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ブックマーク / pledgecrew.hatenadiary.org (14)

  • 「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape 一般的なものであれ、特定の人間に対するものであれ、人間の様々な行為や行動に対する批判的な言及は、人間の意識、つまりはその内面に対する問いかけを伴わざるを得ない。いささか型にはまったものが多いとはいえ、「差別」はいけない、「いじめ」はよくない、というような、よくある一般的な啓蒙だってそう。人間の意識=内面への問いかけを伴わない批判など、なんの現実的な変革ももたらさない、無力な批判にすぎない。 たとえば、アメリカでの黒人差別に反対し抗議した人らの活動は、なによりも、そのような差別を当たり前のもの、自明のこととしていた人らの意識=内面への問いかけを伴うものであったはず。そして、そのような批判を多くの人が正当なものとして受け入れた結果、現在では、少なくとも、公然たる「人種差別」は非難

    「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)
  • ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 PledgeCrew [在特会][支持する] 「非暴力」を旗印にした戦略家気取りのブコメには反吐がでる。問題は逮捕された少年を見捨てるかどうか。司法判断など関係ない。在特会の言うように彼が帰国子弟であるなら、彼にとってこれはただのゲームではない 一定の状況の中で、結果としてある行為をおこした者について、そこに一定の正当性を認め、そちらの側に立つということを表明したからといって、それはただちにそのような行為そのものを礼賛し、他の者にも同様の行為をとるよう呼びかけることを意味するわけではない。上の記事を読む限り、toledさんが言っているのもそういうことではあるまい。 もしも、そのような理屈が成

    ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)
  • id:kurahitoへの返答 - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/kurahito/20091004/p1 http://b.hatena.ne.jp/kurahito/20091007#bookmark-16544943 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kurahito/20091004/p1 kurahito id:PledgeCrew 「どうでもいい」のは文。BMする価値がないので消した。 "基地外"はネットスラングでしょう。言葉狩を逆用している点で、"国語(ry"的柔らかい排除よりは価値があるかと。 kurahito id:PledgeCrew 「人にもよる」し、「発言者の思想を知らない」のであれば、「根拠のない印象語り」でFAでは?はてな村人の思想を知ることは難しくないはずですよ。 「言葉狩り」を逆用だって? いつから、ここは「ビッグブラザー」の

    id:kurahitoへの返答 - 遠方からの手紙(別館)
  • 過去記事の発掘 - 「表現」に伴う責任 - 遠方からの手紙(別館)

    public という概念について(2007/12/11) 英語の単語で日語に訳しにくいものに、public という言葉がある。一般には 「公」 とか 「公共」とか訳されるのだが、どうもしっくりしない。辞書をひくと、「社会」 とか 「世間」といった訳語ものっていて、たぶんこっちのほうが来の語感に近いのだろう。 たとえば、public domain という言葉がある。例をあげれば、著作権や特許権で保護されていない、誰もが自由に利用できる技術や情報などを、public domain に属するという。また public knowledge は、普通 「公知」などと訳されているが、これも同じように、特定の個人や団体が独占しているのではない、広く一般に知られた知識のことを意味する。 「表現の自由」とは、たんなる内心の自由や思想・心情の自由とは違う。他人には見せない秘密のノートに「○○のバカ!」とか

    過去記事の発掘 - 「表現」に伴う責任 - 遠方からの手紙(別館)
  • 村上春樹のエルサレム賞受賞について - 遠方からの手紙(別館)

    いま議論になっている、村上春樹のエルサレム受賞については、あちこちのブクマでごちょごちょ言うのでなく、きちんと書いてみたいのだが時間がない。 というわけで、まことに手抜きながら、id:fujiponさんのところに書き込んだコメントを転載することでお茶を濁すことにします。 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090127 上の方は、今回の授賞が、村上春樹の作品がイスラエルの多くの人の心に響いたことを示すものだとおっしゃっていますね。彼の作品は、世界中で読まれていますから、イスラエルにもおそらく多くの読者はいることでしょう。日人もイスラエル人もパレスチナ人も、「読者」としては等価なのもその通りです。 おそらく、今回の授賞を決めた人々も、彼がイスラエル国内に多くの読者を持っていることを考慮したのだろうと思います(詳しいことは知りませんが)。しかし、授賞を決めたのは、

    村上春樹のエルサレム賞受賞について - 遠方からの手紙(別館)
  • 「党派性」または「党派的行動」に関するメモ - 遠方からの手紙(別館)

