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anonymousdiaryとlifestoryに関するmugi-yamaのブックマーク (35)

  • 高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた..

    高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた。 祖父は典型的な亭主関白だった。生まれは満州だったが3歳頃にこちらに引き揚げてきたためか、私は祖父の実家を知らない。親戚も数えるほどしか知らない。 山奥の農家に生まれた祖母と、満州でそれなりの家(祖父曰く曽祖父が閣下と呼ばれていた)に生まれた祖父が、なぜ結ばれたのかは未だにわからない。 唯一、 「わたしは断れなかったのよ、あの時から逃げられなかった」 と祖母が言っていたことだけは覚えている。 不摂生を祖母が咎めても怒鳴り返し、祖母がいうことは一つも聞かなかった祖父だったが、孫には優しかった。冗談好きで、会いに行くと必ず「おう、〇〇(母の名前)じゃねえか」「おじいちゃん」「おう、すまんな、ボケちまったらしい」とか、そういう冗談が常だった。 博識で、私の知りたいことはなんでも知っていた。ローマの歴史、新聞のつくり方、

    高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた..
    mugi-yama
    mugi-yama 2020/07/26
    “山奥の農家に生まれた祖母と…祖父が、なぜ結ばれたのかは未だにわからない” ちょっと話それるけど、関係者が存命のうちにこういう話きちんと聞いといた方がいいよ
  • 「人生の苦境を経験したから精神的に安定している」人の話

    精神的に安定してる人と結婚したつもりで、後から「その人はまだ人生で不安定になる辛いことがなかっただけ」とわかり、人生初の苦境で発狂する相手を前に途方に暮れる結末はよくあります。— トイアンナ (@10anj10) June 15, 2020 トイアンナ氏のこの発言を読んで、癌で死んだ母のことを思い出した。 母はめちゃくちゃ精神が安定していた。どんなことがあっても落ち着きはらっていた。 死に至る病を宣告された日の日記は、「わたしはがんだそうだ。いやだなあ」この一言で終わり。 中卒でといえば料理と裁縫くらいしか読まない母の語彙力では書き表せない思いもあったのだろうが、 しかし私の記憶の中にある母は笑顔でいるかそうでなければ私を叱っていて、 彼女の死ぬ直前の時期の記憶もあるのだが、まったく普段通りだった。 死ぬ前日も三母の手料理べて、翌朝は母が医者に行くということで父方の祖母に預けられ、

    「人生の苦境を経験したから精神的に安定している」人の話
    mugi-yama
    mugi-yama 2020/06/19
    “昔の世界ってものすごく非論理的だったんだなと思う” 数年前亡くなった祖母の生い立ちを母やら叔母に聞いた時私も似たようなこと思った。何それ?って話の連続。
  • 俺の人生で最高の時間は11年前だ

    高校生の夏休みに遠出してニコ生の踊ってみたのイベントに参加 高速バスで帰宅してすぐにパソコン立ち上げるとうpされてた それを見てたら「緑の服の人(俺)かっこいい」ってコメントに興奮 始めたばかりのツイッターアカウントに動画のこと書いたらフォロワーが増えて もしかしたら彼女できるかもwなんて思って その日は興奮して一日中寝れなかった お母さんから「晩御飯べないの」って聞かれたけど無視 ずっとニコ生のランキング見たり配信観たりゲームして過ごして 夜中2時お腹が空いてこっそり台所へ 晩御飯は残ってなかったので、インスタントラーメン作って そのまま朝までネットして気がつくと朝になってた 朝5時くらいかな、夏だからもう明るくて だけど人はいない、静かで特別な空気の中をふらっと歩いた ipod聞きながら散歩してたらアジカンが流れてきてさ 大学入ったらバンドやりたいなーなんて思って 近くの自販機でカフ

    俺の人生で最高の時間は11年前だ
    mugi-yama
    mugi-yama 2019/04/17
    “今はレオパレスの1階に住んでる” は「李さん一家」を彷彿とさせるなあ
  • 30%オフの菓子パン

