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NHKとdisasterに関するyyamaguchiのブックマーク (13)

  • 東京新聞:若者の「心の復興」描く 女川が舞台のドラマ「ラジオ」:放送芸能(TOKYO Web)

    NHK総合で昨年3月に放送されたドラマ「ラジオ」が、年度の第68回文化庁芸術祭「テレビ・ドラマ部門」で大賞を受賞した。宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」を舞台にした、東日大震災で引きこもりになった若者の「心の復興」の物語。どんな経緯で、どんな思いで作られたドラマなのか-。 (山岸利行) 「女川さいがいFM」は臨時災害放送局として二〇一一年四月二十一日に開局。そこでの様子をドキュメンタリーとして一二年一月に紹介した番組「がんばっぺラジオ」を見た脚家の一色伸幸さんが女川を訪れ、地元の人たちと交流を始めた。はじめ、「被災地のドラマなどを書くことはないだろうと思っていた」一色さんだったが、同局のメンバーで、ドラマの主人公でもある「某(ぼう)ちゃん」のブログを読んで考えが変わった。 「最初は“女子高生のブログ”だとなめていたんです」と苦笑するが、「被災者の怒り、悲しみ、喜びなどが率直に

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/02/05
    「「心を開いてくれた地元の人たちに、きれいごとを並べた薄っぺらいドラマは見せられない。希望を持ちながら、挫折や悩み、不安もあるといった、若者たちの等身大の姿を描きたかった」と一色さん。」
  • 【忘れない、立ち止まらない】共感覚えた「あまちゃん」夏ばっぱの生き方 「怖さ」知れば海も怖くない (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/09/16
    「「おらたち家族を食わせてくれた海が1回や2回ヘソ曲げたからって、『よそで暮らすべ』なんて。はなっからそんな気持ちで生きてねえど!」という言葉に、どれほどの東北人が「そうだ、そうだ」とうなずいた」
  • あまちゃん震災編~「怖くなんかないさ」

    いい物語のタイプはいくつかあります。その中で僕が好むのは、遠大な大河ドラマの終局で、これまでに張り巡らせ放置してきた伏線が怒涛の勢いで回収され、まるで最初からそのために用意されていたかのように見えるタイプのものです。 僕は今年「あまちゃん」に何度も笑わされ、何度も泣かされ、何度も救われてきました。そして、今、驚かされています。この極上のコメディが、実は今この震災編というものを描くために逆算されて作られたのだと、思ってしまったからです。正解ではないかもしれませんが、僕がそう思って、そう驚いたなら、正解でなくても同じことです。 そもそも何故アイドルだったのか。 何故あまさんだったのか。 何故海女としての成長を描かず、アイドルとしての物語だったのか。 震災編を見て、僕の中で答えが出ました。 この物語は主に脚家による「エンターテインメント賛歌」です。 エンタメって素晴らしいだろ、エンタメっていい

    あまちゃん震災編~「怖くなんかないさ」
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/09/05
    「もし歌に託すだけじゃわからなくても、誰より先にユイちゃんが答えを出してくれたじゃないですか。「中止じゃない、延期だぞ」「延期じゃないよ、中止だよ」「もう怖くていけない」「アキちゃんが来てよ!!」」
  • 脚本家一色伸幸さんが語る「ラジオ」

    東日大震災の被災地・宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ。被災地に生きる女子高生と彼女を見守る大人たちが織りなす青春群像。 http://www.nhk.or.jp/program/onagawa-drama/ 3月26日(火)22:00~NHK総合で放映の特集ドラマ「ラジオ」 脚家の一色伸幸さんのツイートをまとめました。

    脚本家一色伸幸さんが語る「ラジオ」
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    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/05/31
    「薄曇りの中、低い山に囲まれた小さな港町で、サイレンの音が鳴り始めました。午後2時46分。」
  • あまちゃんのロケ地、大津波20110311の全て。

    あまちゃんのロケ地、2年2ケ月前の悲劇です。船100隻、海女センター、漁師小屋全てのみ込んだ大津波。現在は、連ドラあまちゃんのロケ地と言うことで、観光客でにぎわってるそうですが、あの日を忘れないでほしい。また、一人の尊い命が奪われた事も。

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/05/12
    「あまちゃんのロケ地、2年2ケ月前の悲劇です。船100隻、海女センター、漁師小屋全­てのみ込んだ大津波。現在は、連ドラあまちゃんのロケ地と言うことで、観光客でにぎわ­ってるそうですが、あの日を忘れない
  • あまちゃんロケ地、もてなし一色 久慈に観光客続々

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/04/15
    「海女の素潜り漁実演が始まる7月以降や、市最大のイベント・9月下旬の久慈秋まつりでより多くの観光客を迎え入れたい考えだ。」
  • NHKドラマ『ラジオ』感想まとめ(某ちゃんツイート付き) Ver.2.1「あなたも某ちゃんです!」

    2013年3月26日(火)22時。NHK総合にてドラマ「ラジオ」が放映された。宮城県女川町に実際にある「女川さいがいFM」の女子高生アナウンサー「某ちゃん」。彼女が書いたブログが原作です。「蒲鉾舗高政」をはじめ、女川町でロケが行われました。 NHKドラマ「ラジオ」を見ての感想の一部をまとめました。実はまだ途中です。増えるかもしれません。

