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いやね、体罰を肯定する人の気持ち、わからなくもないのです。人間ってのは不可解な生き物で、思うとおりには動いてくれない。部活でスケープゴート的な体罰、というのは論外だと思うけど、つい「愛のムチ」と言いたくなることを全力で否定できるかというとちょっと悩んでしまう。だから、こういう問題は心情と切り離して原則を適用すべきだ、としたい。 現場の教師からすると、目の前にある、なんとかなしなければならない事態(繰り返し述べるが、部活を強豪にしなければならないのはその教師の個人的な事情であるため論外)に対して「原則を貫いて有効な手をうたない」か、「原則から外れて手を打つ」かの葛藤があるに違いないと思っている。葛藤がないのだとしたらそれは単なる暴力であるから。 でも、体罰が「有効だ」というのは本当なのだろうか。ここに大きな問題がある。 同校を“常勝校”へと育て上げる中で、顧問は生徒にたびたび手をあげていたが
出版不況だとかなんとか言われているけどさ、出版業界ももうちょっとなんとかリテラシーなるものを身につけないとどんどん出版業というものの価値が毀損されていくよ! 森昭雄氏の新著『ネトゲ脳 緊急事態』に驚く人たち - Togetter 爆笑したのはこれ いやいやいやいやまてまてまてまて。 これは後で原文をチェックしなければ…意訳で十分な気がするけど自分の目で確かめないと… 落ち着いて煽りを見てみましょう。アマゾンから。 ネトゲ脳 緊急事態 作者: 森昭雄出版社/メーカー: 主婦と生活社発売日: 2012/12/14メディア: 単行本 クリック: 39回この商品を含むブログ (2件) を見る内容(「BOOK」データベースより) 世界で急増するインターネット&ゲーム依存者。IT先進国の韓国では、多発するネット関連事件に、国を挙げて予防・治療体制を確立しつつあります。韓国の最新画像診断や脳科学の進歩で
村長が色々やって面白いエントリを書いてた。 「はてサ」と括らずに個々の論者に取り上げるべきと言われたのでやってみた - ARTIFACT@ハテナ系 別に内容についてどうこう言うつもりはないんだけど、なんとなく、「何を言ったか」ではなく「ダレが言ったか」を過大に重要視するのが政治色の強いとされる行動だとされるのはなんかちょっと0か1かみたいで嫌なんだよね。 というのの極端なところがこの地蔵さんのやつ はてサの見つけ方 - 今日も得る物なしZ これもすごい不思議で、南京大虐殺っていうのはまああったかなかったかを争うような事案 でもないと思うんだけど、被害者の人数云々って言っただけで非難轟々ってのはどうなんだろうかと。なんか非常に踏み絵的なんだよね。 いわゆる左翼的思想、あるいは左派であることと、歴史認識の問題というのは本質的には違う話だし、 サヨクというよりは親中派(親中共)というカテゴリーな
経緯はこう いやー、詳しい話聞いてみたいですね。単価の低さなら負けないっすよ!← http://homepage1.nifty.com/maname/log/201211.html#160757 しかし、オフレポは伏字だらけになりそうである… まだ時間場所未定ですが年内は無理かなー(仕事的に)。年明け早々にでもやりたいですね。 以下余談。 僕はあんまりこういう場に出てこないイメージはあるよね。出不精なのは確かです。人見知り気味だったのも確かです。過去形なのは仕事しているとそういうのなくなるよねーみたいな。 古くはパソコン通信時代、完全個人の草の根BBSなのに回線が7本もあるというおかしなところに出入りしていたんだけど、そこのマスターと麻雀オフが最初だったかな。 当時、そこに出入りしたいたメンバーの消息は今はよくわからないけれども、人間関係というのは不思議なもので、大学のサークルの先輩(と言
