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川柳に関するyanozのブックマーク (34)

  • 多行川柳入門

    多行書きの川柳として川柳界で最もよく知られているのは、松芳味の次の作品だろう。 これはたたみか 芒が原か 父かえせ 母かえせ 松芳味の句集『難破船』の第二部は多行川柳で占められている。短歌・俳句にあるものはすべて川柳でも試みられている。川柳には自由律もあれば、短句(七七句)もあり、多行川柳もある。私は基的に川柳は口語一行詩だと思っているので、自分では多行川柳を書くことはないが、ひとりの作者が多行作品に向かうときの必然性は否定しない。今回は川柳における多行書きの作品を振り返ってみたい。 多行川柳の試みとしてまず注目されるのは、新興川柳期の中島國夫である。新興川柳期には自由律についての議論が盛んで、それと関連して多行川柳も書かれている。中島國夫の作品から、定型・自由律・二行書き・三行書きを並べて紹介する。引用は『新興川柳選集』(たいまつ社)より。 カラクリを知らぬ軍歌が勇ましい みんなド

  • 川柳という対岸 『バックストローク』最終号を読む 西原天気

    yanoz
    yanoz 2023/02/07
  • 「垂人」31

    「垂人」31 編集・発行 中西ひろ美 広瀬ちえみ ひろ美&ちえみによる表紙写真が毎号印象的な「垂人たると」は、俳句、川柳、短歌、連句、自由律句、詩、図形詩と、さまざまなジャンルの作品が掲載されている。そして参加している作家の幾人かは、ジャンルを掛け持ちしている。 一般的に短詩型作家は、川柳なら川柳、俳句なら俳句、短歌なら短歌と、一つのジャンルにしぼって創作をつづけるものだ。しかし、なかには自ずとジャンルを越境する書き手もいる。わたしが参加している「かばん」誌は、短歌専門誌ではあるけれど、個々の会員・購読会員のなかには、短歌と並行して俳句、川柳、連句、現代詩、小説、エッセー、絵、戯曲、翻訳、歌詞などを創作しているひともいる。なものだから「垂人」誌は、わたしからすると違和感がないどころか、これが普通という感じすらある。 ちなみに、格闘技の世界では、嘉納治五郎、前田光世、木村政彦、ジン・ラーベ

    「垂人」31
  • 川柳試論-暮田真名を読む【柳論】|ササキリ ユウイチ

    ……人間身体は死骸に変化する場合に限って死んだのだと認めなければならぬいかなる理由も存しないからである。かえって経験そのものは反対のことを教えるように見える。というのは、人間はほとんど同一人であると言えぬほどの大きな変化を受けることがしばしば起こるからである。 スピノザ『エチカ』第四部定理三十九備考句集『ふりょの星』刊行を記念して印鑑の自壊 眠れば十二月 暮田真名『補遺』 暮田真名の第一句集『補遺』(私家版)の最初のページにあるこの句に翻弄されながら、連想の限りを尽くす一句評。第一句集の最初の句、この特別な句に評を捧げよう。 にしては長く、もはや一句評というのは仮面でしかなく、おそらく別の顔がある。暮田真名論か、あるいは一般の川柳に通ずる柳論か。果てしない注釈か。何はともあれ、川柳を愛するものとして、また応答する側も奇行に及びたい。-川柳はなぜ奇行に及ぶのか? 大まかにいえば、この試論は表

    川柳試論-暮田真名を読む【柳論】|ササキリ ユウイチ
  • 球 根   本間かもせり

    添付ファイルをカフェに忘れる 脱ぐのが早いほうが容疑者 謙虚なひとは球根になる 歌を忘れたMiG-21 冷たい部屋で赤い履く 砂の上ならまず許される 平服で来るダース・ベイダー 奇数だったらまた逢いましょう 【ゲスト・間かもせり・プロフィール】 川柳誌「風」「川柳スパイラル」 自由律俳誌「海紅」 縦書き画像をご覧になるばあいは以下をクリックしてください

    球 根   本間かもせり
  • 「垂人」31

    「垂人」31 編集・発行 中西ひろ美 広瀬ちえみ ひろ美&ちえみによる表紙写真が毎号印象的な「垂人たると」は、俳句、川柳、短歌、連句、自由律句、詩、図形詩と、さまざまなジャンルの作品が掲載されている。そして参加している作家の幾人かは、ジャンルを掛け持ちしている。 一般的に短詩型作家は、川柳なら川柳、俳句なら俳句、短歌なら短歌と、一つのジャンルにしぼって創作をつづけるものだ。しかし、なかには自ずとジャンルを越境する書き手もいる。わたしが参加している「かばん」誌は、短歌専門誌ではあるけれど、個々の会員・購読会員のなかには、短歌と並行して俳句、川柳、連句、現代詩、小説、エッセー、絵、戯曲、翻訳、歌詞などを創作しているひともいる。なものだから「垂人」誌は、わたしからすると違和感がないどころか、これが普通という感じすらある。 ちなみに、格闘技の世界では、嘉納治五郎、前田光世、木村政彦、ジン・ラーベ

