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歴史認識に関するD_Amonのブックマーク (323)

  • Non-Fiction(Remix Version) | 異論の居場所

    歴史認識問題についていくつか」 上記のエントリーに始まった一連の議論、なんだか今年の正月に起きた一連の騒動を思い出す。 なんでも南京事件は一つの例に過ぎないらしいので、それでは別のケースで考えてみることにしよう。 かつては有力な科学上の仮説であったが、現在では放棄された理論にエーテルというものがある。古典的な光の伝搬物質という意味でのエーテルの存在は、今では否定されている(不要になった、と言う方が近い) そして、今でも”エーテルは実在する”と断言する人間はいる。 当然のごとく、専門家がまともにとりあうことはないし、一般常識のレベルであっても肯定されることはない。もちろん、教科書に”今も有効な仮説”として紹介されることもない。エーテル理論の居場所は、わずかにフィクションと科学史の中にあるだけであろう。このように、エーテル論者にとっては大変厳しい状態にあるわけだが、当然のごとく、「エーテルは

  • イ・ヨンスクさんの修正主義批判 - はにかみ草

    さいきん、東浩紀(あずま ひろき)の南京大虐殺にかんする批判を、ネット上のいろいろなところで目にします。 東さんの授業にもぐりにいったかたまでおられるそうで、すごいなとおもいます。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081213/p1 私もすこしまえに、それにかんする批判みたいなものをかきました。 「差別的なコメントについて」 私としては、Apemanさんの批判「東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの?」や、hokushuさんのこのエントリー「...

  • 聞く人の気持ちを考えよう - motidukisigeru’s diary

    原爆は落ちてない 例えば、どっかの国で、「原爆なんかホントは落ちてない」「落ちたけど、すげー人が死んだってのは日人のでっちあげ」という話が出てきた、としよう。 日人として、あるいは個人として、そういうことを言う人に対しては、控えめにいって、かなり不愉快な気持になる。 また、それに対して「絶対の真実などないから、原爆否定論にも耳を傾けよう」という人がいたら、理屈ではわかるにせよ、不愉快な気持にはなってしまう。それが重要な論点で、どうしても言う必要があるのなら分かるけど、さしたる必要もないなら持ち出してほしくはない。 「俺は、ちゃんと原爆の現場見て来たんだぜ。広島の原爆ドーム見たら実感あったけど、長崎原爆資料館は、あんまり実感なかったね。ひょっとしたら長崎の原爆は落ちて無かったって転向するかも。それが俺の「真実」」と書いていたら。 俺は殺意が湧く。 南京虐殺否定論について、安易に議論の例に

    聞く人の気持ちを考えよう - motidukisigeru’s diary
  • 『思想地図 Vol.1』における東浩紀の発言について - Apeman’s diary

    先日のエントリのコメント欄にて上田亮さんから情報提供を頂いた件について、前後の文脈もあわせて改めてご紹介させて頂きます。 東浩紀・北田暁大(編)、『思想地図 Vol.1』、日放送出版協会、2008年4月 問題の発言が含まれているのは「特集・日」の「II ニッポンのイマーゴ・ポリティックス」中の鼎談「日論とナショナリズム」です。鼎談参加者は東浩紀、北田暁大に萱野稔人。 鼎談の流れとしては、従軍「慰安婦」問題を持ち出したのは北田暁大です(「●戦争責任と主体」という小見出しがつけられている)。これに至るまでの、ナショナリズムについての三者の議論は書をご参照ください。 北田 少し話題をずらしますが、戦争責任や従軍慰安婦問題にしても、韓国中国に対する謝罪の話が延々繰り返されてきましたが、結局、「謝れ」と言われるということは、「責任主体になれ」と外から言われていることになる。それでは「当の

    『思想地図 Vol.1』における東浩紀の発言について - Apeman’s diary
  • 大塚英志が求めているのは…… - Apeman’s diary

    『リアルのゆくえ』(210頁) で大塚英志は東浩紀にこう問いかけています。 南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの? これをもって、大塚が東に歴史学者並みのコミットメントを要求している、などというのは誤読もいいところでしょう。上のエントリに引きつけて大塚の要求を私なりにパラフレーズするなら、こうなります。まともな歴史記述とインチキなそれとでは裏づけとなる資料的根拠の質も厚みもまったくちがうのであって、たとえ分野は違っても「テクストを読む」ための高度な技術を備えた(と自負する)人間がそれなりの時間と手間をかければ、両者の区別については語ることができる。少なくともインチキ度が顕著なものについては「これはインチキ」

