自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実で存在したのかどうか気になる 気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼをイメージしている 一兵士の独断による英雄的自己犠牲的自殺攻撃ではなく 組織的に行われた自殺攻撃 「戦列歩兵とか?」 戦列歩兵……マスケット銃を担いで隊列を組んで前進するアレね 何割かは撃たれて脱落することは承知の戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな 自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので 絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い 「捨て奸とか?」 薩摩の死ぬこと前提の足止め戦術ね うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあ
1 (やわらか銀行) [US] :2020/08/19(水) 09:57:07.06命どぅ宝!いのちが一番!今は動くな!集まるな! @urutobi 特攻で亡くなった方の写真を見たことがある。ほとんどが海に沈んでしまうのでめったに 目にすることのない写真。目にするはずがないのだ。だって体にはブロックが括り付けられている。 不時着しても浮き上がることを許されなかったなんて、あまりにもつらい。 (出典 pbs.twimg.com) https://twitter.com/urutobi/status/1295343493217308674 橋本琴絵 @HashimotoKotoe 1、操縦席に座れません。 2、衣類が飛行服ではありません。 3、いつの世も馬鹿がデマを広める。 https://twitter.com/HashimotoKotoe/status/129588435361706393
「カミカゼ・ドローン」の発射風景。軽量でバッグにいれて持ち運びが可能という=AeroVironment Inc.提供 「カミカゼ・ドローン」。欧米メディアは5月、ウクライナ軍が実戦での使用映像を公表した米国製小型無人機をこう表現した。その報道を見て、私(記者)は「カミカゼがまた使われている……」と改めて違和感を覚えた。爆発物を搭載し、ロシア軍の戦車に突っ込んでダメージを与えることができることから、旧日本海軍の「神風特攻隊」を連想させるが、この言葉の使い方に引っかかった。そこで「カミカゼ」について調べてみると、世界の国々では意外な形で使われていた。【賀有勇】 太平洋戦争をきっかけに英語圏へ広まる 英語での記述の歴史は古い。世界最大の英語辞典とされる「オックスフォード英語辞典」をめくると、英語の書物で初めて「カミカゼ」が使われたのは、ギリシャ生まれの文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著
『妻と飛んだ特攻兵』敗れてもなお、守るべきものがある。~大空に散った若き夫婦が遺したこの国へのメッセージ <どんなことがあっても、二度と徹夫さんとは離れたくない。あなたの特攻機に乗せてください。もしそれが叶わないのでしたら…あなたを見送った後に、自決いたします> …十一機の特攻機は、一機ずつ滑走を開始した。そのとき特操二期生の堀江一郎少尉が一機を指さして叫んだ。 「あの飛行機に女が乗っているぞ!」 1945年8月19日、妻を、恋人を乗せて、満州の基地から大空へと飛び立った特攻兵たちがいた。戦争は終わったというのに、なぜ彼らは特攻機に乗ったのか。そしてなぜ女たちは、生きることを捨てて、愛する者とともに死ぬことを選んだのか。 16日、テレビ朝日で『戦後70年ドラマスぺシャル 妻と飛んだ特攻兵』(主演・成宮寛貴、堀北真希、夜9時~)が放送される。原作の「妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻
第二次世界大戦中、太平洋で戦っていた日本軍と同様に、ヨーロッパ戦線のドイツ軍にも、自爆攻撃を行う飛行部隊があった。これは、第三帝国の最後の希望だったが、戦局を変えることはできなかった。 爆装した航空機で体当たり攻撃を行った「神風特別攻撃隊」、略称「神風」のことは、日本人ならずとも誰もが知っている。しかし、こうした攻撃をしたのは実は日本だけではないことは、ほとんど知られていない。実は、第三帝国でも、同様の部隊が編成され、ソ連軍に対し行動した。 飛行中隊「レオニダス」 「ここにおいて私は、爆弾を誘導するパイロットとして、自爆攻撃の部隊に参加することに、自発的に同意します。このような行動に加わることが死につながることを、私は完全に承知しています」 これは、ドイツ空軍第200爆撃航空団の第5飛行中隊(レオニダス飛行中隊)に志願した者が同意した文言だ。その任務は、ドイツ空軍パイロットの命を犠牲にして
先の大戦で日本軍が開発した人間魚雷「回天」の搭乗員が書いたとされ、インターネット上に流布している「18歳の回天特攻隊員の遺書」の作者は実在しないことが11日、回天研究者ら関係者への取材で分かった。元海軍士官の男性(故人)の創作だった疑いが強い。男性は戦後、特攻隊員の遺書の収集に携わっており、研究者はこうした複数の遺書を基に創作した可能性を指摘している。(大森貴弘) 【画像でみる】「18歳の回天特攻隊員の遺書」 《お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。胸は日本晴れ。(中略)お母さん。今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です》 この元回天特攻隊員の遺書とされるものが世に出たのは平成7年。元海軍士官の男性が皇学館大の戦没学徒慰霊祭
パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる本音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日本に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初
「忖度(そんたく)」という言葉を聞かない日はない。「以心伝心」や「空気を読む」という言いまわしもあるように、日本人の日常に「察する」行為は深く根づいている。 しかし、新著『技術は戦略をくつがえす』(クロスメディア・パブリッシング)を発表した防衛装備庁技術戦略部の藤田元信氏は、「忖度」や「以心伝心」を優先して、徹底した議論を避けることは「思わぬ悲劇を生む可能性がある」と警鐘を鳴らす。 ドイツは、1930年代から、ヴェルサイユ条約の制限を受けない弾道ミサイルの研究開発に注力し、他国の戦略を破壊することを目指しました(詳しくは、拙著『技術は戦略をくつがえす』を参照ください)。 あまり知られていないことですが、実は、日本でも同時期にミサイル(誘導弾)の研究開発が行われていたのです。 しかし、実戦に間に合わなかったためか、1946年にアメリカ陸軍省がまとめた「ドイツと日本のミサイルハンドブック(Ha
特攻隊の戦果は戦艦撃沈55隻、撃破198隻、死者8064名、負傷者10708名。特攻殉死者は海軍2531名、陸軍1417名の計3948名。戦死者だけでも敵の2.7倍の打撃を与えた正に鬼神の働きだった。この事実だけでも、無駄に犬死に… https://t.co/gF1ujsFDPY
講演した岩井忠正さん(左)と忠熊さん(中央)。忠正さんの娘直子さん(右)が傍らで補助した=東京都新宿区の早稲田大学で2019年11月9日午後1時53分、川上珠実撮影 太平洋戦争中に学徒出陣し、特攻隊員になった兄弟が9日、東京都新宿区の早稲田大で講演した。岩井忠正さん(99)と忠熊さん(97)。今はそれぞれ東京、滋賀と離れて暮らすが、どうしても若い世代に「最後の言葉」を伝えたいと顔をそろえた。これまでそれぞれ講演する機会はあったが、兄弟そろって話すのは最初で最後かもしれない。2人が伝えたかったメッセージとは――。 2人は10人兄弟の五男、六男として熊本市で生まれた。忠正さんは慶応大、忠熊さんは京都帝国大(現京都大)に進み、ともに在学中の1943年12月に旧海軍に入隊した。戦況が悪化の一途をたどる中、忠正さんは人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、忠熊さんは爆薬を積んだモーターボート
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