「『ダムは安全』と言い続けた責任がある。逃げ出すことはできない」。肱川(ひじかわ)の氾濫で5人が犠牲になった愛媛県西予市野村町地区。上流の野村ダムの着工当時、合併前の旧野村町町長だった池田忠幸さん(91)は浸水した自宅に1人残り、2階で暮らし続けている。建設を進めた町長としての責任を背負い、「住民から疑問の声があればありったけの力を振り絞って答える」との思いで、避難所には行かず自宅にとどまる。 【西日本豪雨から1カ月 消防団が犠牲になった場所で……】 7月7日朝、満水に近づいた野村ダムは緊急的に流入量とほぼ同量を放流する「異常洪水時防災操作」を実施。一時、過去最大の毎秒1797立方メートルを放流し、地区中心部が浸水した。住民から「人災では」との声も上がり、国土交通省の野村ダム管理所と市が9日夜、住民説明会を開く。 肱川はもともと「暴れ川」だった。戦前から戦後間もなくの間に洪水が相次ぎ、住民