この戦略が嫌だったのは自民・公明だろう。彼らは結局、玉城ではなく翁長と戦うことになってしまったからだ。 佐喜真サイドは戦略的に辺野古移設への賛否を最後まで示さなかった。示せずに論点を「対立か対話か」に持っていこうとしたが、それも不発に終わった。 対話ができるかどうかは相手次第であり、力関係のなかでの対話とは一方的に許諾を迫るための儀式にすぎないことを翁長の死が示していたからだ。 玉城陣営は選挙戦の最後まで「翁長」に全面的に頼ることになった。彼のキャッチフレーズであった「イデオロギーよりアイデンティティ」をより強調し、「翁長の遺志」を継ぐことを訴える戦略である。 半信半疑 玉城陣営が事務所近くの施設に構えた開票会場――。9月30日19時を過ぎる頃にはメディアの数は膨れ上がり、身動きすらとりにくい状況になっていた。 各社の出口調査は概ね出揃い、かつ同じ傾向を示していた。玉城優勢。それも圧倒的優