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pomoに関するyanozのブックマーク (59)

  • Russian Neo-Kantianism

  • Perspective | Postmodernism didn’t cause Trump. It explains him.

    Postmodern theory may be the most loathed concept ever to have emerged from academia. Developed within literature and philosophy departments in the 1970s, it supposedly told us that facts were debatable, that individual perspectives mattered most, that shared meaning was an illusion and that universal truth was a myth. The right quickly identified these notions as a danger to the very foundations

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    yanoz 2019/07/28
  • Theory Hot and Cold | Alexander R. Galloway

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    yanoz 2019/07/28
  • How French "Intellectuals" Ruined the West: Postmodernism and Its Impact, Explained - Areo

    Features How French “Intellectuals” Ruined the West: Postmodernism and Its Impact, Explained 27/03/2017504 comments17 minute readHelen Pluckrose Postmodernism presents a threat not only to liberal democracy but to modernity itself. That may sound like a bold or even hyperbolic claim, but the reality is that the cluster of ideas and values at the root of postmodernism have broken the bounds of acad

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  • The Impasse Between Modernism and

  • https://read.dukeupress.edu/HTTPHandlers/UrlRedirectHandler.ashx?request=article&subdomain=social-text&volume=34&issue=2%20(127)&page=143&pageType=full.pdf

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  • バルトとマナ(浮遊するシニフィアン signifiant flottant)

    マナは神秘的であるのみならず、次元の異なったなにものかでもある。要するにマナは、まず第一にある種の作用、つまり共感的な存在の相互間に生み出される遠隔の霊的作用である。それはまた同時に、重さのない伝達可能な、そして自ら拡散する一種のエーテルである。(マルセル・モース『社会学と人類学 (1)』) われわれは、マナ型に属する諸概念は、たしかにそれらが存在しうる数ほどに多様であるけれども、それらをそのもっとも一般的な機能において考察するならば(すでに見たように、この機能は、われわれの精神状態のなかでもわれわれの社会形態のなかでも消滅してはいない)、まさしく一切の完結した思惟によって利用されるところの(しかしまた、すべての芸術、すべての詩、すべての神話的・美的創造の保証であるところの)かの「浮遊するシニフィアン(signifiant flottant)」を表象していると考えている。 (レヴィ=ストロ

  • 「オブジェクト」はわれわれが思う以上に面白い

    左から、エリー・デューリング氏、清水高志氏、柄沢祐輔氏(《s-house》にて) オブジェクトの中のプロジェクト ──反プロセスとしてのプロトタイプ論 fig.1──ブルーノ・ラトゥール 『虚構の近代 ──科学人類学は警告する』 (川村久美子訳、新評論、2008) fig.2──Elie During, "Prototypes (pour en finir avec le romantisme)" in Esthétique et Société, C. Tron dir., Paris, Éditions de L'Harmattan, 2009.(「プロトタイプ論 ──芸術作品の新たな分身(1)」 『現代思想』 「特集=現代思想の新展開 2015 ──思弁的実在論と新しい唯物論」 青土社、2015年1月号) 柄沢祐輔──今回の鼎談では、来日中のエリー・デューリングさん、清水高志さんと、

    「オブジェクト」はわれわれが思う以上に面白い
  • Online Term Paper Library

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    yanoz 2009/10/16
  • ゼロ年代の想像力(宇野常寛) - 名大SF研記録ブログ

    久々に部室行ったらOBがゴキゲンなのゴキゲンな書評を書いてくれていたので転載る。やや長いので続きを読むをクリッコ。 ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る SFマガジンに連載された評論を単行化したもので、宮台真司が帯に推薦文を書き、東浩紀も同書を高く評価している。で、読んでみたら『ゲーム脳の恐怖』並みのクソだった。批判よりもむしろ添削に値する。以下、その理由を述べる。 著者の宇野常寛は、書で東浩紀のポストモダン論を批判している。東の理論とは、ポストモダンになると大きな物語が衰退して人はみなデータベース的動物になるという、例のアレだ(『動物化するポストモダン』参照)。それに対して宇野は、大きな物語が衰退すると価値観の拠って立つ

