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道徳に関するyanozのブックマーク (17)

  • 2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学)

    2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学) イタリアのヴェローナ大学のドストエフスキー研究者であるステファノ・アローエ氏は、2023年8月25日に名古屋で行われた国際ドストエフスキー協会シンポジウムの総会で、会長に就任した。前会長のキャロル・アポローニオ氏から引き継いで就任した際のスピーチが、国際ドストエフスキー協会の雑誌であるDostoevsky studiesに掲載されている。ロシア語原文はこちら。 https://dostoevsky-studies.dlls.univr.it/article/view/1486?fbclid=IwAR31xZnU6Cc9pUgXyRjobjonHLC-UD-tOlGRrzTOvX9tdK6PY5fKkYuxQGo アローエ氏のスピーチ動画はこちら(撮影:私)。 Yuri Cor

  • 道徳の子 - 沙ともゆき / 【コミックDAYS読み切り】道徳の子 | コミックDAYS

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    道徳の子 - 沙ともゆき / 【コミックDAYS読み切り】道徳の子 | コミックDAYS
  • ジョセフ・フレッチャー『状況倫理』

    Fletcher, Joseph 1966 Situation Ethics: The New Morality, Philadelphia, The West Minster Press=1971 小原 信 訳 『状況倫理』, 新教出版社,316p ASIN: B000J9CK32 欠品 [amazon] p, be, w/fj01 ■内容  (*は安部によるコメント) まえがき ・書が扱うのは、体系的な倫理学ではない。ここで論じられる「方法」とは「situationalあるいはcontextualな決断の仕方についての方法」(7)のことであって、それは体系を打ちたてることとは何ら関係ない。F・D・モーリスが喝破したように、体系と方法は同義語でないのみらず、――生命・自由・多様性にとって――むしろ敵対的でさえあるのだ。そしていかなる倫理的体系も非キリスト教的であるか、すくなくとも半キ

  • アフリカ哲学 - Wikipedia

    アフリカ哲学(アフリカてつがく、英: African philosophy)とは、アフリカで、あるいはアフリカ先住民によって生み出された哲学的言説のことである。アフリカの哲学者は、形而上学、認識論、道徳哲学、政治哲学など、現在、哲学の様々な学問分野に見出される[1]。 現代のアフリカの哲学者たちが議論してきたテーマを特徴づけるものとして、自由や、自由であることの意味、あるいは全体性を経験することの意味がある[2]。アフリカにおける哲学には豊穣で多様な歴史があるが、その一部は時間の経過とともに失われている[3]。紀元前2200年頃から1000年頃、古代エジプト(ケメット)において、ヒエラティックでパピルスに書かれた文献は、世界最古の哲学書として知られている。また、アフリカ最古の哲学者として、古代エジプトの哲学者であるプタハホテップ(英語版)が知られている。概して、古代ギリシア人は、エジプト人

  • 「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記

    自由意志対話:自由・責任・報い 作者:ダニエル C デネット,グレッグ D カルーゾー 青土社 Amazon 非両立論-楽観的懐疑論者のグレッグ・カルーゾーと両立論者のダニエル・デネットが論争する*1。訳者あとがきでも指摘されているように両者の議論はかなり細かく入り組んでおり、決して入門的なではない(とはいえ、『そうしないことはありえたか?』を読んだおかげもあってか、だいたいのところは理解することができたと思う)。 また、原題は Just Deserts: Debating Free Will(「当然の報い:自由意志について議論する」)であり、自由意志についての形而上学的な議論ではなく Desert(「相応しさ」)についての規範的な議論のほうが主になっている。『そうしないことはありえたか?』を読んだときには「自由意志の話よりも責任の話のほうが主になっているじゃん」と面らったものだが、

    「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記
  • Ⅳ 論文「ケアの倫理」ケアの倫理と道徳の相対主義——感情移入の経験は道徳判断を正当化するか – 立命館大学生存学研究所

