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表現とコミュニケーションに関するD_Amonのブックマーク (3)

  • 規制派への視線について - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090716/p1 てゆーか、ぶっちゃけ戦略とかどうでもいいんですよね。ぼくの問題関心は、全体的な風潮としての反規制論と、規制派を「キチ○イ」「電波」の領域に落とし込むことでしょうか。 ■どう見てもバカなあいつのこと http://d.hatena.ne.jp/flurry/20080116#p1 自分のことに比べて、あいつのバカさ加減はなんと自明に思えることでしょう! さらに言うならば、ある種の信念は、他人と自分との認識のギャップであったり、無知な他人が居るという信念だったりに支えられているのではないでしょうか。 といういつものアレですが。 もしかすると「敵を悪魔化する手法」といったほうがとおりがいいかしら。 まあ、たとえば http://anond.hatelabo.jp/20090716142012 ですかしら。 これに

    規制派への視線について - hokusyu’s blog
  • ある困難について - 素通りできなかった時のために

    ■沈黙していることと「気で思うことは出来ない」と公言すること 思う事と言う事が直結している、なんて馬鹿げた事は、たとえば幼児でなければ、そんな事はありえない。というか、思うことをそのまま言わない事によってしか、われわれは生きられない。 日常生活をちょっと想起すれば分かることで、お前さんは、思ったことを全て口にして生活しているのか、と問えばいい。そして、言うまでもなく、日常生活もまた政治である。 ほんとうに感謝していなければ「ありがとう」と言えないというのは、幼児が良く陥る陥穽で、親戚のおばさんなんかに欲しくもないおもちゃを買ってこられて、ありがたく無いからありがとうが言えずその事で叱られ号泣したりする。 それも大人になれば、朝も早くから会いましたねという気持ちがなくても「おはよう」と、疲れていませんか大変ですねという気持ちがなくても「お疲れ様です」と言うことになる。ときに、当然言うべきと

    ある困難について - 素通りできなかった時のために
  • 当然の帰結だろ - apesnotmonkeysの日記

    だから、何で「表現の自由を訴えていることを理由として」なの? なぜ? ってわかんない理由がわかんないや。ある種の表現を法で規制すべき、と主張する人間はその種の表現が引き起こす(ないし引き起こすであろう)被害の問題については「法規制すべき」と主張するというかたちですでにコミットしているのだから、それとは別のかたちでのコミットメントをことさら要求すべき理由がない*1。彼らに求めるべきはむしろ「法規制するとして、それから?」という問いに取り組むことであろう。 ある種の表現についての(現状よりも踏み込んだ)法規制を拒むことによって放置される問題については、法規制に反対する人間が率先してコミットするべきであるのは当たり前のこと。だって、自分の主張が受けいれられた場合の帰結にどう対処するか、って問題なんだから。自分の主張が持つ含意に責任持てない人間は、それこそ黙っててもらうしかないだろ。 *1:もちろ

    当然の帰結だろ - apesnotmonkeysの日記
    D_Amon
    D_Amon 2009/06/15
    福祉の充実にコミットするなら、そのための予算配分にコミットするくらい当然のこと。分からない人は「医療予算充実のために無駄な道路を削れ」といった種類の主張を見たことがないのだろうか。
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