    ゼロ年代の想像力(宇野常寛) - 名大SF研記録ブログ
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    yanoz 2009/07/22
    「超越的な「大きな物語」の「不在」がかえって超越性として機能するという、否定神学的メカニズム」
  • フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記

    フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかのから引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa

    フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記
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    yanoz 2009/07/11
  • 『日本後現代與知識左翼』ほか - Living, Loving, Thinking, Again

    昨日買った3冊。 趙京華『日後現代與知識左翼』生活・読書・新知三聯書店、2007 導言 日後現代主義批評 第1章 在後現代與馬克思主義之間――柄谷行人的前期批評実践 第2章 重返馬克思的政治経済学批判――柄谷行人的後期批評実践 第3章 思想史和文化研究視野下的日與東亜――子安宣邦的日知識考古学 第4章 文解構、文化政治與真実政治――小森陽一従文政治介入的歴程 第5章 “他者的面容”與“忘却的洞穴”――高橋哲哉的解構哲学観及其文化的抵抗 第6章 知識分子如何参与公共事務――日新生代知識左翼郡体的新走向 後記 主要参考書目 索引これは「漢語学術界第一部対70年代以降日思想進行翔実、系統描述的専著」(汪暉)であるという。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061102/1162433731も参照のこと。 許紀霖、羅崗等『啓蒙的自我瓦解 1990年

    『日本後現代與知識左翼』ほか - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「抵抗の快楽」を見下ろす悦楽? | Theoretical Sociology

    抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論 (SEKAISHISO SEMINAR) この商品の他のレビューをみる» 評価: ジョン フィスク 世界思想社 ¥ 2,730 (1998-07) 盛山先生がカルチュラル・スタディーズの例としてこのをあげていたので、質的データ分析の講義のために読んでみたが、あまりに陳腐なので1章と2章だけ読んで投げ出してしまった。「こんな見方もできます」型の典型的なケースであろう。著者は、ポピュラー・カルチャーを資制または家父長制からの「逃走」または、それらに対する「抵抗」として読み解く。例えば、ショッピング・モールで失業中の若者がたむろすることは、資制に対する「抵抗」とみなすこともできるそうである。そういう「見方」も確かに可能であろう。出生率の低下も家父長制に対する若者の「抵抗」あるいはそれからの「逃走」の結果だという「見方」も可能であろうし、大学で講義中

    「抵抗の快楽」を見下ろす悦楽? | Theoretical Sociology
  • 『新左翼の遺産―ニューレフトからポストモダンへ』を読む | Theoretical Sociology

    新左翼の遺産―ニューレフトからポストモダンへ この商品の他のレビューをみる» 評価: 大嶽 秀夫 東京大学出版会 ¥ 3,360 (2007-03) 左翼思想とポストモダニズムの親和性を調べていて行き当たった。 著者によれば、新左翼がポストモダニズムを準備した、あるいは何らかの連続性が見られるという。ブント(60年安保のとき全学連を指揮していた学生党)の言動の中にすでにポストモダニズムの芽が見られるという。ポストモダニズムは、近代社会が自明視してきた様々な前提を徹底的に相対化する思想運動なので、ブントが文字通り「ポストモダン」思想の担い手であったわけではない。ブントの主張もマルクス主義(すなわち近代)のボキャブラリーの中でなされているし、著者の議論の中では、相対主義的な臭いはほとんどしない。むしろ、ブントの活動家の言動からは、無邪気に自明性の世界に安住している印象すらうける。著者によれば

    『新左翼の遺産―ニューレフトからポストモダンへ』を読む | Theoretical Sociology
  • 快快@斉藤湯 - 新天地Q人日記(仮)