    最近巷では「何者になれなかった」系の話が流行りらしい。ふうん、なんか都会の綺麗なひとたちはみんな大変そうだなあ。都会の綺麗な人たちが目指すものって、山手線みたいなやつなのかもしれない。よくわかんないけどさ。 ここで普通は私は〜からの自分語りなんだよね、パターン的には。なんかよ〜わからん詩的な事言った後に自分語り。わかんね〜。 バカでブスでデブにはカロリーが高い菓子パンの安い買い方しかわかんないんだよね。まあ閉店間際に買うってだけなんだけど。 成城石井の前を素通りして、電車代ケチって歩いて帰って近くの寂れたスーパーで30%オフの菓子パンで腹を満たす以外に能がない。 貧乏は太る。金持ちだった瞬間なんかないけどさ。 最近ふとした瞬間に思うんだよね、自分が美人の女だったんなら違った人生なんだろうなって。でもどうあがこうが自分は自分なんだよね。将来に対する希望もなければ夢もない、20になっても恋人の

    30%オフの菓子パン
    mugi-yama
    mugi-yama 2019/02/27
    “自分が美人の女だったんなら違った人生なんだろうなって” いやー大して変わらんと思うなあ(根拠なし)
  • 私のこと大好きって言ってくれるあの子

    私と遊んだ時は写真載せないどころか全然呟かないのに他の子と遊んだ時はめっちゃ喋るね。写真も載せるね。 私との写真を載せないの、私の写りが悪いからだと思ってたけど、なんで遊んだよってことも言ってくれないんだろう。 普通にSNSで会話もあって、二人で遊びに行くような仲なの隠されてる訳じゃないのに。 私と二人で行った場所、私との時は行ったことすら言わなかったけど、他の人との写真は載せてたね。 あの子の「大好き」は私だけのものじゃないんだ、って。 毎日のように会ってた頃は、大好きだよっていつも言ってくれて、頻繁に会わなくなってからも大好きだよって、自己肯定できなくてうじうじする私を些細なことで褒めてくれるの、嬉しくて。 でもあの子にとっては多分それが特別じゃなくて、だから他の子が落ち込んでたら同じように声をかけられるし、私はそれがすごく嫌。 でも、誰にでも言ってた訳じゃないと思ってるんだよ。 私「

    私のこと大好きって言ってくれるあの子
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/12/24
    たしか志賀直哉だったかが、小学校のとき自分の親友についての作文を書かされて、苦し紛れに前の席の生徒のことを書いたって話を思い出したり(微妙に関係ないんだけど)
  • 昔援助交際してた(追記しました)

    当たり前だけどリアルでは誰にも言えないので吐き出し。ただの自分語り。 当時中学生田舎暮らしで塾まで晴れてる日は自転車、雨の日は徒歩で通ってた。 自転車15分、歩いて50分くらいのところ。 両親共私になにもしようとはしてくれなかったけど祖父が私は勉強は出来るからもっと勉強しなさいってお金を出してくれてたので。自力で通ってたのは誰も送迎してくれなくて、授業が全部終わるとバスがなかったからだった。 田舎だから街灯も少なくて暗いんだけど、まあそもそも人通りも少ないし毎回特に気にせず帰ってた。それで、自転車がパンクして押して帰ってる日に性被害にあった。 (部活後に着替えずに行ったからジャージだったのによく性犯罪者は欲情できるなと今だったら思う) (強制性交ではなく強制わいせつ程度だった) 当時はパニック状態で、警察に連絡とか思いつかなかった。祖父に携帯を与えられていたから、電話するか悩んだけど祖父は

    昔援助交際してた(追記しました)
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/09/01
    勝手な希望なのだけど、小説か何かの形式でもっと長く書いてほしいと思った。
  • はてなで世間は馬鹿ばかりと知る

    中高は一貫の著名な進学校で過ごし、その後、東大に進学した俺には 知識として信じられんほど馬鹿な人が沢山いるのは知っていても、生の実感として「どれほどの頭の悪さか」を感じる経験がなかった Twitterとか他のSNSでは、なんだかんだ気に入った人としか関わらないので、彼らに呆れる事は少ない はてなに来て、主に政治系で、呆れるほどの馬鹿(scopedogなどの妄想系)を大量に見た事で、世間を構成する要素の一端を知った気がする 多分、生きている間に職場で密に関係をもつ事のない、ゾンビの様な人種だけど あんなのが生きていられるんだから、世界は優しいよな anond:20180827123835 (追記) 中高でも大学でも自分よりも優秀な人なんて腐るほど目にしてるわけで、一方で馬鹿だなと思う人間も多少は目にする事もある 良い環境に居ればいる程、幼少から身の程を知るものですよ。数学オリンピックで金メダ