    大塚英志が求めているのは…… - Apeman’s diary
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/11
    コメント欄に紹介されている東浩紀氏の発言は、もはや無知とか一知半解とかそういったレベルを越えている。
  • 東浩紀「歴史問題についていくつか」擁護してみたその他 - the deconstruKction of right

    http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html についてです。コメントスクラムが起きていて、それちゃっとちゃうんちゃうかと、このブログのテクストの意味は『リアルのゆくえ』その他で僕が理解している限りこうだ、ということをツイッターで呟いたら、袋叩きに遭いました。途中からもうほとんど皮肉のモードに入っているので、必ずしも僕の心が発言されているとは思わないでください。基的な立場として僕は「南京はあったし数は30万は行き過ぎだけどそこそこはあっただろう」ということをまぁ認めるよ、という立場です。とりあえずは袋叩きの過程を載せておこうかなと。関係ブログはトラックバック貼らないですけどほとんど見てます。 (基的に何もついていないのが僕の発言で、アットマーク〜は〜に向けられた発言です。ちょっと人物の見分けがつきにくくてすいません。さらに、論争相手のツ

    D_Amon
    D_Amon 2008/12/11
    反論に対して再反論するのではなく愚痴るというのは知識人とか大衆とか以前に論者として問題のある行動だと思います。後、代弁した「一般大衆」に対する批判を自分に対する批判ととらえるのを代弁とは言いませんね。
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病

    どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/10
    講義ではてな左翼に愚痴り、僕は読んでいる、知っていると吠える東浩紀氏。「僕と高橋さんだったら僕の方がデリダに近い 」とまで言う東浩紀氏。そうなの?http://tinyurl.com/5qyl4mデリダは歴史に対してこう言ってるのに?
  • デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT

    『生きることを学ぶ、終に』で、ノエル・マメール市長による同性婚容認を「ためらわずに署名によって支持した」デリダが、同書でホロコースト否定論について何といっているか記しておきたい。 ジャン・ビルンバウム──この観点から(大学の無条件的自由に対する絶対的な要求)、ガス室の存在とショアーの現実性を否定する否定論者たちのケースをどのように考えるべきでしょう? ジャック・デリダ──あらゆる問いを提出する権利はあります。その上で、問いに応答する仕方が偽造や明らかに事実に反する断言を言い募ることであるなら、その挙措がもはやまっとうな知や批判的思考に属さないものであるなら、その場合には事情は違ってきます。それは能力欠如あるいは正当化されない道具化であって、その場合には制裁を受けることになります。出来ない生徒が制裁を課されるように。教授資格を持っているからといって、大学で何を言ってもよいということにはなりま

    デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船

    以下、きわめて単純化された整理と厳にお断り。 今更言うまでもなく、リヴィジョニズムとホロコースト否定論は区別さるべきもの。以前も書いたけれど、リヴィジョニズムすなわち歴史修正主義あるいは「歴史の見直し」とは、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立としてこの数十年来繰り広げられてきた知的営為であり、それはヨーロッパに発する近代批判の運動と期を一にしていた。 問題は、そうしたポストモダン・リヴィジョニズムが史学的なメイン・ストリームを超えて史学的立場それ自体を無限に相対化するものとして機能してしまったことにある。むろん、68年以降の近代批判の過程において史学的立場それ自体が相対化されることは悪いことではなかったし、そもそも歴史の必然であったろう、ヘーゲル的に言うなら(笑)。しかし史学的立場それ自体が無限に相対化されたとき、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立はメイン・ストリームを超え

    ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船
  • 歴史認識問題についていくつか だそうです 3 - himitsu04の日記

    http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html三回目です。こいつほんとに高橋哲哉氏の弟子か?絶対的真実がないなんて、いつの話だ?「ポストモダニズム系リベラルの理論家」は、いまどきそんなこというの? 絶対的な真実へは人間は到達できない、しかし、できるだけ近い仮説を作りそれを検証することによって、学問は発展してきたのである。「歴史学の営為がもっぱらの主観であるとしても,歴史学が一個の科学であるためには,その営みが客観性の裏付けを与えられなければならない。歴史学における客観性というのは,提示された命題の反証可能性ということだけである。つまり,提示された命題(作業仮説)に反する事実はないか(事実立脚性の検証),その命題は論理的に筋が通っているか(論理整合性の検証)という吟味を経ることが可能であるかぎり,歴史学は客観的な科学でありうる。・・・歴史学に客

