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ブックマーク / note.com/kazumakawauchi (4)

  • 人間の脳には『“思考態度”のエラー』と『“思考回路”のエラー』が存在する|河内一馬

    スポーツ競技とは「争」うことであり、事前に定められたルールに基づいて、どちらが多くの得点を奪うか、どちらがより美しいか、どちらが先に目的を達成するか、などの「優劣」をつける行為であることは間違いないが、では、「“競う”ことで争う」行為と「“闘う”ことで争う」行為、この両者に違いはあるのだろうか。 ▼前回の記事(Vol.1) 前回の記事では「サッカーとは何か?」を把握するために、存在するスポーツ競技を単純化することで「6つ」の競技に分類し、その分類方法を『Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)』と定めた(以下CST)。 今回は、この分類の中で最も大きな差異である『競争(Competition)』と『闘争(Struggle)』について、さらに理解を深めるための準備をしていきたい。 ■定義の確認 競争:「異なる時間」または「異なる空間」において、その優劣を

    人間の脳には『“思考態度”のエラー』と『“思考回路”のエラー』が存在する|河内一馬
  • 【総論】 なぜ私たちは闘う必要があるのか?:Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)|河内一馬

    【総論】 なぜ私たちは闘う必要があるのか?:Competition and Struggle Theory(競争闘争理論) ——— ある何らかの事柄を分析する際、私はよく、その事柄自体を抽象化し、他の類似する事柄と対比させることで、それによって生まれる相違や類似、または一致を元に思考を重ねていきます。私にとってそのような思考法は、これまでの人生において無意識的に行なっていたものでしたが(それに気付くのにも随分と時間がかかりました)、こと「サッカー」という、人生における最も重要な事柄においては、ある種、意識的に行う必要があるのではないかと、そのように思っております。 まして、私は「サッカー」という事柄を生業にし、さらには、他人を通して表現行為を行なおうとしている身です。私の頭の中にある思考の根拠や、回路、概念を、自らの言葉で説明することが出来ないのであれば、それは全くもって意味のないものにな

    【総論】 なぜ私たちは闘う必要があるのか?:Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)|河内一馬
  • なぜ彼らは異常なまでに「見た目」に気を配るのか——。“弱い”と“ダサい”は比例する|河内一馬

    人はを表紙で判断する。最高の製品、最高の品質、非常に有益なソフトウェアなどを備えていたとしても、見せ方がいい加減であれば、いい加減なものにしか見えない。創造的で洗練された見せ方をすれば、望ましい特性を持たせることが出来る——。 ▼Vol.3 * 冒頭の文章は「の売り方」について書かれた書籍から引用したものではなく、ニュージーランド代表ラグビー集団「オールブラックス」について書かれた著『問いかけ続ける』から引用した文章である。このには『世界最強のオールブラックスが受け継いできた15の行動規範』というサブタイトルが付けられている。私は、彼らほどスポーツの世界で「勝ち続けている」集団を他に知らない。 ■ビジネス的視点は全て「副産物」 私はこの「サッカーにおけるブランディング」を考察するシリーズの冒頭で、以下のように書いた。 “文章で扱うには極めて相性が悪いテーマであるということを前提に読み

    なぜ彼らは異常なまでに「見た目」に気を配るのか——。“弱い”と“ダサい”は比例する|河内一馬
  • 芸術としてのサッカー論|河内一馬|note

    【告知】 オンライン座談会|井筒陸也×河内一馬:『サッカーを「書く」』 初めて彼の文章を読んだとき、これは何か「普通のJリーガー」ではないなと、そう感じました。『敗北のスポーツ学』という哀愁の漂うタイトルをつける井筒陸也が書く文章からは、サッカーをプレーするということに対する大きな苦しみや、葛藤のようなものを感じ、それからしばらくして彼が『プロサッカー選手を辞める』とメディアで突然発表したとき、僕は「Jリーグが新しい領域に入ったな」と、なぜだかそう確信したのを覚えています。 その後運よく出会うことができた僕らはこれまで、サッカーというものを軸に

    芸術としてのサッカー論|河内一馬|note
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