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ビジネスとインタビューに関するcinefukのブックマーク (44)

  • ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」 | 文春アーカイブス | 文春オンライン

    さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。 退社する前日に、『日経済新聞』が私のことを大々的に報じたのです。 いわく「ゲームボーイを開発した功労者が退社した。鳴り物入りで宣伝した『バーチャルボーイ』失敗の責任をとったものだ」 いわく「『NINTENDO64』が予想以上に売れていないため、任天堂の利益が大幅に減っている」 二つの「事実」を並べて読むと、読者には任天堂が大変な苦境に陥り、まるで内紛でも起こっているかのように思えるでしょう。 実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。 前々から、55歳になったら、独立したいと考えていま

    ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」 | 文春アーカイブス | 文春オンライン
    cinefuk
    cinefuk 2018/05/07
    読み応えあるインタビュー。「最近の任天堂では、新しい商品は年商1000億以上売れる可能性のないものは企画が通らない」 #枯れた技術の水平思考
  • ホビー業界インサイド第16回:世の中をより楽しくする“最強チーム”の作り方 グッドスマイルカンパニー社長、安藝貴範インタビュー! - アキバ総研

    レーシングチーム“グッドスマイルレーシング”の運営、レッドブル・エアレースの開催、ヘッドホンやラジオの開発、アニメ製作、ゲーム製作、人形劇「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」の製作……と、ホビー業界にとどまらない多角的な広がりを見せているフィギュアメーカー、株式会社グッドスマイルカンパニー。今年で創立15周年を迎えるが、代表の安藝貴範さんによると、まったくの異業種から参入だったという。 たった15年でホビー業界のみならず、趣味の世界、遊びの世界を確実に活性化させているグッドスマイルカンパニー。その力の源は何か? 安藝さんにお話をうかがった。 いいものはいい、しかし、改革する必要もあった ──グッドスマイルカンパニーは今年で設立15周年とのことですが、振り返ってみて、いかがですか? 安藝 あっという間でしたね。記憶がないです(笑)。もともとは異業種の会社だったのですが、周囲

    ホビー業界インサイド第16回:世の中をより楽しくする“最強チーム”の作り方 グッドスマイルカンパニー社長、安藝貴範インタビュー! - アキバ総研
    cinefuk
    cinefuk 2017/10/30
    異業種の目のつけ方、興味深い>僕はそれまで、ゲーム業界や芸能・興行の世界で生きてきました。ホビー業界からすれば、僕はウイルスのような異分子だったと思います。「よそから変なヤツが入ってきたぞ」って(笑)
  • せどりから古本屋で年商16億円!? amazonでよく見る「バリューブックス」の正体 - ジモコロ

    棚からこんにちは、ライターのナカノです。 みなさんは好きですか?私は大好きです。 ビジネス書も小説もマンガも雑誌もだーいすき!! 私は今、好きにはたまらない場所に来ています。 の海だ〜!! の山だ〜!! 大量の棚で向こう側が見えないぞ〜〜〜!!!! どこを見ても こちらは、長野県上田市にある「株式会社バリューブックス」の倉庫です。 「バ、バリューブックス…?どこかで聞いたことがあるような…」 という方もいらっしゃるのではないでしょうか。 あ、Amazonだ〜〜〜〜!!!!! そう。バリューブックスは個人や法人が商品を出品・販売できる「Amazonマーケットプレイス」の出品者のひとつ。 しかし、バリューブックスは、すげーいい買取してんなぁ。 「PC遠隔操作事件 」もう出品してるやん。 でたばっかりの新刊なんだけどなぁ。 どういう層が、バリューに、買取してもらってんだろ。

    せどりから古本屋で年商16億円!? amazonでよく見る「バリューブックス」の正体 - ジモコロ
    cinefuk
    cinefuk 2017/07/13
    毎日Amazon出品1万冊、買取依頼2万冊。半分は捨ててるのだろうな…
  • 闘いつづける経営者たち|J-Net21[中小企業ビジネス支援サイト]

    2006年10月2日、東京・六木ヒルズアリーナ。2001年の東京モーターショーの出品から足かけ5年-850日目。光岡自動車の「大蛇(オロチ)」の発表会が開催、その強烈なフォルムのスーパーカーが鮮烈なデビューを飾った。 この席上、挨拶に立った光岡進は「創業以来、この日が来るのを夢見てきた。オリジナルカーづくり一筋に取り組んできた当社と私にとって、今日は日発のスーパーカー開発の記念すべき第一歩」と、興奮気味のスピーチで締めくくった。 その時、光岡の脳裏には走馬灯のように、創業から40年間のクルマ人生、カービジネスでの山あり、谷ありの忘れがたいシーンが去来し、鮮やかに映し出されていた。 農家の馬小屋を間借りしてのスタート 光岡進は、もともとはサラリーマンだった。高校卒業後、地元の国産車ディーラーで新車営業を担当していた。そんな光岡が独立、光岡自動車工業を創業したのは1968年2月。勤務先の系

    闘いつづける経営者たち|J-Net21[中小企業ビジネス支援サイト]
    cinefuk
    cinefuk 2017/04/19
    「ABBEY」のタケオカ自動車工芸、「BUBU」の光岡自動車、なぜマイクロカーの2大メーカーは富山県なのだろう?