    D_Amon
    D_Amon 2008/12/09
    自らの実感すら疑うのが懐疑精神というもので、ホロコーストと南京事件の差異性を語るにあたり自らの実感を根拠にしてしまった東氏は自らの基準の歪みを露呈してしまっただけだと思う。
  • テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall

    東浩紀の発言から始まった年末南京事件騒ぎだけれども、このパターンほとんど年始のフロムダ氏の南京論争とそっくりで、わたしとしては以下の一年前の記事を再掲するだけで終わらせても良いくらいだ(この騒ぎでにわかにリバイバルしてアクセス数が増えている)。 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 南京事件否定論は基的にトンデモ - Close to the Wall 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close to the Wall ただ、東のいっていることは単純に歴史修正主義容認論とみなしていいのかどうかはやや判断に迷うところなのでさておくが、ゼロアカ門下生藤田直哉id:naoya_fujitaの発言はひどいのを通り越してもはや犯罪的だと

    テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/05
    「否定論は、学問的研究と政治的デマゴギーという圧倒的な劣位を、あたかも政治的イデオロギー同士の対等の対立に持っていくことでその意図を果たす」そして、その意図にまんまと乗せられている自称中立な人々。
  • ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪ - Apeman’s diary

    いや〜来ましたね。日和見クンが自己正当化をはかって墓穴を掘った、ってところでしょうか。 渦状言論 「歴史認識問題についていくつか」 最初は「虐殺問題についていくつか」とかいう、すっごい投げやりなタイトルでしたよね、たしか。 南京事件とも歴史認識の問題とも直接関係のないところから始めると、「そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか」とか言うその同じ口で「2ちゃんねるもはてなブックマークもなにも見ていません」とか言っちゃうところですね。「精神の健康によくない」? だったらなおさら、自己愛を満足させるためだけのエントリなんて書かない方がいいんじゃないかな。それとも、「真実が大事だ」と思ってないからかまわないってことかな? けど「2ちゃんねる」や「はてな」どころか大塚英志に追及された時だって「人格批判」とかいって逃げてたじゃん。ネットでは言い抜けに窮した人間が言いだす

    ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪ - Apeman’s diary
  • ここギコ!: わしズム内の一服の清涼剤「るいるいかむい」

    munyuuさんが「読め!」とおっしゃるので、「わしズム」買って読んでみました。 なんとも言えん「アレゲ」な感じでしたが、1つツッコむだけでも、 「民族(nation)」は民族国家(nation state)を形成できるレベルの物しか言わず、そのレベルでなければ「部族(ethinic)」なんだと。 で、国連の「先住民族決議は民族の定義すらしていない」からダメなんだと。 えらい適当だな。 普通に英語圏の多民族国家で民族を記述する欄に書かれているのは「ethnicity」だと思うのだが。これって部族を書くの? Nation Stateの訳としては、確かに民族国家とも訳されるけど、普通はまず「国民国家」だと思うんだが。Nationもまず「国民」だろうし。より人工性、恣意性が高いわな。 先住民族決議は民族の定義すらしていないというが、定義されてないんだったら民族ならOKで部族はダメと言うこと

  • ここギコ!: 「定義できない」とのたまうものを自説根拠の説明の中で延々と使う不誠実(笑)

    もはや論争の体をなしてませんが。 とりあえず、個人のエンタテイメントとして続けます。 現代アイヌの政治運動は利権獲得のためのようだな。 アイヌ民族の定義について問い詰めた結果、kokogiko さんは、アイヌ民族の立証責任を私に押しつけて誤魔化すことしかできなくなりました。 難しい言葉や用語を使っただけで、他人より優位に立てると考えるアホサヨクのステレオパターンそのものでした。 いやいやいやいや(爆笑)。 長々とアイヌ民族等いない、いない、と叫びつつ、その同じコメントの中ですら未定義であるはずの「アイヌ民族」を論証の中で平気で使っていた貴兄の知的不誠実を問うただけであって、その限りにおいては「立証責任は貴兄にあったわけです」。 私は、何度か定義していますよ。貴兄が何故か納得していないだけで。 何故か納得していない割に、貴兄の論証の中では、「バカサヨクが未定義のアイヌ民族という言葉

  • 歴史を「感覚」に帰着させようとする営み - Danas je lep dan.

