セレウコス朝の始祖セレウコス1世(在位:前305年 - 前281年)はマケドニア王ピリッポス2世(在位:前359年-前336年)の部将アンティオコス(英語版)とその妻ラオディケ(英語版)の間に生まれた[1]。前334年にマケドニア王アレクサンドロス3世(大王、在位:前336年 - 前323年)がハカーマニシュ朝(アケメネス朝)を打倒すべく東方遠征を開始すると、そのヘタイロイ(幕僚)の一人として参加した[1]。 アレクサンドロス3世は前333年11月のイッソスの戦い、前331年6月のガウガメラの戦いでハカーマニシュ朝の王ダーラヤワウ3世(ダレイオス3世、在位:前336年-前330年)が率いる軍勢を打ち破り、短期間のうちにその旧領を征服したが、前323年にバビロンで病死した[2]。残された将軍たちはアレクサンドロス3世の後継者(ディアドコイ)たるを主張して争った。彼らによる一連の戦いはディアド