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おくやみと伝統芸能に関するyyamaguchiのブックマーク (7)

  • 中村勘三郎さんへ松竹代表取締役社長・迫本淳一氏弔辞…「虚しさ悲しさは言葉になりません」

    歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)の葬が27日、東京・築地願寺で営まれ、松竹の代表取締役社長・迫淳一氏が最初に弔辞を読み上げた。 ■迫淳一氏弔辞 中村勘三郎さんのご霊前に謹んでお別れの言葉を申し上げます。 中村屋さん。あなたにこのような形でお別れすることになるとは、いまこうしてお別れの場に臨んでおりましてもいまだに信じることができません。言いようのない悔しさ、ただ、ただ、無念であります。 一昨年の秋ごろから体の不調を訴えて、しばらく休んでいらっしゃったあなたは、大好きな松で舞台復帰されました。何か以前より格調が増したように思いました。その後も、調子でないといいながらも、6ヶ月に及ぶ平成中村座やご子息の中村勘九郎襲名披露興行の舞台に立たれたことを私たちの誰もが中村屋さんご一家の新たな門出と祝福しておりました。 そのあなたが57歳という若さで、われわれの手の届かないところへ行っ

    中村勘三郎さんへ松竹代表取締役社長・迫本淳一氏弔辞…「虚しさ悲しさは言葉になりません」
  • 片岡仁左衛門 勘三郎さんへ原稿持たず対話するように弔辞…「僕は負けました」

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/12/27
    「哲(のり)ちゃん。僕は部分的に、濃い友達はほかにもいてくださいますが、全部濃い友達は哲ちゃん1人です。だから、僕は自分が死んだ時には、哲ちゃんに弔辞を言ってもらおうと決めていました。」
  • 野田秀樹 戦友の勘三郎さんへ弔辞…「どうか、どうか、安らかなんかに眠ってくれるな」

    歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)の葬が27日、東京・築地願寺で営まれ、劇作家・野田秀樹(57)が5人目として弔辞を読み上げた。 ■野田秀樹弔辞 見てごらん。列をなし、君を見に来てくれている人たちを。 君はこれほど多くの人に愛されていた。そしてきょう、これほど多くの人を残して、さっさと去ってしまう。残された僕たちは、これから長い時間をかけて、君の死を、中村勘三郎の死を越えていかなければならない。 いつだってそうだ。生き残った者は、死者を越えていく。そのことで生き続ける。分かっている。けど、いまの僕にそれができるだろうか…。君の死は僕を、子供に戻してしまう。これから僕は、君の死とともにずっと、ずっと生き続ける気がする。 芝居の台を書いているときも、桜の木の下で花を見ているとき、けいこ場でくつろいでいるとき、落ち葉がハラハラと一枝を舞うとき、舞台初日の舞台番前の袖でも、ふとしたはず

    野田秀樹 戦友の勘三郎さんへ弔辞…「どうか、どうか、安らかなんかに眠ってくれるな」
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/12/27
    「君の不在を真正面から見ることなどできない。子供に戻ってしまった作家など、作家として失格だ。でも、それでいい。僕は君とともに暮らした作家である前に、君の友だちだった。親友だ。盟友だ。戦友だ。」
  • のりさん大好きですよ/大竹しのぶ弔辞 - 芸能ニュース : nikkansports.com

    5日に57歳で死去した人気歌舞伎俳優中村勘三郎さんの葬儀・告別式が27日正午から、東京都中央区の築地願寺で営まれ、女優大竹しのぶ(55)が弔辞を読んだ。 以下全文。 哲明さん。あなたがいなくなってから3週間と少しが過ぎました。私たちは、まだその事実を受け入れることができず、ただただ途方にくれた毎日を過ごしています。そんな小さな白い箱を蹴破って「冗談じゃないよ、まったく」と言いながら、あの世界一のチャーミングな笑顔で、私たちの前に現れてくれる。その方が、ずっと現実味があるんです。 暑い暑い7月の終わり、私たちは手術後、2日目のあなたを訪ねました。私に見せるためと、痛み止めを打ち、「もう聞いた?」と、せっかちなあなたらしく、看護婦さんを困らせながらICUの廊下を歩いてくれました。たくさんの管を付け、点滴を引きずりながらゆっくり、ゆっくり、けれど確かな足取りで歩くあなたに、まるで花道を歩いてい

    のりさん大好きですよ/大竹しのぶ弔辞 - 芸能ニュース : nikkansports.com
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/12/27
    「あなたと、今なぜこの別れをしなければならないのか、当分私たちは答えを見つけることができないと思います。」
  • 「勘三郎さん!」【黒崎めぐみ】

  • 好雪録 | 村上湛 古典演劇評論 2012/12/5 嗚呼、十八代目中村勘三郎......

    平成29年/2017年の能・狂言「心に残る舞台」 1年とは早いもの。 またこうして回顧の時節が到来した。 2017年(平成29年)に私が見た能・狂言の総公演数は79公演。他ジャンルで見聴きした舞台は(能・狂言を除き)延べ168公演。合わせて総数247公演。1ヶ月の間に見た数としては10月が最多の32公演だった。 さて、平成29年/2017年、私の心に残る(「特に優れていた」と考える)能・狂言の舞台を数え挙げてみよう。(日付順) 1)塩津哲生・大槻文蔵〈樒天狗〉 2月11日/清能会・塩津能の會(喜多能楽堂) 2)観世清和〈砧 梓之出〉 2月25日/大槻能楽堂自主公演 3)野村萬〈八句連歌〉 3月1日/国立能楽堂定例公演 4)大槻文藏〈實方〉 4月15日/大槻能楽堂自主公演 5)浅見真州〈江口〉 5月20日/横浜能楽堂定例公演 6)梅若万三郎〈雲林院〉 5月28日/京都観世会(京都観世会館)

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/12/14
    「何を口にしても、味がしない。勘三郎が死んでしまった。歌舞伎界この50年で最大の、取り返しのつかない損失だと、私は思う。」
  • 立川談志さん死去・柳家小三治さんインタビューを掲載します | NHK「かぶん」ブログ:NHK

    天才、風雲児、反逆児。今月21日に亡くなった立川談志さんは、落語界だけでなく、芸能や政治、言論など様々な分野で足跡を残しました。 談志さんと柳家小三治さんとは5代目柳家小さんのもとで修行を積んだ兄弟弟子でした。 談志さんは真打ち問題を巡って師匠と対立、小さんに破門され落語協会を脱退。 現在、その落語協会の会長をつとめる小三治さんに、談志さんの訃報に接した思いを取材しました。 <柳家小三治さん 電話インタビュー 11月23日> 問)まず、どのようなお気持ちで談志さんの訃報をお聞きになりましたか 小三治さん) うーん、どのようなお気持ちねえ。いま、あなたで4件目ですけどね、みんな同じこと聞くんですけどね。 どのような気持ちで、何を期待しているのか知りませんけど、きっと新聞の記事になるような良い言葉は出てこないというか、ほどのよい言葉は出てこないんですけど、正直なところは、あーとうとうきた

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/11/26
    「問)いま談志さんにおっしゃりたいことがありますか。小三治さん)いやあ、ありません。「よく生きたいように生きたね、良かったね」ってことかな。」
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