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歴史認識と歴史に関するD_Amonのブックマーク (40)

  • asahi.com(朝日新聞社):日独友好決議、自民が多数欠席 歴史認識、党内に溝 - 政治

    日独交流150周年にあたって友好関係を深めるため、22日の衆院会議に民主党や自民党が提出した「日独友好決議」の採決で、自民党議員116人のうち安倍晋三、麻生太郎両元首相ら約30人が直前に退席し、10人近くが座ったままで反対するという異例の事態となった。  問題になったのは「(日独)両国は、第1次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、1940年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」という部分。  会議直前の自民党代議士会で(1)事前に党の部会などで議論がなかった(2)事実の誤認がある、と執行部批判が噴出。下村博文氏は「ドイツは1939年のポーランド侵攻から(戦争が)始まっている」と採決での全員退席を求めた。  石破茂政調会長が「党の手続きにのっとって私が賛成ということにした」と説明したが収まらず、

    D_Amon
    D_Amon 2011/04/24
    侵略行為は単なる事実でそれを削除したのは日本の多数派議員の賛成を得るには必要でも悪い妥協。社共は事実に誠実であるために悪い妥協を拒んだ。離反組み自民党議員はさらなる不誠実のために悪い妥協すら拒んだのだ
  • 近衛読書中隊 「BC級裁判」を読む

    半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日経済新聞社 半藤、秦、保阪という代表的な現代史の書き手に、富田メモをスクープした日経新聞の井上編集員を加えた4人で、BC級戦犯裁判を語るという書。取り上げられている事案は次の通り。 泰緬鉄道F軍団事件--イギリス軍シンガポール裁判85号 サンダカン死の行進--オーストラリア軍ラブアン裁判14号 ランソン事件--フランス軍サイゴン裁判39号 カーコニコバル島住民虐殺事件--イギリス軍シンガポール裁判12号 シンガポール華僑粛清事件--イギリス軍シンガポール裁判118号 スマラン慰安所事件---オランダ軍バタビア裁判69号 花岡事件--アメリカ横浜裁判230号 武士道裁判--アメリカ横浜我利23号 ガスマタ豪軍飛行士介錯事件--オーストラリア軍香港裁判13号 百人斬り競争--中華民国南京裁判21号 海軍生体解剖事件--アメリカ

  • "when nobody was in a position to count..." - Apeman’s diary

    http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/world/europe/100716/erp1007162118003-n1.htm ホブスボームは先日引用した箇所の少し前で次のように書いている。 Its losses are literally incalcuable, and even approximate estimates are impossible, since the war (unlike the First World War) killed civilians as readily as people in uniform, and much of the worst killing took place in regions, or at times, when nobody was in a position to c

    "when nobody was in a position to count..." - Apeman’s diary
  • 補足3 - Apeman’s diary

    Bill_McCreary 2010/06/15 22:37 私もこのは現在読んでいる最中です。なかなか三光作戦のはないので、貴重ですね。 (後略) (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100613/p1#c1276609051) ミネルヴァ書房刊の『大量虐殺の社会史』(松村高夫・矢野久編著)では第11章「現代に生き続ける医学の歴史的犯罪」で731部隊の人体実験や細菌戦が扱われているほか、松村高夫氏の執筆した序章でも日軍による(ないし日における)大量虐殺の事例がいくつか例示されているのだが、南京虐殺はもちろんのこと平提山事件や重慶爆撃への言及はあるのに、「三光」作戦と東南アジアでの華僑虐殺には触れていない。もちろん例示であるから漏れがあるのは当然ではあるが、しかしこの二つは他の戦争犯罪・国家犯罪と比較してももっともジェノサイド的な性格が強い*1わけで、“

    補足3 - Apeman’s diary
  • 「痛切さ」を欠く「仕方なかった」言説

    D_Amon
    D_Amon 2010/05/05
    なんというか、背景にある心理には現在の沖縄基地問題にも共通する部分があると思う。仮に「沖縄に基地を置くのは仕方がない」として沖縄に基地を置く側がそれを言うことが何を意味するかという話。沖縄の怒りは当然
  • 2010-03-24 - おこじょの日記 トム・ハンクス氏の第2次大戦についての発言