    「党派性」あるいは「党派的行動」とは、なにも政治思想や政治的行動などの場においてのみ発現し、また発揮されるものではない。 自己の正当性をあくまで主張するために、自己の誤謬を後付の詭弁で隠蔽すること、自分にはなんの過誤もないのであり、自分はあくまで「被害者」であるかのように主張し装うこと、意図的であるか否かにかかわらず、自己の「敵」とみなした相手の言論を「曲解」すること、あるいは「わら人形」論法でもって相手を卑小化したうえで、自己の優越性を意味もなく誇示すること、さらにはあからさまなダブルスタンダードを行使して、自分の「味方」とみなした者を内容にかかわりなく擁護すること、そういった行動はどこの世界でも見られることであり、誰もが陥りうる誤りでもある。 「党派的行動」とは、ようするに主観性を排して客観的にものを見ることを放棄した、現実的または仮想的な集団による「私的利害」に発した利己的な行動に過

    「党派性」または「党派的行動」に関するメモ - 遠方からの手紙(別館)
  • 「無敵論法」についてのサンプル - 遠方からの手紙(別館)

    「無敵な論法」の数々 1. 具体的な問題を抽象的で陳腐な一般論に還元して、それが意味のないものであるかのように装う論法 彼が言いたかったことが君の言うとおりだとすると、「全体最適の方法は常に正しいわけではない、危険な方向に暴走する可能性もありうる」というだけのことだ。 そういう一般論ですむのなら、どんな機械や道具の「取扱説明書」にも、乱用や誤操作に対する警告を記載する必要はない。彼がもともと言い出した原子力発電所の例であっても、操作についての具体的な注意や、誤操作をした場合の警告を徹底させる必要もない。 なぜなら、どんな装置にも「危険な方向に暴走する可能性」はありうるのであり、「そんなことは猿でもわかる」のだから。 2. 自分の誤りを認めることを拒否する後出しじゃんけん論法 hokusyu君が言っていたことと私の言っていたことに共通部分があってはいけないという論法が理解不能。 だれも「共通

    「無敵論法」についてのサンプル - 遠方からの手紙(別館)
  • どこまで続くぬかるみぞ - 遠方からの手紙(別館)

    ここにSokalian氏がずっと居座って、えんえんと管を巻いています*1。困ったものです。 さて、かつてSokalian氏は次のように言ったことがあります。 実際のところ、こういう「最適解」を現実に直ちに適用するのは学問的手続きとしても粗雑なものとしてしか扱われない。学問上の前提の倫理的判断という必要な手続きが省略されているからだ。 トリアージ批判が理解できない理由 (2008/8/11) 一方、hokusyu氏は、「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か (2008/5/23)の中で、次のように書いていました。 さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。 資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内

    どこまで続くぬかるみぞ - 遠方からの手紙(別館)
  • 詭弁を弄しているのはいったい誰なのだ - 遠方からの手紙(別館)

    しかしねえ、自分たちがすぐに理解できないことは全て「問題点」だと信じて疑わない自分たちの認知の歪みについて考えてみようとしないのかね。とりあえず私とかその他の人間を馬鹿だということにしてそれで終わりとしたいみたいだけど、自分たちがものごとをわかってないだけだとわからないんだろうか。 そんなこと言ってたら、たとえば「国民国家という幻想」なんてフレーズを使った瞬間にネット右翼に炎上させられても仕方ないってことになるんだよ?そんなこともわからんのかね?当に君たちは自分で自分たちを窮屈な立場に追い込むような偏狭な価値観を主張してるという自覚が全然ないんだね。 加藤尚武による丸山批判のコメント欄より ある問題に関して前提となるべきことの大切さを知っているがゆえに、それが欠落している議論に含まれる問題点を指摘した批判と、ある論議で前提となっていることを知らない、おのれの無知だけを根拠にした者による明

    詭弁を弄しているのはいったい誰なのだ - 遠方からの手紙(別館)
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/09
  • 無敵の印象論法(ちょこっと追記) - 遠方からの手紙(別館)

    まあ、なんちゅうか、誤読の指摘を受けてまともに反論もできずずるずると後退するか、せいぜい「〜としか読めません」とか「〜に決まっています」、「そんなことを言ってなんの意味があるのですか」などと、それこそ論証抜きの主観性丸出しのことを言う人にあれやこれや言われてもですね。 それこそ、無敵の「印象論法」というやつでして、なんの意味もありゃしませんね。 追記: そのなんですね、トリアージや「全体最適化」論に含まれる問題点を指摘しただけで、お前はトリアージを否定するのかとか、そんなことを言ってなんになる、などと言い出す心性というのは、過去の日の過ちを指摘されると、お前は日を否定するのかとか、そんなことをいまさら言ってなんになるのだ、などと言い出す人らとそんなに変わらんと思いますよ。 彼らもよく言いますね。「そんなもの、先人を貶めようとしているとしか読めません」とか、「あなたたちは、日が嫌いなの

