思った以上にこの話題に関心が集まるのでもう少し分かりやすく書いてみる。後半の部分がどうもわかりにくいとも言われるが、アレはアテコスリの部分であるのでわざと分かりにくく書いているのでもあるが。 まず問題とすべきなのは差別意識という言葉の難しさであろう。意識とはその本質として他人からは判断がつかないものである。ある行動をした者に対して「差別意識がある」と糾弾することは確かに正当な非難であることもあるが、そのような意識が客観的に確定されない以上、問題とすべきなのは差別的言動の方である。そして「私は差別意識を持たない」と自称するのが確かに無駄な宣言であり、そのようなことは普段の言動から遡って判断されるべきである。だが、それとは逆に「誰でも差別意識を持っている」などとニヒリスティックに語る行為が正当化されることはありえないと思う。なぜなら「差別意識を持っている」などと公言するのは、間接的な発話行為と