    Times誌のインタビューでの発言が、批判されてるそうだ。ハンクス氏は"The Pacific"という太平洋戦争に焦点を当てたドラマを制作したばかり。Tom Hanks' WWII Comments Spark Controversy - CBS News Timesのインタビューの該当箇所:TIME And he is pleased that The Pacific has fulfilled an obligation to our World War II vets. He doesn't see the series as simply eye-opening history. He hopes it offers Americans a chance to ponder the sacrifices of our current soldiers in Iraq and Afg

    2010-03-24 - おこじょの日記 トム・ハンクス氏の第2次大戦についての発言
  • Bruce Cumings"The Legacy of Japanese Colonial Empire" - セイキキ

    実は先日読み終えていた。ますます元増田については、植民地主義者の欲望 - セイキキに書いた論評で十分だと思えるようになった。元増田はちなみに、このCumings教授は北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日の植民地政策は朝鮮が政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。ttp://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日の経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。搾取を語るなら論文を読めなんて書いているが、この論文を読んだうえで、こんなまとめ方ができるなら、そもそも元増田英語が読めないんじゃないか、という疑惑も浮かんでくる。カミングスの論文、や

  • media debugger - 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がそれでも売れるわけ (2)

    加藤は『戦争の日近現代史』の「あとがき」で次のように述べている。 一九九四年、現代新書への執筆を、当時、講談社のPR雑誌『』編集長であった堀越雅晴氏から勧められたとき、わたくしの念頭にあったのは、山口定氏の言葉でした。それは、「二度と戦争は起こさない」という誓いが何回繰り返されても、今後起こりうる悲劇の想定に際して、起こりうる戦争の形態変化を考えに入れた問題の解明がなくては、その誓いは実行されないのではないか、といった内容でした(『戦争責任・戦後責任』)。 戦争責任について容易に論ずれば、「誠実を装つた感傷主義か、鈍感な愚かしさか、それとも威張りちらした居直りか」になってしまうと喝破したのは丸谷才一氏でしたが(『雁のたより』)、この山口氏の静かなる提言は、たしかにわたくしの心に届きました。感傷主義でもなく、居直りでもなく、戦争戦争責任を論ずることができるのではないか、と。(加藤陽子、

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    月に1冊、未知なるを読もうという試み(2024年1〜3月) はじめに 1月:【暇・退屈論】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 2月:【決済】ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン『教養としての決済』 3月:【自炊】土井善晴『一汁一菜で良いという提案』 総括 はじめに 社会人として過ごす年数も少なくはなくなっ…

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  • 南京虐殺映画4本一挙上映に警察が会場を厳重警備!新右翼団体鈴木氏が盾になる?|シネマトゥデイ

    (左から)鈴木邦男氏、武田倫和監督-「南京・史実を守る映画祭」にて - Photo:Harumi Nakayama 日ではなかなか上映されない南京大虐殺事件をテーマにした「南京・史実を守る映画祭」が13日、東京・世田谷区民会館ホールで行われた。日初公開となる、ジョナサン・リス=マイヤーズが英国人ジャーナリストにふんし、命懸けで中国戦争孤児を救った実話の映画化『チルドレン・オブ・ファンシー 遙かなる希望の道』(08年、豪・中・独合作)など4作品が上映された。 また記念シンポジウムも行われ、同映画祭実行委員会の荒川美智代さん、ドキュメンタリー映画『南京・引き裂かれた記憶』の武田倫和監督、新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏が登壇し、約200人の観客が詰め掛けた。 今回の映画祭は荒川さんたちが「待てど暮らせど公開されないのなら、自分たちで上映するしかない」と企画したもの。いまだ史実をめぐっ