    7月3日、日暮里の斉藤湯という銭湯に快快のイベントを観に行きました。正直体調もあんまりだったんでパーティって気分でもないし、直前まで迷ったんですけど行って良かったです。いかにも銭湯らしくリラックスして楽しく過ごさせていただきました。きっとこれから海外ツアーに出かける快快にとっても、景気付けになったイベントだと思います。 狙ってやったのかどうかわかんないけど、ポップでアーティスティックと思われがちな領域を、おじいちゃんおばあちゃんの庶民的な日常空間(銭湯)に接続することにも成功していたし、そもそも番台(銭湯の顔)からしてまったり馴染んでいて完璧でした。個人的にはラジコンでこうじ君のティンティンを追うことにハッスルしてしまいましたけどね。やっと観られた中林舞×野上絹代の新ユニットの演目、それから大道寺梨乃の2目、東京落語的世界のフィールドワーク?には新鮮な驚きがありました。などなど。いや全部

    快快@斉藤湯 - 新天地Q人日記(仮)
    yanoz
    yanoz 2009/07/10
    「脱力してるのにある種の力強さを振りまきながら生きてくって感覚も、やっぱり胚胎していたし、ゆっくり根を張って育ってた」
  • ニコニコ動画が歌舞伎だとすると、VOCALOIDは人形浄瑠璃なんだろうな - ニート☆ポップ教NEO

    っていう思いつき。 前に歌舞伎の映像を見てて、途中で合いの手みたいに「○○屋!」とか観客から掛け声が入るのが面白いなーと思いながら眺めてた。*1 それを眺めながら「これってニコニコ動画と同じじゃないか?」と思った。 変に日文化に肩入れするつもりはないけど、ニコニコ動画みたいにコンテンツの上にコメントかぶせちゃうなんて大胆なことができるのは、こういう歌舞伎の「掛け声」みたいな日の伝統があったからなんじゃないかなーってことを妄想した。*2 オペラとかだと一区切り終わったあとに「ブラボー!」とか拍手くらいはあるけど、芝居の真っ最中に「ブラボー!」とか言ったりするとかは聞いたことがない。西洋の芝居の鑑賞スタイルと日のそれは似てるようで根から違うんだろうなー。西洋文化圏の人たちはコンテンツの上にコメントかぶせるなんて考えられないんじゃないんだろうか。 この文脈で考えていくとボーカロイドは文楽

    ニコニコ動画が歌舞伎だとすると、VOCALOIDは人形浄瑠璃なんだろうな - ニート☆ポップ教NEO
  • 「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的

    「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去
  • テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall

    東浩紀の発言から始まった年末南京事件騒ぎだけれども、このパターンほとんど年始のフロムダ氏の南京論争とそっくりで、わたしとしては以下の一年前の記事を再掲するだけで終わらせても良いくらいだ(この騒ぎでにわかにリバイバルしてアクセス数が増えている)。 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 南京事件否定論は基的にトンデモ - Close to the Wall 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close to the Wall ただ、東のいっていることは単純に歴史修正主義容認論とみなしていいのかどうかはやや判断に迷うところなのでさておくが、ゼロアカ門下生藤田直哉id:naoya_fujitaの発言はひどいのを通り越してもはや犯罪的だと

    テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall
  • 笠井潔が、真に望んだこと - 田中幸一

    東浩紀 哲学往復書簡2002 動物化するポストモダン 大澤真幸 自由を考える 9.11以降の現代思想 ポスト・モダニズム 糸井重里 高橋源一郎 柄谷行人 浅田彰 ホランド 水没ピアノ 佐藤友哉 吉隆明 舞城王太郎 西尾維新 SF 法月綸太郎 巽 昌章 千街晶之 探偵小説研究会 清涼院流水 長谷部史親 縄田一男 島田荘司 格ミステリ 綾辻行人 我孫子武丸 有栖川有栖 北村薫 鮎川哲也 京極夏彦 宮部みゆき 怪の会 森博嗣 格ミステリ作家クラブ 三浦雅士 文芸春秋 ミステリ・マスターズ 山田正紀 日推理作家協会賞 中山元・山路龍天 三浦雅士 大塚英志 新保博久 格ミステリ大賞 このミステリーがすごい! 格ミステリ・ベスト10 日冒険作家協会 野崎六助 北米探偵小説論 バイバイ、エンジェル サマー・アポカリプス 薔薇の女 禁じられた遊び 地獄は地獄で洗え…… 国家民営化論 鮎川