    有馬 斉 (東京大学大学院医学系研究科特任助教) 序 私たちの感情的な経験はあきらかに道徳とかかわりがある。しかしそれは具体的にどのようなかかわりだろうか(注1)。 人の行為や性格が、それを見たり想像したりする私たちの中に強い感情を引きおこすことがある。たとえば大勢の人がひとりの人をいじめているのを見て憤りを覚えたり、知り合いの配偶者が他の人と性的な交渉をもったと聞いて嫌悪感を催したりする。憤りや嫌悪感だけではない。人の行為や性格を見聞きして、私たちは恐怖、悲しみ、嫉妬、誇り、共感など、他にも実にさまざまな感情を経験する。 こうした感情経験は一見して、道徳と何らかの仕方でかかわっていることがあきらかである。他人の行為や性格にたいして憤るとは一般に、当の行為や性格を道徳的に非難するときの心理的態度である。また嫌悪感を催すということも、道徳上問題があると思われる人や行為を避けようとするときの態

  • 「新自由主義」批判がグダグダになりがちな理由(ジョセフ・ヒース論文「批判理論が陰謀論になるとき」メモ) - 清く正しく小賢しく

    今回紹介するのは、ジョセフ・ヒースの論文「When does Critical Theory Become Conspiracy Theory?」である。この論文でヒースは、「新自由主義」概念をルーズに用いた議論などを念頭に置きながら、批判理論が陰謀論に堕してしまう条件、さらにまっとうな批判理論と陰謀論紛いの批判理論を分かつ特徴を検討している。 なお批判理論というのは、とりあえず「規範的目的を明示した社会科学的探究」ぐらいの意味で捉えればよいと思う。批判的社会科学や批判的〇〇研究を名乗っている研究はもちろん批判理論に含まれるし、左派的なポジションを明示した研究の多くも含めることができるだろう。 どれくらい知られていることなのかは分からないが、ヒースはハーバーマスの弟子であり、自らを批判理論の伝統に属する研究者と位置付けている*1。それゆえにこそ、堕落した批判理論に対して厳しい態度をとってい

    「新自由主義」批判がグダグダになりがちな理由(ジョセフ・ヒース論文「批判理論が陰謀論になるとき」メモ) - 清く正しく小賢しく
  • 道徳を「教える」とはどのようなことか――「押しつけ」と「育つにまかせる」の狭間を往く教育学/神代健彦 - SYNODOS

    「危険だけど必要、必要だけど危険、そんな憂なことどもはこの世にいくらでもあって、おそらく教育というやつはその種の事柄に属していて、そしてさらに道徳教育ってやつはその最たるもの、言ってみれば、教育オブ教育なのだと思うのですが、さてどうですかね」(神代・藤谷2019) 2015年3月、学校教育法施行規則および学習指導要領の一部改正により、「特別の教科 道徳」がスタートした。法令上の正式名称は「特別の教科である道徳」、通称は「道徳科」。 戦後教育改革の際、戦前・戦中期の筆頭教科であった「修身」が廃止された後も、官民学を問わずくすぶり続けた道徳教育要求は、1958年に、教科ではない領域としての「道徳の時間」特設にいったんは結実していた。動きが起こったのはそれから半世紀後、第1次安倍政権下に設けられた首相直属の教育再生会議からである。2007年の第2次報告で明記された「徳育の教科化」が、さきの20

    道徳を「教える」とはどのようなことか――「押しつけ」と「育つにまかせる」の狭間を往く教育学/神代健彦 - SYNODOS
  • フェミニズムの「むずかしさ」に向き合う(読書メモ:『むずかしい女性が変えてきた:あたらしいフェミニズム史』) - 道徳的動物日記

    むずかしい女性が変えてきた――あたらしいフェミニズム史 作者:ヘレン・ルイス みすず書房 Amazon 出版社による紹介は下記の通り。 女性が劣位に置かれている状況を変えてきた女性のなかには、品行方正ではない者がいた。危険な思想に傾く者も、暴力に訴える者さえもいた。 たとえばキャロライン・ノートン。19世紀に困難な離婚裁判を戦い抜いて貴重な前例をつくった人物だが、「女性は生まれながらにして男性に劣る」と書き残した。たとえばサフラジェットたち。女性の参政権獲得に欠かせない存在だったが、放火や爆破などのテロ行為に及ぶこともあった。たとえばマリー・ストープス。避妊の普及に尽力し多産に悩む多くの女性を救った彼女は、優生思想への関心を隠さなかった。 しかしだからといって、その功績をなかったことにしてはいけない。逆に功績があるからといって、問題をなかったことにしてはいけない。歴史は、長所も短所もある一

