タグ

短詩形に関するyanozのブックマーク (20)

  • 貞操逆転・短歌・その他の観察 - 古い土地

    1. 貞操逆転 すばらしい あ 鳥だ机を撫でるゆにゔぁーさるの鳥を捨て塔の方へ (31文字に) 2. 「男女あべこべ」あるいは「貞操逆転」などと呼ばれるジャンルがある(以下「貞操逆転」で統一する)。 いわゆる「性転換」や「とりかへばや」などとは異なり、男女の社会的役割や倫理観がまったく逆転している世界を描くもので、特に性的な価値観の逆転により「女性が性に積極的」「男性は性に消極的」という描写が重視されている。ジェンダーSF的に描かれることもあれば、ただ単にそういうシチュエーションでエロを書きたいだけのこともある。というか現在のところは後者のほうが圧倒的に多い。 「男女あべこべ」「貞操逆転」ジャンルはどのように生まれたのか - WINDBIRD::ライトノベルブログ DLsiteに第一詩集を発表しようかな 「想像上のDLsite」という歪な「鏡」を通じて、初めて「エロがある(笑)」*1という

    貞操逆転・短歌・その他の観察 - 古い土地
  • 野口雨情「二十六字詩」

  • 七七21句 ー2022年の七夕にー|楠本奇蹄

    空回りなら桑の実のなか Veni Vidi Viciと梅雨戻り来ぬ するめが胸を漏れて端居す 我慢がまんと鼻の涼しさ 犬のふりして花火にさはる 星雲を掻き抱く生御魂 海月あまたの口吸ふ旅へ 線香花火落ちるアガペー ドーナツ壊れ夏の日の砂 崖の鳥みな輪郭を捨て 合鍵を抜く湖のやさしさ アイスクリンのはんぶん記憶 鵜を極めたら透明な貌 茄子ひらひらになるまで義賊 揚げ油にほんたうの西日 見知つたピーマンだ窶れたな 口は要らない抱く蛸に似て 烏賊を照らせば擬音の衣 いづれ麦酒は深海のこゑ ボルヘスの書の滴りやまず 爪赤すぎてダムになつてる ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ 昨年も七夕に七七句を作ってTwitterに放流したのだが、今年はずいぶん夜遅くなってから七七句の日だと思い出したので、49句あるいは77句まで到達でき

    七七21句 ー2022年の七夕にー|楠本奇蹄
  • 多行川柳入門

    多行書きの川柳として川柳界で最もよく知られているのは、松芳味の次の作品だろう。 これはたたみか 芒が原か 父かえせ 母かえせ 松芳味の句集『難破船』の第二部は多行川柳で占められている。短歌・俳句にあるものはすべて川柳でも試みられている。川柳には自由律もあれば、短句(七七句)もあり、多行川柳もある。私は基的に川柳は口語一行詩だと思っているので、自分では多行川柳を書くことはないが、ひとりの作者が多行作品に向かうときの必然性は否定しない。今回は川柳における多行書きの作品を振り返ってみたい。 多行川柳の試みとしてまず注目されるのは、新興川柳期の中島國夫である。新興川柳期には自由律についての議論が盛んで、それと関連して多行川柳も書かれている。中島國夫の作品から、定型・自由律・二行書き・三行書きを並べて紹介する。引用は『新興川柳選集』(たいまつ社)より。 カラクリを知らぬ軍歌が勇ましい みんなド

  • 「垂人」31

    「垂人」31 編集・発行 中西ひろ美 広瀬ちえみ ひろ美&ちえみによる表紙写真が毎号印象的な「垂人たると」は、俳句、川柳、短歌、連句、自由律句、詩、図形詩と、さまざまなジャンルの作品が掲載されている。そして参加している作家の幾人かは、ジャンルを掛け持ちしている。 一般的に短詩型作家は、川柳なら川柳、俳句なら俳句、短歌なら短歌と、一つのジャンルにしぼって創作をつづけるものだ。しかし、なかには自ずとジャンルを越境する書き手もいる。わたしが参加している「かばん」誌は、短歌専門誌ではあるけれど、個々の会員・購読会員のなかには、短歌と並行して俳句、川柳、連句、現代詩、小説、エッセー、絵、戯曲、翻訳、歌詞などを創作しているひともいる。なものだから「垂人」誌は、わたしからすると違和感がないどころか、これが普通という感じすらある。 ちなみに、格闘技の世界では、嘉納治五郎、前田光世、木村政彦、ジン・ラーベ

    「垂人」31
  • https://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2014/pdf_dir/P5-18.pdf