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  • Magical Mystery Tour.pdf

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    yanoz 2021/08/05
  • 夏木智評論集

    福祉川柳の大騒ぎ(ひつじ通信第1号) 救急車自分で呼べよばかやろう 金がないそれがどうしたここくんな きこえるよそんなにそばにこなくても 母子家庭見知らぬ男が留守番す ケースの死笑いとばして後始末 ゆくたびにおなじはなしにうなづいて 死んでやるわかっていてもとんでいき 暗くてはやってられないこの仕事 親身面気じゃあたしゃ身がもたねえ 訪問日ケース元気で留守がいい こうした川柳が世間の話題になったことがある。一九九三年の六月のことである。句を作ったのは各自治体の福祉事務所に属し、生活保護受給者(ケース)の相談相手をすることを仕事とするケースワーカーたちである。彼らの機関紙『公的扶助研究』が、「第一回福祉川柳大賞」というものを企画し、それに応募した作品を「マスコミ関係者の目に触れぬようご注意ください」という断り書きをつけて載せたのである。 それが「マスコミに漏れて」大騒ぎになった。新聞テレビ

  • 川柳のアンソロジーについて - 熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)

    個人が川柳句集にして残していくことも尊いことですが、川柳文芸として体系的なものを形にして後世に伝えていくにはアンソロジー(選集)の存在がなくてはなりません。下記にいくつかあげていますが、取り組んでこられた編者の多大なご尽力には敬服するばかりです。古川柳では『誹風柳多留』『誹諧武玉川』などがあり、明治からの歴史的川柳家のものも篤志によりかなりまとめられています。それらとともにいま現代の川柳のアンソロジーが必要なのです。(ここでは定義があいまいな〈現代川柳〉ではなく、より広い意味の〈現代の川柳〉という表現にしました) そうしなければいま私たちが詠んでいる川柳は文芸のなかのジャンルに存在しえないでしょう。興行的傾向のある一般的な川柳大会は川柳の始まりに鑑みれば肯定されるものです。しかしそれだけではなく、もう一つの柱として体系としての保存収集が大切だと感じています。表現されたものは研究されたり論じ

    川柳のアンソロジーについて - 熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)
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    yanoz 2020/11/13
  • ゼロ年代の川柳

    「ゼロ年代」(2000年~2009年)が終了して、「テン年代」とか「ポスト・ゼロ年代」とか言われるが、このような呼び方に反発や違和感をもつ向きもあるようだ。西暦10年ごとに区切るよりはもっと大きなスパンでとらえた方がよいのではないかということらしい。けれども、「昭和俳句」「平成俳句」などのような呼び方との違いは、「ゼロ年代」という区切り方をすると、ジャンルを横断しての共時的比較が可能になるという点である。特に川柳の場合は、年代的把握意識に乏しいから、「ゼロ年代川柳」というとらえ方で見えてくる光景があるのではないかと期待できる。 ゼロ年代の考察に入る前に、その前提となりそうな話題を振り返っておきたい。 短歌誌「井泉」37号(2011年1月1日発行)のリレー評論では〈短歌の「修辞レベルでの武装解除」を考える―95年以降の表現の変質について―〉というテーマで、荻原裕幸と彦坂美喜子の評論が掲載され

  • http://www.agri-history.kais.kyoto-u.ac.jp/2-Praktikum/fujiwara.pdf

  • https://mobile.twitter.com/i/events/1254742256239562757

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    yanoz 2020/05/08
  • 国語表現 | 高校講座

    NHK高校講座の放送日程や各回の放送内容・学習に役立つ資料・映像、音声などをストリーミング配信。

    国語表現 | 高校講座
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    yanoz 2020/05/08
  • 【書評】『金曜日の川柳』樋口由紀子編著 読者の現在と響き合う|au Webポータル国内ニュース