はてブではすでにボロクソ言われてますね。フラグ立ちまくりと。ちょっとこれは解説せねばなるまいか… 以下はすべてとある人からの伝聞です。伝聞なんだってば。 みずほ銀行が次期システムの開発をマルチベンダー体制で進めることが日経コンピュータの取材で判明した。富士通、日立製作所、日本IBM、NTTデータの4社に分割発注する。 [スクープ]みずほの次期システムはマルチベンダー、4社に分割発注 | 日経 xTECH(クロステック) 周知の話だけすると、現行システムにおいては 勘定系(ホスト)…富士通 営業店端末システム…富士通 インターネットチャネル(ダイレクトバンキング)…IBM 情報系システム…IBM 周辺系(中継系)…IBM 外部接続系…日立 コーポレート銀行勘定系…日立 等々、すでにここに出てきているベンダーがマルチベンダーの状態で仕事をしている。また、ここ重要なところだと思うけれども、ベンダ
破を見たときはこんなに色々考えたり書いたりする気なんて一切起きなかったのにQはすごい。僕もまたチルドレンということなのか。 一切衒学的な話は交えず(わかんねーし)、1度だけの見たままを記憶の限りで考察するので、考え方を異にする人も多いと思いますが、アウトプットしておくことは何かになる気がするので気にせず。 冒頭 強奪される初号機。ということは、凍結したのはNERVということか。なぜこのタイミングで強奪したのか。いや、そもそもこのタイミングはいつなのか、ということは明確に語られていない。どこから繋がっていようが、いわゆる「サード・インパクト」から14年間のどこかで、ということになる。もっとも、テクノロジーが急激に進化することはないと考えると、そのあと初号機からシンジをサルベージし、ヴンターを建造するためにかかる時間の直前とは思うけれど。 で、問題は使徒らしきものの正体。第12でいいのかなあ。
【あ】明日まであと57時間 【い】いいからお前は帰れ! 【う】失われた設計書のことを振り返るんじゃない 【え】影響確認?知ったことか! 【お】お客様からお電話です 【か】環境構築が…まだ…だと…? 【き】協会が逃げ出しました!もうもちません! 【く】苦しいのは今だけだ…このフェイズさえ乗り切れば… 【け】計算が合わない…あと3日余裕があるはず… 【こ】今度の土日はサーバー室が停電です! 【さ】作業計画が完璧なら…このプロジェクトは成功する… 【し】仕様変更ではない!考慮漏れだ! 【す】すべての設計書を見直せ!今すぐだ! 【せ】セーブしてなかった…くそexcel異常終了しやがって! 【そ】ソースコードがデグレしています! 【た】大変なのはみんな一緒だ!我慢しろ! 【ち】ちえんははっせいしていません!よていどおりです! 【つ】つじつまを合わせるためには…完了したことにするしかない… 【て】手が
踊り子さんには手を触れてはいけませんよ… というのは常にコミニュケーションにおいて原理的には対称性を抱えるウェブではほぼ成立しない話です。相手が見るか見ないかは結果でしかなく、ウォッチの事実を提示するところからスタートする以上、ウォチャーの活動は公知といってもよろしい。 とはいえ、上から目線で小馬鹿にすることころから先に進むか否かは大きな問題ですね。 僕はウォチャーでもあり干渉屋でもあると自己認識してます。まあ、はじめのころにあれだけアレだった以上単なるウォチャーを気取るのは無理かな。ただ、僕自身が主体的に現実におけるこの界隈の活動を行っているわけではないので、巻き込み型干渉はしませんというかできませんね。ああ、オフ会くらいはやってみたいところですが… さて、青二才の人の件。シロクマセンセがブロックして見たりとなにやら面白いことになっていますね(超他人事モード 重みは違えども、責任無責任の
ゾゾタウンとやらは僕はサイトにアクセスした事もないのですが、あの社長の暴言は内容は正しくやり方が間違っている典型ですね。往々にしてですが、そう言う場合、頭に血が上ってる間は「何で正しいこと言ってんのに非難されなきゃならんのか」としか考えることができなかったりしますよね。にしても、あれはまさしくチンピラの言葉であり、情けない話ではあります。 ところで、この件はそもそも公共の場で軽々しく詐欺呼ばわりした女子高生?にも非があります。日頃の活動柄、高校の先輩として高校生〜大学生に接することが多いですが、僕の周りでそんなこと言ったら周囲の人間はみな一喝します。 難しいのはこれが他人の目に触れないところであれば周囲の大人の問題になるだけなんですが、ウェブで公言されてしまうと途端に立ち位置が難しくなっちゃうんですよね。当事者が怒ると「何万フォロアーもある奴が高校生に暴言」とか言われてしまうし、寄ってたか
