タグ

天皇制に関するyanozのブックマーク (9)

  • 東京藝術大学と政治的無言 永瀬恭一|「レビューとレポート」

    1.はじめに 東京藝術大学(以後、東京藝大)の東京藝術大学大学美術館(以後、藝大美術館)館展示室で、2021年7月22日から8月22日まで開催されていた「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展は、表面的には政治的色彩がありません。明治以後、東京音楽学校、東京美術学校としてありながら戦後統合された東京藝大ですが、唯一のナショナル・アートスクールでこそ可能な、日の伝統音楽の資料と美術作品を関連づけたコレクション展でした。 そして、西洋文化の流入する明治期、古来の文化伝統の維持・収集・保存に東京音楽学校、美術学校が関与した重要性が、会場を一巡する中で実感されてゆきます。興味深いのは、伝統技術の保持や資料収集が、明治以降の国策としての殖産興業、並びに対外的な日のプレゼンスを示す経済・政治政策と並行してあったと思える点です。チラシやパンフレットに記載されている、雅楽資料や関

    東京藝術大学と政治的無言 永瀬恭一|「レビューとレポート」
  • 1968年と宗教 - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    少したってしまったが、先日12月15日、京大人文研で行われた公開シンポ「1968年と宗教」の後半から聴いた。講演者に武田崇元、すが秀実、聴衆に津村喬、外山恒一といった錚々たる面々が一堂に会するという、またとない機会だった。配布資料が膨大で、正直いまだ咀嚼しきれていないので、素朴な感想のみを。 一言で言えば、左派(左右を問わず?)もいよいよ宗教を真正面から考えねばならなくなったということか。最近話題のジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』などを見ても、宗教に一章を割いてその有効性を論じている。オルグの「戦場」として、いまや宗教が浮上してきているということだろう。少し前までとりあえずは共有されてきた、近代とは「脱魔術化=脱宗教」の時代であるという前提は崩れつつある。日のオウム事件も清算され、アメリカの9・11も乗り越えられた? 宗教を超自然的な行為者に対する一連の信念としてとら

    1968年と宗教 - KAZUO NAKAJIMA 間奏
  • 徐京植評論集Ⅲ『日本リベラル派の頽落』「あとがき」より - 株式会社 高文研

    その暗い地下室に入っていくと、部屋いっぱいに瓦礫が積み重なっていた。半ば瓦礫に埋もれるように、大きな球形の物体がある。よく見ると巨大な眼球だ。瞳に映った何かが蠢いている。それは幾種類もの核爆発のキノコ雲であった。暗い通路をたどって次の部屋に行くと、廃墟のような場所にタテ、ヨコ、ナナメにLED灯が赤く点っている。「国の交戦権は」「これを認めない」「陸海空軍その他の戦力は」「これを保持しない」……断片化された憲法九条の条文である。その場所は横浜市開港記念会館の地下。私は横浜トリエンナーレ美術展に来たのだ。作家は柳幸典である。 折からの台風。朝から各会場を回ってきた私のは水浸しだ。「この天候では投票率も上がらないだろうな」。その日は10月22日。「大義なき自己都合解散」による衆議院議員選挙の投票日だった。まさにそういう日に出遭うにふさわしい作品であったと言うべきか。 開票の結果は周知のとおり、

  • Kyoto University Research Information Repository: ソウルメイトは二重橋の向こうに : 辛酸なめ子における皇室とスピリチュアリティ

  • アナキスト民俗学 尊王の官僚・柳田国男(すが秀実、木藤亮太)その2 - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    おそらく、書において、最も疑問や批判を呼ぶのは、戦前から戦後の転換期に、フロイト「トーテムとタブー」のごとき「王殺し」を見ようとするくだり(第三章)だろう。もちろん、この「王殺し」は、天皇主権から国民主権への移行に「革命」を見るという、いわゆる「八・一五革命」説に、「もし整合性があるとしたら」、これがあったと見なすほかないという、あくまで思考実験であり作業仮説である。 だが、それにもまして重要なのは、このように「八・一五」に「王殺し」を見ることで、かつてあった一度目の「王殺し」である「大逆」事件(1910年)を、必然的に視界へと浮上させてしまうことだ。 おそらく、書が「あえて」八・一五に「王殺し」を見ようとするねらいもここにある。書を読んで思ったのは、戦後(憲法)の「象徴」化とは、一度目の「王殺し」によって露呈した共同体の、いや近代世界全体の「穴」を、大正期から戦前、戦後にかけて、共