  • 今月の作品 石川 聡「そうなんだぁおいら支流のおさかなです」を読む

    秩序、というもの/ことは、何のためにあるのだろうか。 こんな問いを立てるのも、川柳というもの/ことにあって、いっけん「法」が支配しているように見えるからである。ルール、とあえて片仮名で書いた方が感触は伝わるだろうか。たとえば五七五ということ、それが川柳にとって、最も尊ばれる「法」であると、多くの人が理解している。 だが、なぜ五七五なのか。その理論については、拍打などの音声的な点からも説明はなされている。だが、その当否はここでは置いておく。ここで考えたいのは、多くの人々(主に五七調に携わらない人々)にとって、五七五(短歌なら五七五七七)が当然の前提として了解されているという問題についてである。 およそ、五七調に関わった者ならば、いちどならず「ここで五音(あるいは七音)にしなければどんなにかよいのに」と誘惑された経験があるはずだ。その次には、当然として「なぜ五七五なのだろう?」という疑問にぶち

    今月の作品 石川 聡「そうなんだぁおいら支流のおさかなです」を読む
  • https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/20130314171329565.files/machida37.pdf

  • 週刊ポップドラゴン 【杉山竜のポップ川柳】

    【みんなの五句】 (過去の掲載句) おトイレはどこでしょうかと聞いておく (濱山哲也さん) 見ない見えないの存在 (市川勲さん) ふざけたらそこから先は風になる (ムロラン仮面さん) 年金に軍事費ちょっと回したら (木根川八郎さん) 票よりも再生数が欲しい党 (シャイニングハート!さん) 【竜の一句】 (過去の掲載句) リフレインこころが折れたときのおと 【※次回更新は2024年5月27日(月)の予定です】 【今週の一句 過去ログ】 【みんなの五句】 (2024.5.13 → 5.19) 黄泉路ではスマホ決済できません(木根川八郎さん) やさしさは春の終わりに置いてきた(ムロラン仮面さん) 神さまの死角を探す僕と君(濱山哲也さん) 赤が血の色に思えてきたら恋(空夢さん) ヒマかって聞かれたときのドキドキ感(ぴよぴよさん) (2024.5.6 → 5.12) おいしそう岸田おろしに醤油かけ

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    yanoz 2019/12/17
  • バックストローク | 川柳本アーカイブ

    戻る 2003年創刊、発行人石部明。編集人畑美樹。2011年第36号をもって終刊。 *バックストロークの電子化公開は石部明さまのご家族の同意のもと、石田柊馬さま、兵頭全郎さま、畑美樹さまの協力を得て実施しました。特に畑美樹さまにはご家族、当時の同人の方々へのご連絡やデータ提供など多大なご協力をいただきました。ありがとうございました。 *閲覧前に、こちらの注意事項をお読みください。 *一部を除いて、表紙は川柳アーカイブが作成しました。 *フォントやインデント等が冊子と異なる場合があります。 *データがない/復元が不可能などの理由で掲載されていた写真/広告がない場合があります。

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    yanoz 2019/12/14
  • 『川柳作家全集 間瀬田紋章』より | 川柳やりなよ

    夢ばかり追うてる髭を剃り残す 引き返すことにも慣れてカタツムリ ヒマワリが頻りに冬のことを聞く 飛んでくる石それぞれにある重さ 終章に時間をかけているブザー 間瀬田 紋章 1952年 宮崎県生まれ お名前(雅号)がカッコイイなぁ、 思ったのですが、 ご自身のお店の名前らしいです。 「間瀬田紋章店」 紋章屋さんって、 どんなお仕事なんでしょう。 ポチッと、お願いします。 川柳ランキング 間瀬田紋章―川柳作家全集 間瀬田紋章―川柳作家全集の他のレビューをみる» 評価: 間瀬田紋章 新葉館出版 ¥ 1,100 (2009-12)

    『川柳作家全集 間瀬田紋章』より | 川柳やりなよ
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    yanoz 2019/11/20
  • 川柳自句自壊小説 水|川合大祐

    いよいよ没水式が迫ってきたと喚きつづける鉄鍋屋の親爺を、スクールゾーンの自作ねじろから引きずり出す方策について、分離町商店街の話し合いはこの二週間ほど、毎晩のごとくひらかれていたが、なにぶんにも対手が壜を所有しているのかどうか不明瞭なこともあって、とうとう今夜で三週間目になるなと固定暦を見ながらぼんやり考えていると、鉱線電話がぎじりぎじり鳴って、やはり私と狼少年が出向くことになった。 午前中、中学園の園舎への道はうす黄色い靄につつまれ、狼少年は半袖からのぞく両腕の体毛がべっとりとすると言って、濡れた肌をしきりに大陸手拭いでこすっていた。 ごたぶんに漏れず狼少年の狼めいた部位は両腕の剛毛だけで、ならば長袖防護服を着ればよいのではないかと、私はあらためて思ったが、そうすると狼少年を狼少年と証立てる一点も見えなくなってしまうので、彼は彼なりの思想を持ってビリー・ワイルダーのTシャツをまとっている

    川柳自句自壊小説 水|川合大祐