否定の言葉を吐き出す時は気をつけなければなりません。そもそも、日常的な会話の中では批判をするのに言葉が否定になっていることが多いです。 「全然ダメ。話にならない」 状況や文脈を共有している人の中では、これは批判として成立します。作った資料をレビューしてもらって、こう言われた時、それが価値観の否定になるかというと、そういうことにはならない。そもそも価値観が本題ではないからというのもあります。 でも、なにか新しい価値観を提唱する際に、既存の価値観を否定することでそれを持ち上げる、ということをついやってしまいがちなのですよね。議論の過程においてはそれはありです。が、広く一般に伝えるときにそれをやってしまうと本当に伝えたいことよりも、価値観の否定の独善的な部分が目立ってしまって目的を達成できないことがあります。 どうも勘違いしているように思うんだけど、ノマドという概念そのものは「なんか違わね?」と
システムエンジニアの過労死の話を聞くと心が冷えます。体の問題も心の問題も個人差がすごくあってそれも才能の一つと考えると不幸せになりますが、現実においては比較的頑強な個人をベンチマークに労働の量が決められてるように思えます。 最近違う現場にヘルプに行くことが多いのです。いわゆる火消しですね。とはいっても、現場と掛け持ちですから管理的なポジションにはつけず、主に実務面のお手伝いをします。すると、設計書を書いたりコーティングをすることになるわけです。だから、比較的若いエンジニアや協力会社の人と接することになるんですが… なぜ火消しに呼ばれるかというと、当然ながら成果物が上がらないからです。なぜ上がらないのか。平たく言ってしまえば、その局面において無能な人しか実務が出来ないからに尽きます。ああ、言っちゃったぜ… 設計書を書ける人は客との無意味な調整とスケジュール管理に忙殺されプログラムを書ける人は
働くことに対する考え方は人それぞれで良いと思うのだが、こと待遇(対価)については少なくともそれが「労働」という枠にある場合においては法的にも規定がある通り、社会的な基準というものは存在する。 きちんと労働について学んでいればきちんとした理論と用語によって説明できるんだろうけど、そうでないので、社会人としての一般的と思われる認識を自分の言葉で述べることとする。なので、以下の話には認識相違はあるはずだが、とりあえず。 この「好きなことを仕事にできているんだから、たとえ薄給であっても幸せだ」という考え方は、結果的にみんなを不幸にすると僕は思う。そもそも、仕事をして給料がもらえる根源的な理由は、その仕事を通して自分が経済的価値を生み出しているからにほかならない。どんなに仕事が苦しくて辛いものでも、生み出した経済的価値が少なければそれだけの給料しかもらえないし、逆に、どんなに仕事が楽で、ほとんど遊ん
カギ括弧の意味について:ekken まあいまさら言うまでもないことではあるけれども。 誤読ってのはどうしたって起きます。理由はいろいろ。文章が難解、誤解を招く記載、受け手側がアホ、書き手側がアホ、etc... カギカッコにしても、「ああこれは強調なんだなー」「これは皮肉だろうか」と読んでも間違えちゃうことはありますよね。 例えば「普通は」って書いてあった時に、ああこれは相手が普通じゃないって言っているんだろうと思うこともあれば、何かイレギュラーな事が起きたんだろうなって思うこともあります。個人的には、カギカッコによって「特別な意味」が付与されるってのは実はなくて、文章における特別な意味を持った(込めた)部分を強調する、というのに過ぎないんじゃないかとは思っていますけどね。文脈上の解釈を間違えないようにするためのツールでしかなく。 だから、カギカッコがついてなくても間違えずにいられるような文
