日本で「プライヴァシー権」が初めて法的な争点となった三島由紀夫の「宴のあと」事件や、最高裁にまで争いが及んだ柳美里の「石に泳ぐ魚」事件をはじめ、作家が特定の人物をモデルに書いた小説をめぐって無数のトラブルが生じてきた。 そのもっとも新しいケースが文藝春秋社の文芸誌「文學界」2021年9月号に直木賞作家の桜庭一樹が「初めて私小説の形で書いた」(8月6日のTweetより)という「少女を埋める」をめぐって、「朝日新聞」の文芸時評で同作を取り上げた翻訳者の鴻巣友季子と桜庭との間で交わされた論争である。 同作は桜庭を思わせる東京在住の作家・冬子が入院中の父が長くないと母から聞き、7年ぶりに故郷の鳥取に帰るところから始まる物語なのだが――モデル小説の歴史から見ると、今回のトラブルはきわめて奇妙な点がいくつかある。 日本の近現代文学上のモデル小説のトラブルの歴史を扱った『プライヴァシーの誕生』(新曜社)
ちなみに、Wikipediaによると、「具体的な中間項」とは、「国家や国際機関、社会やそれに関わる人々」を指している。つまり、東の定義によれば、セカイ系とは「小さく個人的な関係が、一気に世界的な大問題に直結する作品」を指していることになる。 大森による(らしい)指摘は、それはべつだんセカイ系とされている作品の専売特許でもないだろう、ということだろう。 しかし、どうだろうか。広くセカイ系の代表作と見られる作品、『ほしのこえ』や『最終兵器彼女』などを見ていると、やはり従来のSFとはどこか違っているようにも感じられる。具体的にどこがどう違うのか、少し考えてみよう。 セカイ系と「SF的リアリティ」の欠落。 まず、思いつくのはセカイ系作品のSF的な意味でのリアリティの欠如である。ぼくはよく庵野秀明監督の『トップをねらえ!』と新海誠監督の『ほしのこえ』を比較して考えるのだが、前者にはたしかにあった「S
佐藤亜紀の「天使」という、藝術選奨新人賞を受賞した長編小説は、第一次大戦を背景に、超能力を持つ少年を描いた作品だが、半ばまで読んでも面白くないので、文春文庫版の豊崎由美の解説を読んでみた。するとこれは、美少年が貴族的美青年へ成長していくのを舌なめずりしながら読むという美少年趣味の小説であるということが分かり、まあそれなら私が読んでも面白くないのは当然だなと思った。 だが不思議なのは、豊崎がそのように解説しながら、なぜ世間の文藝評論家はこの才能を理解しないのかと獅子吼していることで、今もやっているようだが、なんで美少年小説を文藝評論家が評価するいわれがあろうか。 なるほど佐藤は『小説のストラテジー』を読めばヨーロッパ文化に造詣が深いのは分かるし、文章も巧みに書けている。もっとも私は他の作家でも、こういう技巧的な文章は評価しないのだが。 私が大学に入ったのは1982年で、豊崎も佐藤もだいたい同
「俺ガイルは純文学」知らない人からしたらまず「俺ガイルってなんだよ」って話だし、それが『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』というラノベの略称を指していることを知っていたとしても「ラノベが純文学とか何言ってんの?」となるだろう。それはそうだ。だって俺もそうだったから。 このブログは、俺が『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』を読んで激しく、本当に激しく、言ってしまえば人生を変えられるかもしれないほどに激しく心動かされたから書いている。最終巻まで読み、どうしても言葉にしなければいけないという焦燥感から文字を打っている。どうか、「俺ガイル」を知っている人も、知らない人も、そしてラノベというだけでそれを忌避している人も、このブログを読んで一読を検討してほしい。すでに読んだことのある人には釈迦に説法な部分もあるだろうが、あなたの同じ一読者の考えと思ってどうか我慢していただきたい。 ※ブログ
文学の哲学は、存在論、認識論、倫理学、心の哲学、そして美学から、哲学的に文学を考察する研究ジャンルである。 物語とは何か、物語は人生の何を教えてくれるのか、作者とは誰か、詩的想像力とは何か、フィクションとは何か、詩の深遠さとは何か、キャラクタになぜ惹かれるのか、文学作品はどんな存在なのか、そして、文学とは何か。 本稿は、The Routledge Companion to Philosophy of Literature*1 を参照しながら、主に英米圏における文学の哲学の主要な32のトピックを紹介する。文学の哲学について関心のあるひとがさらに学びを深めるために、あるいは、美学や文学の研究者の方が研究の手がかりとするために役立てばと思う。計三万字強あるので、頭から読んでいただくのもうれしいが、気になるところからすきな順番で読んでもらえればと思う*2。 定義とジャンル 1. 文学の概念 2.