    南京虐殺映画4本一挙上映に警察が会場を厳重警備!新右翼団体鈴木氏が盾になる?|シネマトゥデイ
  • 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

    加藤陽子『それでも、日人は「戦争」を選んだ』 指導者層からみた戦争史 刺激的なタイトルので、この前朝日新聞の広告をみたら12万部とあったので、売れているのだろう。大手の新聞でも書評でとりあげてられていた。 高校生を相手に、歴史学者の加藤陽子が近現代の日戦争史を講義するというスタイルで書かれている。 結論からいえば、面白いだった。 ひとことでいえば、「それでも、日人は『戦争』を選んだ」ではなく「それでも、日の指導者層は『戦争』を選んだ」という視点で歴史をみていく、ということである。 このタイトルですぐに思い描くのは太平洋戦争における日米開戦だろう。 なぜ物量差が圧倒的にあるアメリカ戦争を挑むなどという馬鹿げたことを日の指導層は実行に移してしまったのか、日の指導層はアホが勢揃いしていたのか、それとも合理的で知性的なメンバーがそれなりにいたとしても誤謬を積み重ねて修正不可能に

    D_Amon
    D_Amon 2009/11/23
    大日本帝国とドイツ第三帝国は全体主義は平和運動抜きの労働運動と親和性が高いという事例。歴史に学ぶのが大好きっ子のみんなには現代日本の労働組合が平和運動を行うことを非難することの意味を考えてほしいと思う
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 「援護法」によって捏造された「沖縄戦認識」 : 「靖国思想」が凝縮した「援護法用語の集団自決」 | CiNii Research

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    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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  • NPJ通信 歴史に向き合うドイツの光と影 内田雅敏

    三浦耕喜 様 『ヒトラーの特攻隊』(作品社)、大変興味深く拝読させていただきました。 「死は鴻毛より軽し」 (軍人勅諭) とする天皇の軍隊としての日の特攻とワイマール共和国を体験し、自殺を否とするキリスト教の教義下にあるドイツの特攻との違い、 日では今日なお 「特攻神話」 が健在であるのに対し、ドイツの 「特攻」 は歴史の闇に葬りされようとしている等々、日独の違いなどにも興味を持ちました。 しかし、御著の真髄は後半部分、特に 「埋もれた60年」 「あとがき」 にあるのではないでしょうか。 2008年9月ケルン市でのネオナチの反イスラム (合法) 集会を市民が非合法直接行動という実力で粉砕したことに関し、 「はっきり言えば、ドイツでは極右に言論の自由はない。たとえ法律上は認められているとしても、社会がきっちり弾圧する。決して居場所を与えない。 「合法的」 などという言い訳は通用しない。な

  • 週刊新潮記事、「人間動物園」問題で大ウソをつく - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    4月23日号、「[特集]歴史歪曲と「台湾人」も激怒したNHK「超偏向」番組」にて。 問題の箇所。 「番組全体が“捏造”とまでは言わないにせよ、ひどい歪曲の連続でした」 台湾研究フォーラム会長の 永山英樹 氏が呆れて言う。 「たとえば、番組冒頭で“日台湾統治を象徴する”ものとして紹介された1枚の写真には“人間動物園”なる刺激的なタイトルが付けられている。そして、台湾の先住民族パイワン族を、日政府は1910年にロンドンで開かれた日英博覧会に連れて行き“見世物として展示した”と解説されるのです。確かに当時の西欧には、植民地化した土地の未開人を見せて金を取る人間動物園と言う見世物があった。しかし、この時にパイワン族が披露したのは伝統的な踊りや模擬戦闘。歌舞伎や相撲の海外興行と同じで、誇りを持って自分たちの技を披露しているのです。同じ博覧会の写真でインドの人々は半裸ですが、パイワン族がちゃんと

    週刊新潮記事、「人間動物園」問題で大ウソをつく - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 南京事件否定論の背景と日本政府の不作為