    ぼくは東浩紀の著作は『動物化するポストモダン』しか読んでいない*1。それでも,その時は素直に面白いと思って感心しながら読んでいたので,あれの著者がこんな馬鹿げた事を言ってしまうというのは残念だ。 歴史認識問題についていくつか - 東浩紀の渦状言論 元のタイトルは「虐殺問題についていくつか」だった。はてブを見ればわかる。何故変えたのかはよくわからない(推測はできるが,あくまで当て推量でしかないから言わない)。彼はこうのたまう。ちなみに、ぼくは90年代前半に南京に旅行で言ったことがあります。同じ時期にアウシュヴィッツにも行きました。アウシュヴィッツ(ビルケナウ)にはまだ人骨が転がっていました。ぼくは、そのとき手で掬った灰の感触をいまでも覚えている。他方、南京のほうはといえば、記念館は意外に小さな作りで、しかもなかの資料は多勝一の著書からの孫引きばかりだった(具体的には多くのパネルが多の著書

  • 「侵略戦争は正しい」 - 思いて学ばざれば

    【電氣アジール日録】「侵略戦争は正しい」 論旨にはおおむね賛成なんだけど、2〜3、首をかしげざるをえない点があるなぁ。まず賛同できる点からいくと、 しかし「侵略戦争は悪い」という発想自体が、そもそも戦後の平和主義・民主主義の価値観に洗脳されきった人間の考え方だと言うこともできないかね? そこで、右や左の旦那様から袋叩きにされるのを覚悟で、今回とっておきの暴論を吐くぞ。 「侵略戦争は正しい」、少なくとも「20世紀前半のある時期まで侵略戦争は正しかった」と胸を張って言えないのが、現在の日の自称保守愛国者のダメなところだ。 小林よしのりさんその他なんかは現代の価値観で先人を断罪するなと言ってるので、その理屈を採用すれば、これは全然暴論にならないはずなんだよね。ところが、小林さんの支持者のなかには、なんとしてもあの戦争を侵略じゃなかったことにしようとして、結果的に、小林さんの主張を全否定してしま

    「侵略戦争は正しい」 - 思いて学ばざれば
  • 朝日新聞「検証・前空幕長論文の底流」 - Apeman’s diary

    今日25日朝刊に掲載の「検証・前空幕長論文の底流 自衛隊内 潜む疎外感」。小見出しを拾うと「半世紀「評価足らぬ」屈」「旧日軍と連続性意識」「幹部教育に校長独自色 田母神氏、慰霊の新講義」となっていて、記事をお読みでない方もこれでおおよその内容は見当がつくのではないかと思う。幹部学校のある教官のものとして引用されている次の発言はなかなか示唆に富んでいる。 「隊員に歴史観を再教育するなんて、しょせん無理な話。何を手にするのか。政府が先の大戦をきちんと総括し、我々に示してくれるのが先ではないのか」 自衛隊がその創設以来(程度については時期によるとしても)“日陰者”扱いされてきたのはまぎれもない事実だろう。他方、それにはそれだけの理由があったことも確かである。もちろん左翼=アンチ自衛隊という図式も冷戦という状況の中で歴史的に成立したものであって、新憲法誕生の過程を振り返るならば左翼政党にも軍

    朝日新聞「検証・前空幕長論文の底流」 - Apeman’s diary
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  • 《若手記者・スタンフォード留学記14》ヒロシマ、ナガサキは本当に必要だったのか? 米国で再燃する『原爆』論議(1) | 趣味・教養 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

    《若手記者・スタンフォード留学記14》ヒロシマ、ナガサキは当に必要だったのか? 米国で再燃する『原爆』論議(1) - 08/11/19 | 16:40 最近、日では前航空幕僚長の論文が話題になっているようですが、米国ではここ数年、ヒロシマ、ナガサキの原爆に関する議論が静かに盛り上がっています。  私の過去1年のスタンフォード生活においても、原爆の話は授業で2回取り上げられましたし、原爆がらみのセミナーもしばしば開かれています。さらに、最新号の「フォーリン・アフェアーズ」の書評欄には、原爆関連のが3冊も紹介されています。  今になって、なぜ改めて、原爆がスポットライトを浴びているのでしょうか?それは、新たな資料や解釈によって、これまでの常識がくつがえされているからです。  日でもそうですが、アメリカで原爆の話をすると必ず聞かされるのが次の解釈です。  「原爆が落とされていなければ、日

    D_Amon
    D_Amon 2008/11/19
    「従軍慰安婦問題に対する、一部のアメリカ人の態度には、本当に怒りを感じることがありました(あの悪名高いマイケル・ホンダ下院議員はシリコンバレー地区の選出です)」…ひょっとしてそれは(ry