日本ラグビー協会は25日、20日に53歳の若さで亡くなった元日本代表監督平尾誠二氏の親族のコメントを発表した。題は「平尾誠二を応援してくださった皆さまへ」。 「平尾誠二は10月20日午前7時16分に天国というフィールドに旅立ちました。昨年の秋から胆管細胞がんを患い、闘ってまいりましたが、残念ながら回復することはかなわず、最期は家族に見守られて、静かに息を引き取りました。10月23日に、私たち家族による密葬を済ませました。平尾の死を惜しむ皆さまの声は本人に届いていたものと思います。この場を借りて御礼申し上げます」 以降は闘病生活時にも神戸製鋼ラグビー部の成長と、日本ラグビー界の発展を気にかけていたこと。19年W杯日本大会の成功と日本代表の勝利を夢としていたことなどがつづられている。 最後には「平尾誠二は皆さまに支えられて、最期まで幸せな人生を送ることができました。長きにわたり、平尾誠二を応援
この喪失感は何だろう。「ミスター・ラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんが亡くなった。平尾さんの最大の功績は、ラグビーの人気と価値を、さらには社会におけるスポーツの価値を高めたことだろう。まだ53歳。スポーツ界にとっては大きな損失だと思う。 20日。六本木では国際会議「スポーツ・文化・ワールドフォーラム」が開かれた。「ラグビーの魅力・ラグビーワールドカップの力」というセッションもあり、ラグビー関係者が大勢、詰めかけていた。その会場で流れた突然の訃報。同じ同志社大学出身の往年の名選手、坂田好弘・日本ラグビー協会副会長は「ほんと残念です」と漏らした。 「元気だったら、この場所にもいたはずですよね。体調が悪いとは聞いていたけど…。奇跡が起こればいいとずっと思っていました。これから日本ラグビーを変えていく人材として、期待していたのに…」 平尾さんの輝きはスペシャルだった。坂田さんはつづけた。 「彼はまさ
【ラグビー】平尾氏死去…若すぎる53歳、松尾氏「膵臓がんと聞いていた」 2016年10月21日6時0分 スポーツ報知 1995年1月8日、東芝府中との社会人ラグビー決勝、華麗なステップでトライを決めた神戸製鋼・平尾氏。7連覇を達成した ラグビー日本代表主将で、日本代表監督も務めたミスターラグビーこと、平尾誠二氏=神戸製鋼ゼネラルマネジャー(GM)=が20日午前7時16分に死去した。53歳だった。最近は体調を崩し、病気療養中だった。死因は不明。平尾氏は京都・伏見工高(現京都工学院高)で山口良治監督の下、1981年に全国高校大会で初優勝。同志社大では史上初の全国大学選手権3連覇に貢献し、社会人の神戸製鋼では日本選手権7連覇を達成した。実力だけでなく、端正な顔立ちでラグビー界の新時代を築いた。葬儀、告別式は未定。 日本ラグビー界の巨星が逝った。日本協会は平尾氏が20日午前7時16分に死去したと
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
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