という表題の言明が意味するところがよくわかったというケースがあまりありません. 「非論理的」は「論理的」を否定しているのですから,この言明のうらには「日本語は論理的である」があることになります. この2つの言明をくらべてみて,一方では成り立つけれど他方では成り立たないような事態があれば,それがつまり「論理的」「非論理的」の意味のちがいだと考えてよいでしょう. では,それはどのような事態なのでしょうか. 主語が省略されていることをさして「日本語が非論理的である」の一例としているひとがたまにおられますが,では表層に主語があると「論理的」なのでしょうか*1. たとえば,ぼくが「うう〜,眠いです」と発話したら,主語はないとしても話し手=ぼくが眠いと理解されます(なぜそうなるか,ということは脇に置きましょう).したがって,こういった場合にも「眠い」という述語はちゃんとその項をもっているわけです. 「