    無敵の印象論法(ちょこっと追記) - 遠方からの手紙(別館)
  • 加藤尚武による丸山批判 - 遠方からの手紙(別館)

    加藤尚武というと、今やすっかり倫理学者というイメージがあるが、もともとはヘーゲル研究者として出発した人である。もっとも、今はヘーゲルに代表されるドイツ観念論よりも、英米流の功利主義思想を評価する立場に移行しているようだが。 東大闘争時、助手を務めていた加藤が目撃した、全共闘学生による丸山吊るし上げの場面の回想などで話題を呼んだ、「進歩の思想 成熟の思想」に納められた加藤による厳しい丸山真男批判の一節。 厳密に言えば、『日政治思想史研究』で丸山の用いる西洋哲学用語は全部間違いである。たしかに旧制高校の秀才の常識という程度の、通り一遍の意味では間違いとは言えない。しかし言葉の歴史的な背景に一歩踏み込めば、どれ一つとして適切ではない。丸山には言葉の深層にまで達する水準での西欧思想体験がないのである。... 西洋の文化的な土壌から引き抜かれて移植されたカテゴリーは、しかし日文化の記述方法として

    加藤尚武による丸山批判 - 遠方からの手紙(別館)
  • ちょっと一言 - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081115/p1 コメント欄のSokalian氏の発言より >でも、「ドナーが足りない。一人のドナーの臓器で十人が助かる」という状況でも普通に生きている人の人権停止をしてその臓器で十人を助けるなんてことは行われないでしょうに。 明らかに全然違う話をしとるわな。トリアージというのは生きてる人間を殺すようなことはしていない。手遅れの人間を後回しにするだけや。 「トリアージというのは生きてる人間を殺すようなことはしていない」などということは、誰もが認めていること。 しかし、常識的に考えれば、すでに手遅れの人間を後回しにすれば、ますます手遅れになるだろう。したがって、それは手遅れの人間に医療資源を投入することは無駄なことだという理由によって、手遅れの人間を「見捨てる」こととほとんど同義である。 だからこそ、トリアージという作業は、現場

    ちょっと一言 - 遠方からの手紙(別館)
    D_Amon
    D_Amon 2008/11/28
    PledgeCrew氏の応答の丁寧さに頭が下がりまくりです。なんとも申し訳ない気持ち。
  • 中国はどこへ行く (2) - 遠方からの手紙(別館)

    現代の世界では、南極を除いて大洋に浮かぶ孤島や地の果てのような地域まで含めて、すべての土地はどこかの国に属している。近代以前の国家の領土が、そのときどきの勢力に合わせて、ゴムのように伸び縮みする融通無碍なものであり、その国境が輪郭線のない印象派の絵のように曖昧なものだったのに対して、近代の国家は明確でしかもできるかぎり固定された国境線を求める。 国家と国家がせめぎあう中で、他国との間に帰属の曖昧な土地を残しておくことは、相手国による併合を座視することであるから、すべての国家は周辺国との力関係を計りながら、自国の力が許す限りで周辺の土地に対する領有権を主張しようとする。それは、そこにすでに誰かが居住していようと関係ないし、もちろん彼らの意志とも関係ない。幕末に日ロシアと結んだ領土条約も同じことである。 そういうわけで、国家と国家の合間、その隙間で国家を形成せずに居住していた人々は、そのよ

    中国はどこへ行く (2) - 遠方からの手紙(別館)
  • 中国はどこへ行く (1) - 遠方からの手紙(別館)

    数日前に、チベットの首都ラサで起きた 「暴動」は世界に衝撃を与えた。チベットは形式的には中華人民共和国内の自治区となっているが、実際にはほとんど自治権などないに等しいと言っていいだろう。これまでにも、何度となく中国政府の政策に対する抗議や分離・独立を求める活動が起きており、イスラム教徒が多い中央アジアの新疆ウィグル自治区とともに、中国政府が民族問題についてもっとも神経を尖らせている地域である。 事件後、中国政府はその裏にはチベットの分離・独立を求めて画策するダライ・ラマ14世の 「陰謀」が存在していると非難している。しかし、そのような非難は、むろんまったく信憑性に欠けるし、ダライ・ラマの現在の立場はチベットの独立ではなく、「高度の自治」 を求めているとのことだ。 だが、そもそも人口わずか200万のチベットの分離・独立を認めたところで、中国にとって現実的脅威となるわけでもない。内陸の奥地にあ

    中国はどこへ行く (1) - 遠方からの手紙(別館)
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