    はてなで世間は馬鹿ばかりと知る
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/08/27
    “著名な進学校”の名前を出してないのはなんでだろう(と、書いてないことを妄想し始める)
  • 今夜も、妖怪たらればが来た。

    こっそり近づいてきて、耳元で、たらればたられば囁いてくる。 例えば、君の父親が働く人だったら。 君はもっと違った価値観を持って育っただろうか。 例えば、君の弟が元ひきこもりじゃなかったら。 あんな苦労ばかりだった時間の代わりに、どんな時間を過ごすことができたんだろうね。 例えば、君のおじいさんが借金の連帯保証人�になった親友に逃げられていなければ。 親戚達はずっと集まって、みんなで今も年に何度も宴会していたかもしれないね。 おじいさんもおばあさんも、あの借金に殺されたようなもんじゃないか。 すべてを清算して、生活保護の生活をはじめた途端、ふたりとも続けざまに死んでいった。 まだ60代だったのにね。 例えば、君が弟に包丁で刺されてなければ。 君はかすり傷だったから平気だと許してるけど、今も夢に出るんだろう。 例えば、働き者のお父さんと、優しいお母さん、殴ってこない弟だったら。 どんな人生だっ

    今夜も、妖怪たらればが来た。
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/01/27
    あのう、そんな壮絶な人生を歩んできて(鬱病はともかく)肌荒れと過呼吸ですんでるのは、ものすごい生命力だという気がするのですけど
  • 父親譲りの破天荒

    先日、某古チェーン店に漫画を買いに行ったときの事。 棚を挟んだ反対側から10代後半〜20代前半と思わしき男二人組の会話が。 『ほら。俺、父親譲りの破天荒じゃん!?』 …欲しい漫画はなかったがなんか良い日だった。

    父親譲りの破天荒
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/01/18
    ツレ(ほら、とか言われてもなあ…)
  • じいさんの経験した戦争

    じいさんは大戦中呉にいた。呉には予科練?という少年兵の学校があって、じいさんはそこにいたらしい。呉は軍港があって、大和と武蔵が出港していくのを観たそうだ。 じいさんはパイロットではなく、整備工として予科練にいた。戦後は水道工として働いていたから、そこで学んだことがじいさんの稼ぎに繋がってたのかもしれない。 整備工だったから、飛行機の作りには詳しかったらしい。アメリカの飛行機が不時着したのを皆で見に行った時(グラマンと言っていた)、じいさんは「あぁこの戦争は負ける。こんなもの作りをしている国に勝てるわけがない。」と悟ったらしい。 わしらは零戦をネジで手作業で作る。グラマンはリベットうちじゃ。作れる数が違う。 勝てるわけがない。じいさんが誰ともなしに呟いた事はよく覚えている。 戦争が終わった時じいさんは17歳だった。じいさんは予科練を卒業していたが、予科練は学校としては認められず、最終学歴は小

    じいさんの経験した戦争
    mugi-yama
    mugi-yama 2018/01/01
    こういう人が、ほんとに沢山いたんだろうなあ
  • 両親を軽く恨んでる

    僕は貧乏な家に育った。 両親も一人の兄も中卒で、自分の将来に相談にのってもらえるようなタイプではなかった。 僕は中学生までは何もしないでも勉強ができた。なぜ周りがこんな簡単なことができないか不思議だった。 高校に入って落ちこぼれた。こんなはずではないと思いながらも、両親も兄も勉強したことが無い人であり、どうしたら抜け出せるか相談ができる人ではなかった。 浪人した。父親は自営業でアル中で、家にいることが多い浪人の俺をゲスで少ないボキャブラリでなじった。酒臭い毎度のそんな小言に耐え、昼間はアルバイトし、夜は勉強の仕方もわからないので、写経のように中指が折れ曲がるほど参考書を書き写して(今も曲がってる)。そして誰でも知ってる名のある大学に受かった。 大学に入って、バイトして稼ぎつつ軽音楽のサークルに入った。少し才能が開花した。結果も残し大手事務所から誘いがあった。野球で言えば在京球団のドラフト2

