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知覚に関するyanozのブックマーク (7)

  • フッサールにたどりつくために——富山豊『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年) - 研究日誌

    『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年)を、著者の富山豊さんからお送りいただいた。待望の単著といっていいだろう。志向性に関するフッサールの見解について私が論じる次の機会——万事が順調に進めば今年の5月後半には最初の機会がやってくる——に書を詳しく検討しなければならないことははっきりしているので、まずはざっと一周読んだ。読む前から分かっていたことではあったが、期待させるだけ期待させておいて……ということにはまったくならなかった。待ち望んだ甲斐があった。以下に簡単な感想を記しておく。同書のページ数への参照はアラビア数字だけで行う。 書はフッサールに関する入門書だが、私の知るかぎり、他のどの類書とも異なっている。ある哲学者についての入門書というものは、その哲学者の思想の全体像を示すのを目的にするのが通例である。それに対して書は、フッサール現象学の全体像を包括的に示すわけではない。

    フッサールにたどりつくために——富山豊『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年) - 研究日誌
  • 『鬼滅の刃』大ヒットの理由が見つかることは無い - 本しゃぶり

    誰もが知りたい『鬼滅の刃』大ヒットの理由。 これはどれほど丹念に作品と向き合っても答えは得られない。 なぜなら人の繋がりから生じる偶然の結果だからだ。 なぜ大ヒットしたのかという疑問 この『鬼滅の刃』解説記事に対する反応が興味深い。 このnoteは『鬼滅の刃』の導入を解説したものだ。どうやって読者を1ページ目から引き込むか、その「技術」と「困難」について書かれている。これに対し、ブコメはほぼ批判一色となった。 書いてある内容は決して間違っていないし、かなり細かく説明されている。なのになぜ批判が多いのか。コメントの内容は主に以下の2点となる。 『鬼滅の刃』に限った話ではない 長い 先に後者についてだが、「長い」ということは必ずしも悪ではない。スクロールバーが点になるような記事でも、好意的なコメントが多いこともある。結局のところ「長い」という批判が意味することは、自分の知りたいことが書かれてい

    『鬼滅の刃』大ヒットの理由が見つかることは無い - 本しゃぶり
  • 描写内容の理論 - 9bit

    画像の内容についての諸理論を整理します。もともと美学会の発表に組み込む予定だったのですが、筋にあんまり関わらないということで、発表内容からは除外しました。かわりにブログに載せておきます*。この手の話に興味がある人には、きっとそれなりに有益なはず。 1. 用語 画像(picture):絵や写真。 描写(depiction):画像がそれ特有の仕方で何かを表象すること(pictorial representation)*。 描写内容(depicted content):画像が描写するもの(what a picture depicts)。画像は描写内容以外にもさまざまな内容を持ちうる(たとえば、図像学的内容、寓意的内容、表出的内容)。描写内容以外の内容はここでは扱わない。 2. 描写内容の先行諸理論 以下、先行理論のそれぞれについて、①どんな理論概念を提示したか、②その概念をどんな事例に適用して

    描写内容の理論 - 9bit
  • https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/49/1/49_37/_pdf

  • 空はなぜ紫色ではないのか(空はなぜ青いのか)

    更新 2014/1/13 空はなぜ紫色ではないのか ある朝、職場の駐車場から工場へ向かう階段を登りながらふと見上げれば空には雲ひとつない。そして青い。あれ、空って何で青いんだっけ? 空はなぜ青いのか、調べてみると理由は簡単に分かった。太陽の光は空気の分子にぶつかり散乱する。その散乱の強さはレイリー散乱に従い波長の4乗に反比例する。このため波長の短い青がより多く散乱され空が青く見えるのだそう。 しかしそれならなぜ青より波長の短い紫色にならないのか。幾つか理由を見つける事ができたがどうも納得できない。そこで太陽光のスペクトル、レイリー散乱のもつ波長の4乗に反比例するという性質、そして等色関数、この三つを使って条件を変え、空の色がどう変わるのか計算してみた。 【太陽光のスペクトル】 下が太陽光のスペクトルのグラフである。地球に届く太陽光のそれぞれの波長における強度の分布を示したものである。 太陽

    空はなぜ紫色ではないのか(空はなぜ青いのか)
  • 自閉スペクトラム症の視覚世界を探る――ヘッドマウントディスプレイ型知覚体験シミュレータ/長井志江 - SYNODOS

    自閉スペクトラム症(ASD: autism spectrum disorder)は、従来、対人関係や言語コミュニケーションといった、社会的能力の障害と考えられてきました [1–3]。 しかし、近年の認知心理学研究や当事者研究(注)により、その原因が社会性以前の感覚・運動レベルにある可能性が指摘されています [4–7]。 (注)当事者研究 [6,7] とは、ASD などの障害を抱えた当事者による研究で、自己の体験を主体的に内省し分析することで、日常生活でのさまざまな困難とその要因を理解し、より良い自助の方法を探ることを目的としています。 一般に、人間の脳では感覚器から入力された信号を時空間的に統合することで環境認識や行動決定を行っていますが、ASDではその統合能力が定型発達者と異なることにより、高次の認知機能である社会的能力に問題を生じたり、知覚過敏や知覚鈍麻 [8] などの非定型な知覚症状

    自閉スペクトラム症の視覚世界を探る――ヘッドマウントディスプレイ型知覚体験シミュレータ/長井志江 - SYNODOS
  • 「一つの絶対知」としてのインタラクティブ経験

    たとえば,私が机のまえに立ったままで居て,両手でもってそれにのしかかっているという場合,私の手だけが強調されていて,私の身体全体はまるで彗星の尾のように手の背後へと流れて行っている.というのも,私の肩なり腰なりの位置が私にわからないからではない.テーブルのうえに突いた両手のその支えのなかに,私の姿勢の全体位置が言わば読みとられるからである.また,私が立って居て,私のパイプをを手で握りしめているという場合,私の手の位置というものは,私の手の位置が私の前腕とのあいだでとる角度,私の前腕が私の上腕とのあいだでとる角度,私の上腕が私の胴体とのあいだでとる角度,最後に私の胴体が大地とのあいだでとる角度──といったものから次々に推論されて行って決まるものではない.私は自分のパイプがどこにあるかを,一つの絶対知によって知ってしまっているのであり,まさにそれによって,私の手がどこにあるのか,私の身体がどこ

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