「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる鳥取県境港市出身の漫画家、故・水木しげるさんが戦争を描いた代表作「総員玉砕せよ!」。その構想ノートが去年、遺品の中から発見されました。ノートに記された、水木さんの「戦争」…
日本の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にある。そうした「限界分譲地」の取材を続けているブロガーの吉川祐介さんは「限界分譲地は戦後の土地開発ブームに乗じて作られた。居住ではなく投機が目的だったため、放棄された空き地が虫食い上に広がっている。限界分譲地に住むことは可能だが、自治会は機能せず、道路や公園は雑草で埋もれることもある」という――。 日本に点在する、忘れ去られた分譲地 戦後の日本は近年に至るまで、深刻な住宅問題を長く抱えてきた。 終戦直後は、空襲で家を失った人や復員兵や引き揚げ者の住宅の確保。人口増と高度成長がもたらした都市の過密と住宅不足、そして住環境の悪化という問題があった。 過熱する土地開発ブームによる地価の高騰などもあり、どの時代においても庶民は、激変する社会情勢の中で、ひとつのマイホームを確保するのが精いっぱいの状況だった。 地価高騰の時代と聞くと、1980年代末ごろのバブ
『世界史講義録』に、文章の整理と校正をほどこして、ほぼ完全書籍化。 107回以後は書き下ろし。2分冊となりました。 皆さんに重宝される本になることを願っています。枚数制限なしで出版をしていただいた学研教育出版さんに感謝。 これは、私の高校世界史の授業を記録したものです。語り中心で、生徒達に世界史の面白さを伝えようと意識した授業です。あらゆるネタをかき集め、時には、俗説、珍説、奇説、私説をまじえながら、「見てきたような」話で生徒を引きつけようというわけです。脱線話も含め、可能な限り忠実な再現を試みています。ですから、少々くどいところもありますし、各ペ−ジは、長文です。しかし、実際の授業の雰囲気を伝える手段と考えています。世界史の面白さ、楽しさを、伝えることが出来れば幸いです。(1999.3.19) 金岡新 世界史講義録 第1回 最初の授業(1999.4.12) 第2回 人類の登場(1999.
仙台というと「牛タン」というイメージがありますが、いったいなぜ牛タンが名物となっているか気になってしまって、調べてみました。 仙台=牛タンというイメージの誕生は戦後間もない頃まで遡ります。 戦後の1950年代、アメリカの駐在軍が多かった仙台には、大量の牛肉が運び込まれていました。 当時は食糧難だったこともあり、その牛肉の余ったタンとテールをなんとか利用しようと試行錯誤した結果「仙台=牛タン」という名物料理が誕生したわけです。 しかし そんな歴史がある牛タンですが、ここまで有名になったのにはさらにそのスタイルにヒミツが隠されています。 ここでは、なぜ?仙台という街と牛タンの関係について詳しくご紹介していきますので、ぜひ興味がある方はチェックしていってください。 ▶あわせて読む:牛肉の部位『タン』牛タンに種類があるのは知っていますか? 仙台で牛タンが調理されるようになったのは戦後から なんとな
(トップ画像は岸田文雄総裁選特設サイトより) ・ 自民党総裁選の結果、予想を大きく裏切る「決選投票前の段階で岸田氏が一位」の勢いのまま、「岸田文雄総理」が誕生することになりました。 私は8月31日に書いた記事↓ で、 もし岸田首相になったらその「変化」は、もしダークホースとして高市早苗さんが当選して初の女性首相が誕生するよりも、もっと大きな「変化」になるんじゃないか・・・と感じています。 …と書いていました。 とはいえこれは単にグダグダの頼りない何も決められない国になる危険性と隣合わせでもあるため、岸田総理になりゃそれでいいという話ではないわけですね。 単純に言えば、河野氏になるか、高市氏になるか、どちらにしても「わかりやすい」情勢ではあったわけです。 岸田氏になったらそういう「わかりやすい斬り方」はできなくなります。グダグダの何も決められない政治になる危険性だってある。 しかし、そういう