    NHKドラマ『ラジオ』感想まとめ(某ちゃんツイート付き) Ver.2.1「あなたも某ちゃんです!」
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/04/11
    「2013年3月26日(火)22時。NHK総合にてドラマ「ラジオ」が放映された。宮城県女川町に実際にある「女川さいがいFM」の女子高生アナウンサー「某ちゃん」。彼女が書いたブログが原作です。」
  • 文化放送報道部ブログ パレードのあとで。: 本当に受け入れてほしかったモノは。

    2012年4月22日 当に受け入れてほしかったモノは。 災害廃棄物の広域処理問題で賛否が分かれている。 野田総理は「国民性が問われている」と述べたが そもそも、ここまで瓦礫の処理が進まなかった原因は 国が復旧、復興の具体的な対策をいつまでも決めなかったために 自治体も民間も動けなかったことが大きな要因となっている。 総理の言葉に対しては「あなたがそんな言い方をすいるな」と怒りを禁じえない。 少なくともこの問題はひとりひとりが考えることであり、賛否いずれも非難を受けるものではない。 ただ、受け売りの情報ではなく、被災地の現状や処理能力をきちんと知った上で考えるべきことだ。 さて、宮城県女川町も津波の大きな被害を受けた地域である。 その女川に住む女子高校生「某ちゃん」のブログ記事に目がとまった。 人の了解を得た上で、以下にご紹介する。 ~~~~ 父のお下がりで貰った大切な青いドラムはドラム

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/04/11
    「宮城県女川町も津波の大きな被害を受けた地域である。その女川に住む女子高校生「某ちゃん」のブログ記事に目がとまった。本人の了解を得た上で、以下にご紹介する。」
  • 特集ドラマ「ラジオ」

    総合 3月26日(火) 午後10時~11時15分 東日大震災の被災地・宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ。 被災地に生きる女子高生と彼女を見守る大人たちが織りなす青春群像。

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/04/11
    「東日本大震災の被災地・宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ。被災地に生きる女子高生と彼女を見守る大人たちが織りなす青春群像。」
  • 女川さいがいエフエム 79.3MHz:臨時災害放送局» Blog Archive » ドラマ「ラジオ」をご覧になった皆さんへ

    女川さいがいFMは、2年前から宮城県女川町で町民有志により放送を続けている プレハブ建ての小さな小さなラジオ局です。 実質人口5000人台まで減ってしまったこの町の中に、 町内の生活情報などはもちろん、様々な話題を 毎日「おながわ☆なう。」という生放送番組の形で届けています。 基的にはあくまで町内向け、町民向けの声と音の瓦版みたいなものです。 同時にインターネット同時配信サービス「サイマルラジオ」や ポッドキャストを通じても全国からこの放送が聴けるようになっています。 ドラマの中にも描かれたように、震災後、住む場所や家族、仕事を失って 東京や仙台など都会へ引っ越していかざる得なかった人たちや 町出身者はもちろん、 ボランティア活動などを通じて女川町を応援してくださっている皆さん、 そしてさらにこれまでのマスコミ報道などを通じて女川さいがいFMの存在を知り、 女川さいがいF

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/03/31
    「ドラマ「ラジオ」を通して、はじめて女川町の光景や人々の生活をご覧頂いた方々には復興と言われながらも具体的にそのステージに進めていない町の現状を知っていただけたと思います。」
  • "3.11"~ 大震災、ツイッター、NHK~ NHK生活情報ブログ:NHK

    << 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2012年03月11日 (日)"3.11"~ 大震災、ツイッター、NHK~ “3.11”。あの日、皆さんは、どこで何をしていましたか? そして、1年がたった、ことしの“3.11”。どこで何を想っていますか? あの日、かけがえのない、多くの「人々」「住まい」「風景」が失われました。 これまでに経験したことのない「複合大災害」でした。 必要な情報を必要な人に届けるために何をすべきなのか。 生活情報部では、震災発生直後から、一つの「試行錯誤」を続けてきました。 それは、従来の災害報道とは違う新しいかたちの災害情報発信。 新しいネットツール「ツイッター」の活用でした。 去年3月4日。生活情報部は、NHK公式ツイッターアカウント(@nhk_seikatsu)の運用を始めました。当初の目的は、高齢者福祉など、生活情報部の取材分野に関する情報発信。認

    "3.11"~ 大震災、ツイッター、NHK~ NHK生活情報ブログ:NHK
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/03/11
    「「命を守る」ための災害報道に向けて、“可能な限りの情報伝達ツールを駆使する”ことが大切なのは明らかです。NHKでは、ツイッターをはじめとするネットツールを、今後の災害報道でも活用しようと準備を」
  • 【復興日本】第11部 前へ進むために(6)ネットが速報伝えた+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    違法配信 独断で黙認 ≪震災直後、NHKニュースを無断でネットに流した広島県の男子中学生(15)≫ □「とても大胆な行動で、今思うと、自分でもおそろしいですね」                   ◇ 3月11日の東日大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。 その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」 配信を始めたのは、最初の大きな揺れ

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/03/06
    「免職になるかもしれないと少し躊躇(ちゅうちょ)したが、それで助かる人が一人でもいるのならと思いツイートした」「NHK広報さまのツイートがあったのであそこまでできた。あの中継は、みんなで作り上げた」
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