どんな重大事件でも時を経ると忘れられ、他人(ひと)の記憶は薄れていく。しかし事件の当事者は違う。何年経とうが胸の中に残る。ましてや、正気では受け止めきれないほどの凶悪事件の被害者ならばなおさらだ。 2004年6月、長崎県佐世保市の小学校で6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで喉を切られ死亡する事件が発生した。学校内で起こった前代未聞の事件に報道は過熱した。 だがその熱もやがて醒め、似たような子供同士の殺人事件などが起こると、過去の例として取り上げられるくらいになっていく。 10年後、新聞記者である被害女児の父親の部下が、事件関係者を丹念に取材して『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)を上梓した。私はこの本で、被害者に二人の兄がいたことを知る。ただその本で注目されたのは女児と年の近い次男のこと。長男についてはほとんどわからなかった。 本書では、同じ著者があらためてこの家族について、