    両親を軽く恨んでる
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/12/11
    あのー、それでいったい何に後悔されてるんでしょう?
  • 節電

    我が社は節電のため、トイレの明かりも未使用のときは落とすよう言われている で、まあ何だ、事中の人には申し訳ないが、自分、個室の方で気張ってたわけよ そこに人が入ってきた気配と、(小)の用足しの音 で、そのまま出ていったと思ったらプチッと電気が消されてトイレの中は真っ暗け 「うぉい!」と思わず叫んだら慌てて再点灯された 「まったく誰だよもう人が入ってんのに」とかブツブツ言いながらトイレから出たら目の前に社長が居た 結論:節電しない方がいい場所もある

    節電
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/09/27
    その社長さんチョビ髭はやしてそう(イメージ)
  • イケメンの姉

    姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。 まずは小学校の入学式のこと。 うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。 そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。 姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私は

    イケメンの姉
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/09/20
    1.お姉さんの言ってることが口から出まかせ(コスタリカとか)2.全体が創作(姉なんかいない)3.全部ホント どれでもいいから続き書いて!
  • Iさんについて

    職場で知り合ったIさんという女性の話。 うちの職場は繁忙期にデータ入力の短期アルバイトを雇っている。期間は3ヶ月で、毎年5人位が採用される。短期雇用なので学生が多いのだが、Iさんはその中のひとりだった。 Iさんは母親が日人で、父親はスロバキア人。両親がすぐに離婚してしまったので、父親に関する記憶はまったく無いらしい。 Iさんは18才までスロバキアで過ごし、日の大学に通うために都内に移住してきた。東京に住み始めて、今年で4年目を迎えた。 最初にIさんがオフィスに現れた時、僕ら社員の間で軽いどよめきが起こった。Iさんがめちゃくちゃ美人だったからだ。その場から完全に浮きまくっていた。ギャグ漫画の中に、一人だけ画風の違う美少女が混ざっているようだった。しかもIさんはただの美人ではなかった。かなり個性的なキャラだったのだ。 Iさんはかなり独特な日語を話す。最初に聞いた時は、シュールな現代詩みた

    Iさんについて
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/09/15
    絶妙なところでさらっと切り上げる感じがほんと良質の短篇小説みたい(太宰治の「満願」とか)。もっと読みたいという感じをずっと持っていたいので、個人的には続編は書いてくれなくてもいいです。
  • 1992年の個人的な記憶

    たしか、小学二年生だった僕は、ボロい一戸建ての社宅に住んでいた。 三つ年上の姉が家事をやっていたんだけど、細かい掃除まで手が届くわけもなく、家の中はいつも埃っぽかったのを覚えている。 カット済みの材が届く宅配サービスを利用していて、姉がそれを調理して夕を作り、夕方七時過ぎに帰ってくる父を待ってから三人で夕べるのが夕餉の風景であった。 朝は六時に起きて、聖教新聞提供のラジオ番組を聞きながら朝べていた。 家にはパソコンも携帯電話もなかったしそれは一般的だったと思う。 友達に用があれば固定電話にかけるか、直接家まで行って呼び掛けた。 僕はスーパーファミコンを買ってもらえず、ファミコンしか持っていなかったがそれでもテレビゲーム自体を買ってもらえない友達もいたので、それなりに満足していた。 年賀状は当然プリントゴッコで、ピカッと光るのがひどく未来的に思えた。 死んでしまった愛犬のダッ

    1992年の個人的な記憶
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/08/31
    思い出せないままにしとけば平和だったのに、気になって調べ始めたらなんかすごく怖い事実が明らかになったりしそう
  • なんか結婚できた