  • 「垂人」31

    「垂人」31 編集・発行 中西ひろ美 広瀬ちえみ ひろ美&ちえみによる表紙写真が毎号印象的な「垂人たると」は、俳句、川柳、短歌、連句、自由律句、詩、図形詩と、さまざまなジャンルの作品が掲載されている。そして参加している作家の幾人かは、ジャンルを掛け持ちしている。 一般的に短詩型作家は、川柳なら川柳、俳句なら俳句、短歌なら短歌と、一つのジャンルにしぼって創作をつづけるものだ。しかし、なかには自ずとジャンルを越境する書き手もいる。わたしが参加している「かばん」誌は、短歌専門誌ではあるけれど、個々の会員・購読会員のなかには、短歌と並行して俳句、川柳、連句、現代詩、小説、エッセー、絵、戯曲、翻訳、歌詞などを創作しているひともいる。なものだから「垂人」誌は、わたしからすると違和感がないどころか、これが普通という感じすらある。 ちなみに、格闘技の世界では、嘉納治五郎、前田光世、木村政彦、ジン・ラーベ

    「垂人」31
  • どこで切ってもほつれない日々: くらげのあぶく

    スパイラル句会、兼題「日々」。 七七句。近ごろ、七七句をよく目にするようになった。短句とか十四字詩など、名称は様々。ただ、川柳の一形式として認めない結社(人)もあるようなので、句会に出すときは要注意。 川柳作家による「短句フリーペーパー」から、1句ずつ引いてみる。 月のうしろはいもうとだらけ   飯島章友 いつも川面を飛んでいる橋    石川 聡 詩人の血にも赤色2号      いなだ豆乃助 焼きおにぎりはスパイねぎらう  大川崇譜 炎の中の記憶媒体        川合大祐 みなとみらいは肺腑みたいだ   暮田真名 合戦をして「うん」と言わせる  小池正博 レンズ曇らせるのね、おはよう  間かもせり 七七にも、句またがりありなんだ。ますますおもしろそう。

    どこで切ってもほつれない日々: くらげのあぶく
  • 【伝統芸能】旋頭歌・片歌入門!知って楽しい日本の伝統文化 - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)

    片歌(かたうた)とは、古代歌謡の一つで、「五七七」の3句、計19音からなる歌をいいます。この片歌を2首合わせたものが旋頭歌(せどうか)と呼ばれるものです。 旋頭歌は五七七の片歌を2回繰り返した6句から成り、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なるものが多く、五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したといわれています。つまり、片歌は、それだけでは不完全な形で、片歌が2つ集まってはじめて完成形ということになります。 全20巻から成る『万葉集』には4500首以上の和歌が収められており、そのうち旋頭歌は62首、『万葉集』以外では『古事記』に2首、『日書紀』に1首、『琴歌譜』に1首、『古今和歌集』『拾遺和歌集』『千載和歌集』などに数首が収録されています。 旋頭歌・片歌を始めた人って?気になる創始者について 旋頭歌の作者として明らかなのは、山上憶良、大伴坂上郎女、大伴家持、高橋虫麻呂などで

    【伝統芸能】旋頭歌・片歌入門!知って楽しい日本の伝統文化 - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)
  • 結婚二十年のひかりはどことなく凍蝶に似てしづかなひかり – 砂子屋書房 一首鑑賞

    荻原裕幸(『短歌研究』3月号 第77巻第3号 2020年) 「主にひかりについての抒情」と題された連作を楽しく読んだ。明るいトーンの言葉の組み合わせから生まれる透明感がここちよく、独特のリズム感がある。詩の根源は苦しみや悲しみといったメランコリーにあるともいうけど、その定説をしなやかに更新するような詩情がとても新鮮だ。 ここに引いた歌にしても、ひかりという結構リスクの高い言葉を大胆にも二回繰り返して、なお、もたついていない。結婚二十年目の夫婦のありようを、ひかり、とひとまず転換して、そこから、もういちど変奏してゆく。そのときに「凍蝶」という季語を挟むことで、あわいひかりが一瞬にしてひきしまり、表情がかわる。どことなく、という副詞の使い方も効果的だ。三句に挟み込むことで、凍蝶という硬い語感からあらかじめ力を逃がしている。口語のやわらかさと、伝統的な季語から引き出されるクラシカルな情感との配合