    フェミニズムの「むずかしさ」に向き合う(読書メモ:『むずかしい女性が変えてきた:あたらしいフェミニズム史』) - 道徳的動物日記
  • 「道徳なんてうさん臭い」という人が知らないその役割と原理

    ブログ「読書猿 Classic: between/beyond readers」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。 自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシア時代の古典から最新の論文、個人のTwitterの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間はいち組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。 『アイデア大全』『問題解決大全』(共にフォレスト出版)はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層か

    「道徳なんてうさん臭い」という人が知らないその役割と原理
  • 書評 「善と悪のパラドックス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    善と悪のパラドックス 作者:リチャード・ランガム,依田卓巳発売日: 2020/10/21メディア: Kindle書はリチャード・ランガムによるヒトの性(特にその他者への寛容性と攻撃性)に関するだ.書のキーワードは「反応的攻撃性」と「能動的攻撃性」の区別,そして「自己家畜化」になる.ヒトが自己家畜化した動物であるという議論については先日ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズによる「Survival of the Friendliest」を読んだばかりでもあり,いろいろ深く楽しめた.ランガムはヘアと共同研究したこともあり基的に同じ立場に立っているが,そのスコープと進化的なストーリーはより深く詰められている.原題は「The Goodness Paradox」. はじめに 人間進化における善と悪 序章ではヒトにはジェノサイドを引き起こすような邪悪さと見知らぬ他人に親切にする善良さの両方

    書評 「善と悪のパラドックス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』(晶文社、2021年)の第11章――内容の紹介とコメント|山口尚

    2022年3月27日(日)の「道徳の未来のために――モラルハッカソン2022」という集まりで、ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』(晶文社、2021年)が取り上げられるのだが、私はいわゆる「特定質問者」の役目を担うことになった。以下そのために私が書いた文章をアップロードしておく(先ほど運営へ送ったので遅かれ早かれクリッツァーさんにも届くはずだ)。 >>> 以下ではベンジャミン・クリッツァーの『21世紀の道徳』(晶文社、2021年)について私が「いいな」と思った第11章を論じたい。この章の題名は「快楽だけでは幸福にたどりつけない理由」であり、そこでは快楽と幸福の一筋縄ではいかない関係が論じられる。以下、その議論を私なりにまとめたうえで、コメントを付す。 クリッツァーの叙述を追うさいに気にせざるをえない事柄は《どの視点から論じるか》だ。私は数年前に幸福にかんするを書いており、このトピ

    ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』(晶文社、2021年)の第11章――内容の紹介とコメント|山口尚
  • 権威主義はびこるダークな世界で、エリート主義な「徳倫理学」が流行る「意味と危うさ」(稲葉 振一郎) @gendai_biz

    今月、老舗有斐閣から新著『社会倫理学講義』を刊行させていただく。これは大学学部レベルの倫理学の教科書、つまりはマスコミや公務員試験レベルにもだいたい対応する教養書として使われることを意図して書いたものである。 書の背後には、自分で書きやすくするために、そしてそれを読み解ける・なんとなく察せる読者のためにはわかりやすくするために、ある種のストーリーと言うか、物語を潜ませている。このような物語を設定することは、当は哲学的な探究を進める際には、話を見えやすくする効能以上に、むしろつまずきの石となったり目隠しになったりする危険が大きいのかもしれない。 だが書は初学者のための概論的入門書ということで、不正確でも大きな見取り図をとりあえず提供するのが趣旨であるので、ここでは危険については敢えて目をつぶっていただきたい。その見取り図をたどっていくと、近代において発展してきた「人間の平等」という考え

    権威主義はびこるダークな世界で、エリート主義な「徳倫理学」が流行る「意味と危うさ」(稲葉 振一郎) @gendai_biz
  • 第3回 「権利」という言葉から距離を置くべき理由