1986年東京生まれ。ベルリン在住のイラストレーター兼日英翻訳者。サウジアラビアに住んでいたことがある。好きなものは米と言語。 前の記事:DHLには社員しか買えないオリジナルぬいぐるみがある > 個人サイト words and pictures ストーンと言う単位 アメリカやイギリスでは、メートルやグラムではなく、ヤードやポンドなどという単位が使われていることは、よく知られている。 これは「ヤード・ポンド法」と呼ばれる単位系なのだが、私のようにメートル法で育ってきた日本人にとってはなんとも分かりづらく、イギリスに長年住んでいる人もなかなか慣れないそうだ。 私の住むドイツも日本と同じくメートル法なので、ヤードやポンドとは無縁な生活を送っていたのだが、つい数年前、今まで聞いたことのなかった単位の存在を知った。 「ストーン」という単位だ。 ストーンは大きい石、それとも小さい石? それは、イギリス
よく分からない理由で吹っかけられる戦争がある 戦争を始めるには、指導者にどんな下心があるにせよ、一応皆を納得させられる大義名分が必要です。 ただ歴史を眺めてみると、どう考えても理不尽極まりない理由で始まった戦争も少なくありません。戦争は合理的に始まり合理的に終わると考えるのは、合理主義者が陥りがちな罠ですが、どう考えても理性的じゃない理由で戦争をふっかけられる場合もあるものです。 1. 野良犬戦争(1925年) 兵士が野良犬を追いかけ回し開戦 第二次バルカン戦争と第一次世界大戦で敵同士だったギリシャとブルガリアは、国境線を巡っていさかいが続いていました。互いに罵り合い、煽り合い、不信感が高まり、どんな些細なきっかけでもエスカレーションが起こる危険性が高まっていました。 この戦争は両軍が睨み合うペトリッチと呼ばれる国境地帯で起こりました。 1925年10月22日、あるギリシャ兵が野良犬を追い
「そんなに水路を造るのが難しいのなら、普通の畑にすればいいじゃないか」「なぜ、そんなに水田ばかりにこだわるんだ」という疑問がわいてきます。実は、これはとても重要な問題なのです。日本という国そのもの、国土や社会の仕組み、文化や教育、人の気質や体質、人々の生活や行事にいたるあらゆることが水田社会を基に形成されてきたからです。 日本に水田が定着した大きな理由として、まずは農地としての優秀さが挙げられます。つまり、太陽エネルギーの変換率が非常に高いこと。 現在の日本は外国からたくさんの食料を輸入していますが、江戸時代は完全に自給自足、つまり、国内の農地から生産されたものだけで約3000万人が暮らしていたわけです。江戸中期の農地面積は約300万haですから、1人あたり約10a(おおよそ32m四方)になります。同じ頃のヨーロッパでは、1人生きるのには1ha(100m四方)以上の農地が必要だったといわれ
アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフ(Алекса́ндр Васи́льевич Суво́ров, ラテン: Alexandr Vasiljevich Suvorov, 1729年11月24日(ユリウス暦11月13日) - 1800年5月18日(ユリウス暦5月6日))は、ロシア帝国の軍人。ルムニク・スヴォーロフ伯。イタリア大公。ロシア帝国歴代3人目にして最後の大元帥。軍事史上でも稀な不敗の指揮官として知られる。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1729年11月24日、モスクワで貴族の家に生まれる(1730年出生説もある)。父のヴァシリ・イヴァノビチ・スヴォーロフはピョートル1世に仕えた将軍であった。母のアヴドーチヤは、同じくピョートル1世に仕え、オリョール総督を務めたアルメニア系貴族フェドセイ・マヌコフの娘であった。 初期の軍歴[編集] 12歳頃、アブラム・ガンニバルが父ヴァ
