貿易商人だった預言者ムハンマド 前回の続きです。言葉は概念の運び手であり、文化の総体の写しでもあります。ムハンマドがアッラーの啓示を授かった当時の世界では、東西ローマ帝国、ペルシャ帝国、中華帝国の三つの帝国が文明の中心でした。アラビア半島はこれらの文明の中心からは外れた周辺部に位置していました。 といっても、アラブ人は文明から隔絶した未開の民ではなく、ローマ帝国とペルシャ帝国とは交易関係があり、「知識はたとえ中国にあったとしても追求しなさい」とのムハンマドの言葉が伝えられているように、遠い中華帝国さえ視野に収めていました。 ムハンマドの故郷マッカは、カアバ神殿の門前町として栄えた商都でした。孤児であったムハンマドは、幼い頃は羊飼いをしていましたが、少年になると伯父に連れられてシリア貿易の隊商にも加わり、商人として身を立てました。 アラブ遊牧民にも2種あり、それは半ば定住した羊遊牧民と、砂漠