【(4月8日)記事を分かりやすく整頓しました。以前のバージョンはこちらから。】 ・「私」という漢字はかつては「和多志」であったのにGHQによって「私」になった ・「乾杯」という言葉はかつては「弥栄」で、GHQは「弥栄」の言霊をおそれて「完敗」を想起させる「乾杯」になった ・「気」は本来は「氣」であり、エネルギーが広がる「米」だったのに「〆る」にGHQによって替えられた ・「漢字」は「神運字」だった などなど、これらは一部で流布しているスピリチュアルな言霊信仰ともいえる漢字や単語に対する認識の一例で、GHQという外敵によって本来あったであろう日本や日本人が歪められたという疑似的な「かつての日本」の復古運動の流れともいえるでしょう。で、この運動というか、ネット上で使用する人が近年見る頻度が高くなったと思われ、それ自体はSNSなどによる可視性、拡散性と似非知識によるバズ狙い、また反ワクチンなどの
シリーズ構成、脚本の福井晴敏さんは「今できている設定画をちりばめつつ、重要なせりふを入れ込みました。分かったような分からないような……。混乱するかもしれない。(映像を見て)妄想していただければ」と語った。 「3199」のヤマトは、艦首のイカリマークが立体的になっており、福井さんは「(2202に登場した)銀河でやっているのを見て、立体にした。銀河があったからできた。今回のヤマトはこの形です」と話した。イベントには「2202」を手掛けた羽原信義監督、脚本の岡秀樹さんも登壇した。 「宇宙戦艦ヤマト」は1974年にテレビアニメ第1作を放送。「宇宙戦艦ヤマト2」「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」なども制作されてきた。第1作をリメークした「宇宙戦艦ヤマト2199」が2012~14年、「2199」の続編「2202」が2017~19年に劇場上映、テレビ放送された。 「2202
漫画家の松本零士が亡くなった。今回は“松本アニメ”のあり方について考えてみたい。 1977年から1984年いっぱいまで続いたアニメブームを振り返ると、映画『宇宙戦艦ヤマト』(1977)→『機動戦士ガンダム』(1979)→『超時空要塞マクロス』(1984)という流れで取り上げられることが多いが、この流れと並行して2つの潮流があり、ひとつが松本零士が原作・関与した“松本アニメ”の流れだった。ちなみにもうひとつは団塊ジュニアを中心に盛り上がった、『ドラえもん』(1979)を皮切りとする“藤子アニメ”の流れだった。 当時、“松本アニメ”がどれだけハイペースでリリースされていたのかを確認してみよう。 1977年 『宇宙戦艦ヤマト』(映画)、『惑星ロボ ダンガードA』 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(映画)、『宇宙戦艦ヤマト2』、『SF西遊記スタージンガー』、『宇宙海賊キャプテンハ
こんにちは。ymtetcです。 先日の「『2199』出渕体制から『2202』福井体制へ」の記事に対する反響のなかで印象的だったのが、「方舟の興収がよくなかった」ことに驚いた、というものです。 私は『方舟』の年に受験生だったので、当時の様子は完全に把握できていませんが、当時、『方舟』に賛否両論があったことは覚えています。 今日は、なぜ公開当時『方舟』が賛否両論だったか、そして、なぜ今はそうは見えないのか、について考えていきます。今回は検証ではなく、『2199』当時2chの『2199』スレに常駐していた経験から(笑)、記憶を辿って書いていきます。 〇『2199』第9話・第14話への批判 〇「ヤマトファン」から「リメイクヤマトファン」へ 当時賛否両論だった『方舟』が、現在はそう見えない理由。それは、現在『方舟』を語っている人の大半が『2199』ファンだからだと考えます。 『方舟』公開当時の批判点
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『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(さらばうちゅうせんかんヤマト あいのせんしたち)は、1978年8月5日に東映系で公開されたアニメーション映画。通称は「さらば」「さらヤマ」など。外国語表記は「Arrivederci Yamato」(アリーヴェデルチ ヤマト)。テレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』の続編(厳密に言うと本作を含めた続編は劇場版第1作の続編ではない)であり、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第2作。総集編だった劇場版第1作と異なり、完全新作のオリジナルストーリーである。1978年8月5日公開の夏休み映画で、全国133の映画館で封切りされた。本作では地球と白色彗星帝国との戦いを通じてヤマト乗組員達の死が描かれた。1977年公開の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の成功を受けて、同年11月に本作の製作が決定した。第1作のようにオフィス・アカデミーの制作だと正月映画となるため、夏休み公開を目指して制
「白色彗星」といえばパイプオルガン、パイプオルガンといえば「白色彗星」というくらいにすっかりイメージが定着してる「白色彗星」のパイプオルガンの話です。 映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のサントラに収録されてる「白色彗星」は、武蔵野音大にあったパイプオルガンを当時高校生だった宮川彬良が苦労して弾いたものだと語られてますが、そこで大いに疑問が湧きます。 ヤマトのサントラの収録なら当然ながら西崎プロデューサーが関与していたはずですが、一流好きの西崎プロデューサーならちゃんとプロのオルガン奏者に演奏させて録音しているはずだと思うのですが、いくら作曲者の息子とはいえピアノしか弾けない素人の高校生にパイプオルガンを弾かせたというのはどういうことなんでしょうか? このパイプオルガンの曲が羽田健太郎のピアノ、徳永二男のヴァイオリン、木村好夫のギター、宮下明のトランペットと一緒に使われるわけです。どう考えても納
こんにちは。ymtetcです。 前回の記事「【ヤマト2205】福井晴敏が『ヤマト』をやる理由」に、以下のような指摘がありました。 そのヒューマニズムの安っぽい乱用が問題ではありませんか。 現実社会では,ヒューマニズムより,企業の利益追求が優先せざるを得ず,そうしないと生きていけないのです。そんなに人間たちにとって,福井氏の考え方は私自身も含めて生理的に受け付けないのです。 (仏草念雲さま) 福井ヤマトにおける「ヒューマニズム」の取り扱い方についての指摘で、重要な視点だと考えます。 ちなみに,私は先ほど,コンサルティングの依頼のあった数万人規模ののリストラ計画書の作成を終えたところです。 私自身は仏草念雲さまとは立場が大きく異なっており(どちらかといえばリストラされる側の人間)、共感するのは畏れ多いところです。 ただ私自身、学生時代に観た『2202』と社会人になってから観た『2205』を比較
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