自身への誹謗中傷の書き込みを川上、または川上の指示を受け

    津原泰水と私 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2022/10/18
    (登場人物が多くてよくわかんなかった…)(あと旬舞楽って何?)
  • 作家の長者番付 - jun-jun1965の日記

    新聞記事から、作家の長者番付の変遷を調べてみたが、2005年以降、発表されなくなったので、今どうなっているか分からないのは不便だ。死んだら除かれるから西村京太郎ではないだろうが、今は一位は誰なんだろう。〇は初登場。 1965 1,山岡荘八、2,松清張、3,源氏鶏太、4,石坂洋次郎、5,山田風太郎、6,柴田錬三郎、7,川口松太郎、8,水上勉、9,井上靖、10、石原慎太郎、11、司馬遼太郎 1966 1,山岡、2,源氏、3,松、4,谷崎潤一郎、5,川口松太郎、6,柴田、7,司馬 1967 1,松、2,源氏、3,石坂、4,山岡、5,柴田、6,井上、7,〇黒岩重吾、8,石原慎太郎、9,司馬、10、大久保康雄 1968 1,松 2,司馬 3,源氏 4,石坂、5,〇梶山季之 6,谷崎松子、7,柴田錬三郎、8,井上靖、9,黒岩、10,山岡 1969 1,司馬、2,松、3,梶山、4,〇佐賀潜、5

    作家の長者番付 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2022/04/10
    半村良とか筒井康隆って映画のせいだよね。映画ってすごいのねやっぱ(いまさら)
  • 「遊星より愛をこめて」新事実 - jun-jun1965の日記

    「ウルトラセブン」第12話「遊星より愛をこめて」は欠番となっており、それは登場するスペル星人が「ひばく星人」とされ、被爆したために地球人の白血球を取りに来たという設定が、原爆被災者を怪獣にしているようだという抗議による。 ところでこのことは、1970年10月の『小学二年生』についていた付録「怪獣カード」にスペル星人があり、そこに「ひばく星人」と書いてあって、それを購読者の子供が原爆問題の運動家の父親に話したことから広まったとされており、事実そのころ再放送されていた「ウルトラセブン」では、12話は飛ばされている。 だが、先日ヤフオクに出ていた、1970年3月の『週刊ぼくらマガジン』の付録「世界の怪獣王・円谷英二」に載っている、ウルトラ怪獣一覧からは、すでにスペル星人は消されている。 もし1970年という年次が間違いでなければ、「小二」以前に、スペル星人は問題視されていたということになるが、私

    「遊星より愛をこめて」新事実 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2022/01/30
    マジ?
  • 教えられないことを教える大学 - jun-jun1965の日記

    大学では、「学問」という「教えられること」を教えるところではあるが、一部、教えられないことも教えている。人文系の学科において、小説の書き方などを教えているところがあるが、小説の書き方は、基礎は教えられるがそれ以上はやはり才能である、ということは、まあたいていの人が分かっているからいいのだが、「批評」というのも、才能がなければ書けないのである。このへんは、教えている方はわりあい分かっているのだが、教わっている方は割合分かっていない。 北村紗衣の『批評の教室』(ちくま新書)が売れているようだが、これは、大学の学部生向け、特に北村が教える武蔵大学の学部生が、批評もどきを書くための手引きであって、実際にこれを読んでも批評としては面白くない。そういうものを新書として出すべきか、ちょっと私には疑問がある。 このにも蓮實重彦の名前が出てくるのだが、私は蓮實の「大江健三郎論」などのテマティック批評は、特

    教えられないことを教える大学 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2021/10/21
    “武蔵大学の学部生が、批評もどきを書くための手引きであって、実際にこれを読んでも批評としては面白くない” ?
  • 萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記

    一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがスト

    萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2021/10/13
    なんだかなあ
  • 俳優になりたかった - jun-jun1965の日記

    信じられないかもしれないが、私も一瞬だけ、俳優になりたい、と思ったことがある。高校一年のころである。結果的には、人づきあいが無理だろうといったことで霧消していったが、その時ちょっと悩んだことは、「嫌な人間を演じられるか」ということだった。たとえばきわめて男尊女卑的な男を演じるのは嫌だということがあって、もしその男が作品内で悪役として描かれているならまだいいが、肯定されていたら耐えられないと思った。じっさいその当時は「まあ女子は大人になったら家庭に入るわけだし」といったセリフを「中学生日記」の先生役が口にしたりしていた。 多分そのことは今でも尾を引いていて、たとえばフィクション小説を書くときに、自分では許せない人物というのを描けない。これはかなりまずい。だから殺人事件が起こるような小説は書けないのである。

    俳優になりたかった - jun-jun1965の日記
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    mugi-yama 2021/10/07
    その役と思想的に対立してしまう頭のいい人よりも、なんも考えずにセリフをしゃべれてしまうような人の方が役者には向いてるんじゃないかと思う。