何に対して金を払うかって部分で微妙なんだよな。 甲論乙駁あるようで、抜けている視点がある。 ピークロードプライシングだ。 http://agora-web.jp/lite/archives/1486181.html 最初に言っておくと、これは具体的な方法論であって視点ではないよね。混雑緩和をしなければならないと言う視点はたくさん提示されてたと思う。とはいえその間違いが議論の中身を損なうわけではないので続ける。 時間帯別料金を設けて、混雑路線のラッシュアワーだけ高額料金を取ることにすれば、ピークは平坦化することができる。 http://agora-web.jp/lite/archives/1486181.html とはいえ、これって難しいのではないかな。後段でその方法について述べられているけど、乗った電車そのものの記録はやっぱり難しいだろうし、特定時間だけ高くなった結果平準化されたらその高い
どこまでが二次創作なんだろうね? 藤原興氏「二次創作物がヒドい内容なら原作にも道義的責任がある」 - Togetter たとえば、歴史的人物についてや歴史的創作物ひどい何かは伝記や歴史書や、その人物そのものに道義的責任があるのか。あったとして、どうやってそれを問うのか(焚書? と、考えるとこれはカジュアルに焚書坑儒を求める言論弾圧的な言動にすぎない。 というよりはもっと単純に「原作そのものに問題がある」って言ってるだけ。回りくど言い方しなくても「プリキュアは害悪!!!」っていえば良いのに。そう言ったら非難されることが分かり切ってるから、奇妙なロジックを打ち立てたんだろうけど、結果として問題外になっちゃった。 そういえば、「無駄ヅモなき改革」って二次創作にあたるんだろうか?wそうだとしたらあれも大概ひどい(褒め言葉)けど原作に問題があるとか言ってもらえないかなあwww
前回の記事ではるかぜちゃんの「ついり10ヶ条(ω)」を持ちだしたのはちょっとわけがあります。それは第8条についての疑問。 第8条にはこうあります。 「8 なるべく自分にひはんてきな意見はりついとする(ω)」 これって一体何のため? 好意的な見方をすると、批判に対して真摯に受け取ったよ!ということをアピールするための行為。で、その批判、どうするの? twitterの特性の部分もあるんだけど、RTは公式非公式に関わらず、「で?」という部分が分離しやすくなっています。つまり、「批判されたけどこれ違うよね」と「批判されて、確かにそう思うので改善したい」と「非難された!あいつムカつく!」の違いが少なくとも単体ではさっぱりわからない。はるかぜちゃんなんてRTするだけでそれ以外のアクションがないことがほとんどかな。そうすると余計にそうなる。 だから、「攻撃してなんて頼んでないよ」というのは若干想像力の欠
ちゃらら〜〜〜♪ ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃっ! ちゃらら〜〜〜♪ 法で裁けぬ悪を裁く、私刑大好き日本人。 でもそれは社会制度には限界があるよってことを示しているだけに過ぎないよね。 法のもと社会が運営されている限り、その法を逸脱した行為は当然のことながら「悪」と捉えられる。だから、法に代わって悪を裁くことはその行為そのものが大抵は「悪」である。だから仕事人は堂々と看板掲げてやるわけにはいかないのだけどね。 問題は、その法が適切に悪を裁いているかどうかが疑わしい時。例えば、被害届を受理しない。これは警察がサボっているわけではなくて、法律に照らして被害に値しなかったり、裁判に持ち込んでも勝つのが難しかったり、というのを予め親切にフィルダリングしてくれている場合が結構あると思うんだけど、やっぱり明らかにこれおかしいんじゃない?という場合も結構ありますよね。それで、「身内がどうの」みたいな話が
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