  • 今月の作品 石川 聡「そうなんだぁおいら支流のおさかなです」を読む

    秩序、というもの/ことは、何のためにあるのだろうか。 こんな問いを立てるのも、川柳というもの/ことにあって、いっけん「法」が支配しているように見えるからである。ルール、とあえて片仮名で書いた方が感触は伝わるだろうか。たとえば五七五ということ、それが川柳にとって、最も尊ばれる「法」であると、多くの人が理解している。 だが、なぜ五七五なのか。その理論については、拍打などの音声的な点からも説明はなされている。だが、その当否はここでは置いておく。ここで考えたいのは、多くの人々(主に五七調に携わらない人々)にとって、五七五(短歌なら五七五七七)が当然の前提として了解されているという問題についてである。 およそ、五七調に関わった者ならば、いちどならず「ここで五音(あるいは七音)にしなければどんなにかよいのに」と誘惑された経験があるはずだ。その次には、当然として「なぜ五七五なのだろう?」という疑問にぶち

    今月の作品 石川 聡「そうなんだぁおいら支流のおさかなです」を読む
  • フルポン村上の俳句修行 歌人があえて俳句をたしなむ理由とは?|好書好日

    村上健志(むらかみ・けんじ)お笑い芸人 2004年に結成したお笑いコンビ・フルーツポンチのボケ担当。相方は亘健太郎。NHK「短歌de胸キュン」にレギュラー出演中(第4日曜)。MBS「プレバト‼」に不定期出演中。 公式ツイッター >みなさんから俳句を募集します! 詳しくはこちら 「歌人がやっている句会がある」とのうわさを聞きつけて9月15日にやってきたのは、東京・西日暮里にある喫茶店の一室。ここで歌人の堂園昌彦さん、俳人の小川楓子さん、生駒大祐さん、大塚凱さんによる企画集団「真空社」が主催する「真空句会」が、不定期で開かれています。 真空句会が始まったのは昨春。堂園さんが俳句に興味を持ち、古屋で見つけたアンソロジーからおもしろいと思った句を引用してツイートしていたところ、友人の小川さんから「勉強会とかやりませんか」と誘われたのがきっかけです。「やるならゴリゴリにやろう、ということで俳句の歴

    フルポン村上の俳句修行 歌人があえて俳句をたしなむ理由とは?|好書好日
  • 心に咲く花 | WEB BOSCO

    雑草の二人静は悲しけれ 一つ咲くより 花咲かぬより  ― 与謝野晶子 【現代訳】 二人静が咲いている。二の花穂が伸び、小さな白い花を咲かせる二人静。雑草のように野の道にあって、向き合うように並び咲く二人静は、一つだけ咲…

  • 往還集<路上通信>

  • 金川宏歌集『火の麒麟』について - しづかに羽をこぼす毎日

    2018年8月13日、twitterで連続ツイートした金川宏さんの第一歌集『火の麒麟』の感想を、折角なのでブログ記事としてまとめます。ちょっとだけ加筆しました。では。 夏でお盆で暑いので金川宏歌集『火の麒麟』を読みます。 とめどなく夕べの雲はくづれをりめつむりてゐる汝の背後に 巻頭歌。私、汝、空、の三層が移ろう。くずれてゆく雲を背景とする「汝」はまるで神のようでもある。その「汝」が目をつむってるからこそ、私は「汝」と雲を見ることが許される。 酔ひ醒めて戻り来れば神のごと月の光は椅子を占めゐつ 美しい。酩酊から帰ってきた私の目に、月光は神のごとくうつる。「椅子」なのがいい。この月光の神は立っているのではなく、座っている。だから静けさが満ちる。 帰りきてノブ回すときわれ待ちて部屋に犇めく闇を思ひき これも帰ってきた歌。闇に待たれている自分、という存在。その自分がこれから闇の犇めく中へ帰る。 炎

    金川宏歌集『火の麒麟』について - しづかに羽をこぼす毎日
  • 『花ざかり』

    久方の光のどけき春の日に 静心なく花の散るらん  紀友則 |ひさかたの○○|ひかりのどけき|はるのひに○○|しずごころなく|はなのちるらん| 久方の(日)の光ののどかな春の一日(であるの)に、なぜ落ち着いた心もなく、花が散っているのだろう。 花 花とはふつう桜の花を言う。一般でも花見と言えば、桜にきまっているが、俳諧では、とくに春の花の代表として桜の花をさして言う。 だが「花とは桜をいへど、ただおしなべて千草万木のうへにもわたり侍る」(『山の井』)、「花といふは桜の事ながら、すべて春の花を言ふ」(『白冊子』)、「花といへるは賞翫の惣名、桜は只一色の上也」(『宇陀法師』)とあるように、花は桜でありながら、春の花一般であるという重層的な規定がある。 つまり桜以外の千草万木でも、ただ花と言った場合は、賞翫の心が大きい。したがってこの季題は、詩的イメージとしては、桜でありながら桜という特殊な限定を

    『花ざかり』
  • 新句(十九音)入門

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • Google Sites: Sign-in

  • 【新春対談】〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学 小津夜景✕飯島章友

  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • 1