池内恵(いけうち さとし 東京大学准教授)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について、日々少しずつ解説します。有用な情報源や、助けになる解説を見つけたらリンクを張って案内したり、これまでに書いてきた論文や著書の「さわり」の部分なども紹介したりしていきます。
池内恵(いけうち さとし 東京大学准教授)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について、日々少しずつ解説します。有用な情報源や、助けになる解説を見つけたらリンクを張って案内したり、これまでに書いてきた論文や著書の「さわり」の部分なども紹介したりしていきます。
1月7日に襲撃・大量殺人事件が起きたフランスの週刊風刺マンガ紙(日本でイメージする「新聞」では必ずしもない)「週刊シャルリ(シャルリ・エブド)」の発行部数は、約3万だという。事件の夜にパリのレピュブリック(共和国)広場に集まった群衆は3万5000。この数字の不均衡と、にも関わらずのおそろいの『Je suis Charlie 私はシャルリ』という黒地に白抜きのプラカードには、なにか不気味さが漂う。 シュルリ・エブドの出発点は週刊「ハラキリ」 「真実を探究したジャーナリストが凶弾に倒れた」というが、この週刊新聞は事実を直接報道するのではなく、掲載するのはそれをネタにした辛口の風刺だ。風刺にはよりシャープな真実を見る目が必要だ、と言われれば話がズレていないかと思いつつも反論はしにくいが、しかし巷間に報道される内容から受けるこの事件のイメージが必ずしも精確とは言えないことだけは確かだ。いやもっと言
「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最
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