    今年の2月に結婚したのだが、そこに至るまでの経緯がかなり変わっているので、ちょっと文章に残しておこうと思う。 彼女と最初に会ったのは13年前なのだが、最近までほとんどまともに会話したことがなかった。 最初に会ったのは留学先のトロントだった。バイトしていた和レストランで、数回だけ彼女とシフトが重なった。その店は日人の留学生を積極的に雇っていた。 彼女は僕より先に帰国した。連絡先を交換することもなく、軽く挨拶だけして別れた。特に仲良くなったわけでもなかった。 数年後、彼女はマッサージ嬢になっていた。いわゆるグレーな店ってやつだ。僕はサラリーマンになっていた。会社帰りに先輩と酒を飲んで、酔った勢いで入った店に彼女がいたのだ。体のラインがくっきり見える白いワンピースを着ていた。スカートはパンツが見えるぐらい短くて、とんでもなくエロかった。お互いに顔を見合わせて、アッという顔をしたが、それ以上は

    なんか結婚できた
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/08/30
    なんて言うか、すごく清潔な文章だなあと思った。あとやっぱ「いつも顔色がいい」なんて言われたら、参っちゃうよなあ
  • 自分のテーマ曲はありますか。

    先週、上司におまえにはテーマ曲はあるかと訊かれた。答えることができなかった。思い浮かばなかったのではない。決めきれなかったのだ。 中学に入ってMDでORANGE RANGEを聴き始めてから今日に至るまで、ただ聴くだけでは済まない曲をいくつも築き上げてきた。曲に、思い出が宿る。 マキシマムザホルモンのFを聴いて今年振られた彼女を思い出して顔をしかめたりするのだ。 自分でも笑える。でもこれでいいのだ。 昨日の僕の誕生日。モトカノジョからメッセージは来なかった。 安心した。捨てた相手にメッセージ送っていつまでもなぶるような、そんな人ではなかったわけだ。僕の目は正しかった。君はやっぱりよくできた人だったよ。 八重洲のカラオケ屋で教えてくれた曲。「この曲がすごく好きでずっと聴いているんだ」 それは君が失恋してすぐだったからだ。そうに違いない。その曲が君の人生を通して特別なわけではなくて、今頃はどうで

    自分のテーマ曲はありますか。
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/08/09
    増田が急に黙りこんで自分の世界に入ってしまったので、ホントは自分のテーマ曲について語りたかった上司涙目。
  • 家族の思い出

    風呂掃除をしていてうっかりゾーンに入った。 タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。 普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。 今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。 以前、同居人がいた。2年と少しくらい一緒に暮らしていた。 同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな

    家族の思い出
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/07/31
    増田随筆というか増田私小説というか/言葉や固有名詞の選び方とか文字遣いとか雑なところがあるので、もうちょっと推敲した方が…あと性別や年令をぼかしてるのはわかるから最後のやつは不要(エラそうですまん)
  • うちの親父とドラクエ3

    明日はドラクエの発売日だ。 こういうタイミングになると、親父のこの話を思い出す。 うちの親父は、2児の父になってもゲームが好きで、子供にねだられる前に人気のタイトルを買ってくるような人だった。 そんな人だったから、当然ながらドラクエもやり込んでいて、ドラクエ3もやる気まんまんだった。 発売日の1週間前。 当時、デパートのおもちゃ売り場に知り合いがいたらしく。そいつに頼めば並ばずに買えるだろと、取り置きの電話をかけた。 どんな関係かは知らんけど、この人に頼みを断られたことがないとかで、OKしてもらう前提での連絡だった。 しかし、返事は予想に反してNO。 「いくら増田さんの頼みでも、今回ばかりは用意ができません……」 聞けば、ドラクエ3の当日発売分の数が少なく。その全部をお客様に売るため、社員には購入禁止令まで出たらしい。 上司に「たとえ店長が来ても売るな!」と厳命されたとかで、絶対無理ですっ

    うちの親父とドラクエ3
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/07/29
    私も2月11日に、前にいた小学生とⅠとかⅡの話をしながら並んだなー(10日はバイトだった)。あの子ら今何やってんだろう?
  • 【追記あり】『普通の大人』になるので精一杯だった。

    親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。 残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。 親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。 それでもとうとう行く先が無くなって、小学校を卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。 底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめも暴力も当たり前に横行してた。 薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。 あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。 私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばか

    【追記あり】『普通の大人』になるので精一杯だった。
    mugi-yama
    mugi-yama 2017/07/26
    増田さんの人生が過酷だったかどうかに関わらず、そーゆー要らんこと言う人はただのバカなので無視してていいと思います。