    アナキスト民俗学 尊王の官僚・柳田国男(すが秀実、木藤亮太)その2 - KAZUO NAKAJIMA 間奏
  • アナキスト民俗学 尊王の官僚・柳田国男(すが秀実、木藤亮太)その1 - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書) 作者: 絓秀実,木藤亮太出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2017/04/12メディア: 単行この商品を含むブログ (5件) を見る 7月8日(土)、書の刊行記念トークイベント「アナキズムと柳田国男―「戦後天皇制民主主義」をめぐって」に参加。共著者の一人であるすが秀実によるトークは、バトル・イン・シアトル(1999年)や、日においては3・11以降の反原発運動、SEALDs、直近の「安倍やめろ」に至るまでの諸運動を見渡しながら、そこに趨勢として存在するクロポトキン―柳田的なアナキズムを批判するというものだった。 「『アナキスト民俗学』に言う「アナキズム」には、1980年代以降の現代に瀰漫しているアナキズムへの批判も含意している」(当日資料より)。書は、柳田国男論でありながら、それ以上に現在の運動への思想的介入である(農を軸に

    アナキスト民俗学 尊王の官僚・柳田国男(すが秀実、木藤亮太)その1 - KAZUO NAKAJIMA 間奏
  • 「天皇」についての引用 - Living, Loving, Thinking, Again

    文藝春秋のPR雑誌『の話』152に、佐藤優と中村うさぎとの対談あり。その中で、中村うさぎの「天皇は佐藤さんにとって何なの? なぜ必要なの?」という問いに答えて曰く、 なぜ天皇が必要というか、ありがたいと強く思ったのは、やはり二〇〇二年にパクられたとき。天皇という権威があって、大統領とか総統とかがいないおかげで僕も鈴木さんも殺されずにすんだ。権威と権力の両方を持つ小泉総統とか田中真紀子大統領とかがいれば、気に入らない奴を徹底的に消滅させることができるはずです。でも、ぎりぎりのところで最高権力と最高権威者を一身に体現した者がいないのが日のありかたでしょう。その最後のぎりぎりのところを担保しているのが天皇だと思うんですよ。(p.4)。天皇と権力/権威問題については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139243584やhttp://d.hate

    「天皇」についての引用 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 特集 :日本経済新聞

    【ワシントン=河浪武史】米与党・共和党の議会指導部は2日、30年ぶりの税制改革に向けた詳細な法案を公表した。焦点の連邦法人税率は初年度に現在の35%から20%へと一気に下げ、恒久措置とする。海外から…続き (2017/11/3 2:30) ジャパンマリンユナイテッド(JMU)など総合重工系の造船大手が造船所ごとに分散していた設計部門の集約に相次ぎ乗り出す。環境規制の強化に伴う設計業務の拡大に備えて設計力を底上げする。建造部門と設計部門…続き (2017/11/4 2:30) 自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長は衆院選で党最多の20都道府県、70カ所で演説した。将来の総裁の座を視野に入れ、イデオロギーや支援組織にとらわれない自民党の未来図を強調した。共感する聴衆の姿は戦後、自…続き (2017/10/31 10:12) 中国共産党国家なのに米国の経済学用語が大好きのようだ。習近平(シー・ジンピ

    特集 :日本経済新聞
  • 小沢一郎氏の正論を批判する低劣なメディア - 植草一秀の『知られざる真実』

    ブログで繰り返し警鐘を鳴らしているが、マスメディアの鳩山政権批判が激しさを増している。批判の対象とされているのは、2010年度予算編成問題、普天間基地移設問題がその中心であったが、ここにきて中国の習近平副主席と天皇の会見問題も大きく取り上げられている。 客観的にみて鳩山政権の対応に批判される事柄はまったくない。鳩山政権は2009年度補正予算および2010年度当初予算編成の基方針を、従来の超緊縮から景気中立に柔軟に変化させつつある。鳩山政権の政策スタンスの変化を反映して、日経平均株価は9000円割れ目前の水準から1万円の大台回復を実現した。鳩山政権の極めて柔軟で的確な判断が功を奏したといえる。 沖縄の普天間基地移設問題も、米国の強硬姿勢に怖気づいて拙速に最終決着を求めることをせずに、時間をかけて結論を得る方針を定めた。米国の言うがままに戦争に加担し、国益を喪失してきた小泉政治の対米隷属外

    小沢一郎氏の正論を批判する低劣なメディア - 植草一秀の『知られざる真実』
  • 1