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ブックマーク / www.gqjapan.jp (3)

  • 宍戸錠×矢作俊彦 対談──かつてこの国には「殺し屋」がいた

    黒のディナー・ジャケット、黒の細いパンツ、黒のシャツ、パールホワイトのタイ──。「エースのジョー」は、不敵な笑みとともに銃口をカメラに向けていた。目にも止まらぬ早業だった。日活アクション映画へのオマージュ作品『アゲイン』を監督し、その脚も書いた作家・矢作俊彦が錠を迎えた。マカロニ・ウエスタンより早くウドンウエスタンがあった時代が幻影のように浮かび上がった。

    宍戸錠×矢作俊彦 対談──かつてこの国には「殺し屋」がいた
    mugi-yama
    mugi-yama 2020/02/04
    かっこええ…
  • 文芸評論家、斎藤美奈子さんに聞く──作家たちがアイドルだった時代

    老いも若きもみんなが親しんだ(こともある)メディア空間として、紙の上の活字の世界には長い伝統がある。テレビもラジオもまだ普及していなかった頃から少なくともほんの少し前までにわたって、文壇は多数のインフルエンサーを輩出してきた。であればそれは、対象として語ってもらうに足る主要なジャンルのひとつであるといえる。『文壇アイドル論』の著者、斎藤美奈子さんに訊く。

    文芸評論家、斎藤美奈子さんに聞く──作家たちがアイドルだった時代
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/11/20
    綿矢りさと金原ひとみはさすがにどうかなあ。「文壇アイドル」的な見方だと一発屋って言ったほうが近いような気がするけど(作家としてのキャリアの話とは別に)
  • サルトルのポジ、ディランのネガ──GQ JAPAN編集長・鈴木正文

    1963年8月28日の「ワシントン大行進」に参加した22歳のボブ・ディラン。この日、この場所で、キング牧師が世界史に残る演説「I Have a Dream」を行った Photo: Photofest / AFLO ジャン=ポール・サルトルが1964年にノーベル文学賞の受賞を拒否したころ、ボブ・ディランは「風に吹かれて」を歌っていた。1963年にリリースされてディランの名を全米に知らしめたこの曲を、まだ中学生になりたての僕が知ったのは、ラジオのFEN(米極東放送網)から流れてきたピーター・ポール&マリーの、ディランの歌いっぷりとはまったく異なる美しい混声ハーモニーによるカバー・バージョンによってだった。 JFK(ジョン・F・ケネディ第35代米大統領)の暗殺は1963年11月のことで、その報を日人に最初に伝えたのは、奇しくも日米間の初の衛星テレビ中継の実験放送だった。この衛星中継は、宇宙中継

    サルトルのポジ、ディランのネガ──GQ JAPAN編集長・鈴木正文
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