    いまわたしたちが直面している社会的諸問題の裏には、「心理学や進化生物学から見た、動物としての人間」と「哲学や社会や経済の担い手としての人間」のあいだにある「乖離」の存在がある。そこに横たわるギャップを埋めるにはどうしたらよいのか? ポリティカル・コレクトネス、優生思想、道徳、人種、ジェンダーなどにかかわる様々な難問に対する回答を、アカデミアや論壇で埋もれがちで、ときに不愉快で不都合でもある書物を紹介しながら探る「逆張り思想」の読書案内。 わたしたちは、社会問題や道徳が絡む問題を考えるときに「権利」や「人権」という言葉を用いることが多い。 権利という言葉は、契約に関する場面などでは「義務」とセットで用いられることもある。しかし、社会問題や道徳問題においては、権利という言葉は「絶対に守られるべきであり、それが侵害されるという時点で道徳的に不正な状況が発生している」ものとして用いられることが多い

    第3回 「権利」という言葉から距離を置くべき理由
  • 【衝撃】「吐き気を抑える薬」を飲むと「道徳的な嫌悪感」が低下すると判明→吐き気と倫理観には因果関係があることが示される : 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ

    吐き気を抑える薬を飲むと,体液などへの非道徳関連嫌悪感が低下する(吐き気と嫌悪感には因果関係がある)し,純粋性道徳違反への厳しい判断も低減させることを示したよという研究。面白い!!/ The physiological basis of psychological disgust and moral judgments https://t.co/zC7wuyIJ6V — Yuuko Morimoto (@myuuko) July 24, 2021 概要 嫌悪感と道徳的判断との間に因果関係があるかどうかという現在の議論を解決するために、我々は道徳的違反に対する自発的な嫌悪反応を薬理学的に抑制し、道徳的思考への影響を調べた。 その結果、吐き気を抑えることで知られる制吐剤のショウガ(Zingiber officinale)が、道徳的ではない純粋な違反刺激(体液など)に対する嫌悪感を軽減することが

    【衝撃】「吐き気を抑える薬」を飲むと「道徳的な嫌悪感」が低下すると判明→吐き気と倫理観には因果関係があることが示される : 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ
  • あとがきたちよみ/『道徳的な運 哲学論集一九七三~一九八〇』[双書現代倫理学] - けいそうビブリオフィル

    あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひの雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 バーナード・ウィリアムズ 著 伊勢田哲治 監訳 『道徳的な運 哲学論集一九七三~一九八〇』[双書現代倫理学] →〈「解説・各章解題」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報はこちら〉 解説・各章解題 伊勢田哲治 書はBernard Williams (1981) Moral Luck: Philosophical Papers 1973-1980. Cambridge University Press の全訳である。以下、書の位置づけについて概観したあと、各章の解題を行う。なお、解説・解題の記述においては、Stanford Encyclopedia of Philosophy 内のS. G.

    あとがきたちよみ/『道徳的な運 哲学論集一九七三~一九八〇』[双書現代倫理学] - けいそうビブリオフィル
  • これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態(木村 草太) @gendai_biz

    今日も大学の法学部では、民法や会社法、労働法に刑法が講じられている。 そこでは、「法とは何か?」、「法の支配は実現できるか?」などと考える必要はない。国会が制定したルールが法だと誰もが思っているし、裁判官や警察官は粛々と法を実現している。「なぜこれが法なのか」などと悩む学生は、よほどの変わり者だろう。 法学部法律学科の講義では、法の定義も、法の支配も自明なのだ。 ところが、学校に関わる法律問題を考えていると、「法とは何か?」、「当に法の支配はあるのか?」という問題が深刻さを帯びる。 骨折という事故はスルー? 一例として、少し前からインターネット上で話題になっている道徳教材について検討してみよう。 広島県教育委員会は、「『児童生徒の心に響く教材の活用・開発』研究報告集」として、「心の元気」という教材を作っている。その中に、「組体操 学校行事と関連付けた取組み」という教材がある。 小学校5・

    これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態(木村 草太) @gendai_biz
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