大学院の授業で学生たちに「先週、課題を出さなかったっけ?」と聞いたら、日本の学生はクビを縦に振ったが、イタリアから来た2人の留学生は首を横に振った。答えは「課題を出さなかった」である。日本では質問した相手に対して応答する。答えが「出さなかった」でも、否定形の質問に同意する。アルファベットの国では質問の内容に応答する。答えが「出さなかった」なら、「出さなかった」事実を示す。それを再確認して、みなで笑った。 いま大学で十数年ぶりに『ダンス・ダンス・ダンス』以降の村上春樹の文学を講義している。以前は『ノルウェイの森』までを、テクスト論者として村上春樹を意識せずに論じた。しかし、いまは僕の関心のあり方が変わったのか、作家、村上春樹を意識しないで論じることはできなくなっている。それで、十数年前に作った講義メモがあまり役に立たなくなった。たとえば、村上春樹自身が語っているように、『ノルウェイの森』の大
福嶋亮大 どいつもこいつもナメとんのか――、少々下品だが、これがここ数ヶ月の文壇の醜態を目の当たりにした、私の偽らざる感想である。言うまでもなく、早稲田大学教授の文芸批評家・渡部直己のセクハラ事件を端緒にした一連の騒動、および芥川賞候補作になった群像新人賞受賞作である北条裕子「美しい顔」をめぐる盗用疑惑を指してのことである。それぞれについて私見を述べる。 私はほかならぬこのRealkyotoで渡部直己とは対談したことがあり、今回の騒動の直前には彼に代打を頼まれて、福永信とのトークショー@芦屋市立美術博物館に急遽出演したくらいで、以前からかなり親しい間柄である。彼の女性遍歴についても知らないわけではないけれども(近年はそちらの方面は「卒業」したのだろうと思い込んでいた私の認識は甘かったのだが)、そこはプライヴェートな領域に関わるので触れるべきではないだろう。一般論として、男女の問題は外野には
発端は四方田犬彦が「ガロ」に連載していた日録「犬も歩けば」の1996年1月分の記述の一部であろう。 一月二日 十人ほどが新年会に来る。こないだ上海で買ってきたアヒルを料理する。わりとうまくできた。出口三奈子・良兄妹*1がイクラとタラコとオキヅケをどっさりもってきてくれる。ニーナとトシが東大の上佑クンという渾名の学生を連れてきた。なるほどそっくりだ。東浩紀というこの学生はひとりでデリダだとか、ドゥルーズだとか、誰もここではわからないことを酔っ払って叫んでいる。NYではどんなパーティでもこうした場違いな人物が一人は混じっていたものだった。最後に辰ちゃんが呑み足りない連中を連れて、新宿のゲイバーに引張っていく。 クラコフのアンナ・シュリヴァからカードが来る。なつかしさでいっぱいになる。あのおとぎ話のような邑に行ったのは、もう四年もまえのことだ。 ❝四方田犬彦「一九九六年 高輪」(『星とともに走る
上田秋成『雨月物語』、本居宣長『源氏物語玉の小櫛』から、小林秀雄「様々なる意匠」、大西巨人「俗情との結託」、そして蓮實重彥『夏目漱石論』、柄谷行人『日本近代文学の起源』まで、江戸後期~近現代の批評七十編を精選、解題を付した、渡部直己『日本批評大全』(河出書房新社)が上梓された。日本の批評はいかに展開し、成熟し「切断」と「終焉」を迎えたのか。その歴史と全貌を俯瞰した一冊となっている。刊行を機に、柄谷行人氏と対談をしてもらった。(編集部) 柄谷 行人 / 思想家 / 思想家。東京大学大学院人文科学研究科英文学修士専攻課程修了。一九六九年、「〈意識〉と〈自然〉」――漱石試論」で第一二回群像新人文学賞〈評論部門〉を受賞。著書に「意味という病」「マルクスその可能性の中心」「反文学論」「日本近代文学の起源」「隠喩としての建築」「批評とポストモダン」「内省と遡行」「探究Ⅰ」「探究Ⅱ」「言葉と悲劇」「終焉
このブログは名前が表す通り、自分が読んだ本、漫画、ドラマ、ゲームなどの感想や考察がメインコンテンツです。 余り細かいことは気にせずに、自分の思ったことを自由に書いていたのですが、先日、石田衣良が語った「君の名は。」の感想に、新海誠が(石田衣良を名指しこそしていないが)不快感を示した、という記事を読んで非常に考えさせられました。 www.news-postseven.com news.biglobe.ne.jp 他人の創作物について、色々と感想を語っている側の人間として、いま一度「書評とはどうあるべきなのか」ということを自分なりに考えてみたいと思います。 創作物は公表された瞬間、どんな批評をしようが自由である 個人的にはこう思っています。 自分は表題のところに「好きも嫌いも全力で語る」と明記している通り、どんな創作物に関しても、自分の感じたことをそのまま言うようにしています。 「すごい面白い
時間SFの文法 決定論/時間線の分岐/因果ループ 文芸 浅見 克彦(著) A5判 248ページ 並製 定価 3000円+税 ISBN978-4-7872-9233-9 C0095 在庫あり 奥付の初版発行年月 2015年12月 書店発売日 2015年12月17日 登録日 2015年11月12日 紹介200作品を超える時間SFを読み解き、タイム・トラベル、並行世界への跳躍、自己の重複などの基本的なアイデアや物語のパターンを紹介する。そして、物語のシニカルさやアイロニーを踏まえながら、時代感覚への批評性を秘める時間SFの魅力をあぶりだす。 解説H・G・ウェルズ『タイム・マシン』、R・A・ハインライン『夏への扉』、J・G・バラード『結晶世界』、P・K・ディック『逆まわりの世界』、R・シルヴァーバーグ『時間線を遡って』、J・フィニイ『ふりだしに戻る』、M・ジュリ『不安定な時間』、K・グリムウッド
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く