吉村英崇🎂8/28が誕生日と覚えなくて良いのよ_(: 3 」∠ )_ @Count_Down_000 『俺らから搾取して許せねえ!』 ……と集団で討入りしたら、悪と思っていた相手の本陣が、自分たちよりみすぼらしく、実は必死に仕事を回していた。 けど、もはや暴走は止まれないし、仲間に見せるわけにはいかないので彼らを討つ、なんなら居合わせた仲間も口封じで討つ。 現実でも似た話あるでな 2021-08-21 20:30:22 吉村英崇🎂8/28が誕生日と覚えなくて良いのよ_(: 3 」∠ )_ @Count_Down_000 リアルごんぎつね、あるからな 歴史でも結構、あるんじゃないかな? 俺らの生活が悪いのはアイツらのせいだ!と思って、殴り込みにいったら実は彼らのお陰で本当の地獄ではなかった しかし、止まれないので、討ったら当然すくいがなくなるので、本当の地獄が始まるのは……史実ならどこら
前回の続きです。追記があるのでそちらもどうぞ。 nogreenplace.hateblo.jp 前回の件がまとまったと思ったら記事と呼ぶにはおぞましい何かが出てきたので言及していくよ。こちとら引越ししたばかりで忙しいんだから記事くらいちゃんと調べてから書いてくださいよ。そのライターの分の金おくれよ。 magmix.jp ドラえもんはホームドラマではない まず「ドラえもんでは父親の影が薄い」という説の根拠が「多くの人がフルネームを知らないから」という残念なもの。そんなことを言ったらとなりのトトロのお父さんも名前知らない人が殆どというか作中明かされないからとなりのトトロという作品では父親が不在とか訳の分からないことになる。ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんやおばあちゃんだって長年名前が分からなかったけどその2人が存在感薄いかと言うと全然そんなことはないだろう。「フルネームを知らない人が多いから存在感
慰安婦問題をテーマとしたドキュメンタリー映画『主戦場』をめぐり、ケント・ギルバートさんら5人の出演者が、監督と配給会社を相手取り、映画の上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求めている裁判。その判決が1月27日、東京地裁で言い渡される。公開直後からSNSで話題となった作品はなぜ争われているのだろうか。これまでの経緯を振り返る。(ライター・碓氷連太郎) ●監督をつとめたのは日系アメリカ人 監督をつとめたのは、米フロリダ州出身の日系アメリカ人、ミキ・デザキさん。2007年に来日し、2012年まで山梨と沖縄の学校で英語指導助手をつとめた。その後、帰国したデザキさんは2015年、上智大学大学院進学のため再来日し、慰安婦問題をテーマにした映画の制作をすすめた。 完成した『主戦場』は2018年に韓国の釜山国際映画祭で初上映され、日本でも2019年4月から公開が始まった。ジャーナリストの櫻井よしこさん
事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨
https://anond.hatelabo.jp/20211026193844 で、「iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか」を書いた増田です。ブクマが1600もついていてびっくりしました。いままでどんな気合い入れてブログを書いてもブクマ100もいったことがないのに、勢いに任せて書いた増田が1600とは…こういうのみんな知らなかったんですかね。 いろいろ言及してくれた人がいるんで、答えられる限り答えていきたいと思います。 >増田のいたS社ってのは、三洋電機? まあ、隠す必要ないよね。そうです。ハイ。名古屋の工業系の大学を出て入りました。あの頃の三洋はすごかったんだ。二次電池、太陽電池、デジカメ、無線通信など、地味に覇権取ってた技術分野がいくつもあった。新潟で半導体も作っていたし、有機ELだって開発してたんだ。パナからは下に見られていたけど、社風はちょっと緩くて、でも活気があっていい会
最近増田でホットなAndroidとiPhoneの罵り合い。楽しいですね。 なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。 で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済も
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