タグ

能登と長野に関するneco22bのブックマーク (3)

  • 信州でとりわけ、ちくわが食べられるようになった理由・歴史的背景 - (仮)アンクルの俳句等練習帳&出会いのノート

    ネットに出ていた能登の水産会社・スギヨ関連の記事から、信州でとりわけ、ちくわがべられるようになった理由・歴史的背景などを探ってみよう。 ポイントは信州にあったということのようである。交通が未発達の大正時代、内陸の長野県では魚介類が貴重品だった。スギヨは、定置網に入っても用にならなかったアブラザメをちくわの原料として活用し、量産を始めた。 スギヨは、ちくわの穴に塩を詰めて腐敗を防ぎ、七尾港から新潟県の直江津港まで海上輸送し、そこから馬車で長野県へ運び込んだ。江戸時代、能登や越中・氷見のブリに塩をすり込み、それを飛騨や信州へ運んだブリ街道があった。スギヨはスピリット精神で「ちくわ街道」を拓いたのである。 長野県では「ちくわを買えば、穴の中の塩も使えるので一挙両得」と人気を博し、みそ汁の具の定番となるほど売れた。今でも長野県のちくわ消費量が際立って多いのは、このような歴史的経緯がある。 そ

  • 信州のソウルフード「ビタミンちくわ」 スギヨ

    石川県・七尾市に社を構えるスギヨは、江戸時代、七尾を代表する網元として水産業に携わり、そのルーツは300年以上前に遡る。明治元年に鮮魚問屋及び定置網業を創業し、ねり製品の「ちくわ」の製造を始めてから100年余りが経過している。 大正時代には、定置網に入っても引き合いなかったアブラザメを「ちくわ」の原料として活用した。交通が未発達の当時、「ちくわ」の穴に塩を詰めて腐敗を防ぐ方法を考案し、船と馬車を使って遠方の長野県などに輸送した。内陸部の消費者からは「魚介類と塩が1度に手に入り、一挙両得」と好評を得た。 昭和27年に発売した「ビタミンちくわ」はビタミンA・Dが豊富なアブラツノザメの肝油を配合したアイデア商品であり、戦後の厳しい栄養事情の中で貴重な栄養源として全国で売れるようになった。誕生から半世紀以上を経た今も「ビタミンちくわ」は長野と石川で根強い人気を誇り、とくに長野では、ビタミンちくわ

    信州のソウルフード「ビタミンちくわ」 スギヨ
  • 「ビタミンちくわ」の秘密 - 上越タウンジャーナル

    2010-08-01 「ビタミンちくわ」の秘密 ニュース 上越地域のスーパーで、ちくわを探すと、石川県のスギヨが製造している「ビタミンちくわ」が圧倒的なシェアを占めている。カマボコをはじめとする練り製品が特産の上越地方で、なぜ石川県のちくわが幅をきかせているのだろうか。 スギヨの「ビタミンちくわ」 まずは石川県七尾市に社がある「株式会社スギヨ」に聞いた。 同社は、明治期にちくわの製造・販売を初めて100年以上たつ老舗で、世界で初めてカニカマを開発したメーカーとして知られる。「ビタミンちくわ」は戦後の復興期の1952年に発売し、半世紀あまりを経た今も、当時のままの商品名で消費者から支持されているロングセラー商品だという。 上越のスーパーで良く売れるビタミンちくわ 「ビタミンちくわ」の販売量は、地元の北陸が3割なのに対し、長野と新潟で7割を占める。県内では上越市や妙高市で良く売れるという。

    「ビタミンちくわ」の秘密 - 上越タウンジャーナル
    neco22b
    neco22b 2012/06/02
    交通が未発達な大正時代、長野では魚介類が貴重品。竹輪を七尾港より直江津港へ海上輸送し長野へ輸送。腐敗を防ぐため穴に塩を詰めたが中の塩も使えるのでお得と人気。経由地の上越でもスギヨの竹輪が普及。
  • 1