哲学若手研究者フォーラム (The Japan Forum for Young Philosophers) 旧「全国若手哲学研究者ゼミナール」 このページに関するご連絡・お問い合わせは annai@wakate-forum.orgまで フォーラムからのお知らせ等のメール配信を希望される方も ↑ までご連絡下さい (@を半角に変えて送信して下さい。)
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Sacha Golob, Heidegger on Assertion, Method and Metaphysics - PhilPapers Golob, Sacha (2015). Heidegger on Assertion, Method and Metaphysics. European Journal of Philosophy 23 (4):878-908. 目次 序 論争の用語を定義 (A)のいくつかの問題 「Carman-Wrathallモデル」 (A*)をBで説明 (A)についての新しい「方法論的」説明 (B)のステータス: 志向性、内容、文法 たまたま読んだ。なかなかおもしろかった。 ハイデガーは、主張Aussage(ないし判断)を、事物的存在者(手前存在)に深く関連するものと見なしている。しかし、両者の関係は正確にどのようなものなのか。 「手前存在」というのは、お
このレジュメは、Martin Heidegger: Sein und Zeit(1927)への読書会のためのレジュメである。今回の読書会にあたって主に参照している訳書は、 細谷貞雄(訳), マルティン・ハイデッガー(著): 存在と時間 <上>, 筑摩書房(1994). 『存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)』 である。以下では単に『存在と時間』と記す。 また、難解な箇所の読解の助けとして、下記のコメンタリーを適宜参照した。 続きを読む で、『存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)』29節「心境としての現=存在」で議論になったところは、次ね。 まずは『存在と時間』本文から引用。 この点をみただけでも明らかになるように、心境は、ある心的状態を寓目するということからははるかに距たっている。それは、ことさら視線を反転させて自己を把捉するというような性格のものではなく、むしろ逆に、このような内在的反省
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