    さすがに、人数を明記して「旅団命令で捕虜を殺した」と書いてある戦闘詳報の存在を前にしても否認し続ける人びとを相手にするのは疲れてきたが、ぼちぼち私なりのまとめをば。なにが南京事件否定論を育てる温床になっているのか? まず第一に、南京事件のスケールの大きさである。通常の日人が学校教育で学ぶのは、「南京で日軍が悪いことをやり、たくさんの中国人(教科書によっては「20万人ともいわれる」などの表現も加わる)が殺された」という程度のことでしかなかろう。なにしろわが日政府の公式見解も「旧日軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」と素っ気ないのだから。 4万人とか10万以上とか、まして20万、30万人が亡くなるというのはおよそ非日常的なことであり、人間はそうした事柄を簡単にイメージできるようには進化してこなかった。では南京事件のスケールとはどのようなものな

  • 「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary

    南京事件否定派が成功しているのは「30万人が殺害された、とする根拠が十分じゃない」ということの論証である。しかしそこから直ちに「30万人も殺されていない」とするのは論理の飛躍である。「30万人も殺されていない」と主張するためには、それこそ安全区の人口を南京市の人口とすり替えるようなゴマカシ抜きで当時の人口移動について実証的な検証*1をし、「30万人も殺されたはずがない」ことを示す必要があろう。秦郁彦も(80年代には)こう言っていた。 奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって紀念館のかかげる三十万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字の持ちあわせがあったのだろうか。へたな数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこり被害者の証言を積みあげた三十万に対抗できる数字をわが方から出すのは不可能と思う。 (「論争史から観た南京虐殺事件」、

    「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary
    D_Amon
    D_Amon 2009/06/08
    よく知りもしないのに安易に30万人はありえないとか嘘とか言う人は、それを歴史学的手順をふまえて証明してみせてほしいと思う。歴史学的手順をふまえないでのそういう発言は論理性において歴史修正主義者と同レベル
  • ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去

    また南京事件で盛り上がってますね。 中国は南京事件政治利用しているという人がいますが、少なくとも日中国交正常化以降、中国が南京事件に関して「謝罪と賠償」を要求したことは一度だって無いし、毒ガス問題など個別イシューを除けば日中間で歴史認識が政治問題になっているのは唯一靖国くらいのものですが、もちろん中国は南京事件があったことをもって靖国神社への参拝に反対しているわけではないのです。 さて、この問題が蒸し返されるときにはきまって、南京事件あったかなかったか「どうでもいい」と思っているのに南京事件「論争」にはいっちょ噛みたいと思っているのが多すぎるのが問題をややこしくしていると思うのですが、それはポストモダニズム系リベラルの問題として表すことができるかもしれません。 つまり、劣化版東浩紀です*1。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c122932

    ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去
    D_Amon
    D_Amon 2009/06/03
    「謝罪!」「賠償!」「そのための誇張!」なんて連中は国交回復時の賠償放棄の件も知らないで否定派に植えつけられた偏見に染まっているだけの情報弱者なのにその自覚がないのが困り者。本論とあまり関係ないですが
  • 壊れる前に…: 駐米大使の謝罪

    Japan ambassador apologizes for Bataan Death March - 第二次世界大戦当時、フィリピンのバターン半島で、日軍が捕虜約78,000人(フィリピン人66,000人、アメリカ人12,000人)をべ物や水なしで長い距離を歩かせ、途中11,000人あまりが亡くなった「バターン死の行進」について、藤崎一郎駐米大使が謝罪したことをAP電が伝えている。 謝罪は、テキサス州サンアントニオで開かれていたバターン死の行進生き残り兵士の親睦会で行なわれた。藤崎大使の謝罪を歓迎する声と、否定的な見方が相半ばしていたらしい。「お前の謝罪なんか受け入れない」「この若造は虐殺のことなどほとんど知りもしないみたいだ。スピーチを練習してきたに違いない」などといった厳しい言葉も紹介されている(現地の報道では、アメリカ人にとっては、回りくどい言い方で、誠実さに欠けるように聞こ