なぜ日本は世襲議員ばかりになったのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「小選挙区になってから現職優先の下で地盤、看板を引き継げる世襲議員以外の新人が党の公認を受けるのは困難になった。一度公認になると党内で政策論を戦わせる機会もなく、政治家の劣化を生んでいる。有権者は、いまこそ選挙制度改革について声を上げていくべきではないか」という――。 【図表】衆議院議員総選挙における投票率の推移 ■政治家が小粒になった 永田町では通常国会閉会後に岸田文雄総理が衆議院を解散するという臆測の下、各党で公認候補の調整が急ピッチで行われている。区割り変更で定員が5つ増えた東京では、公認候補選びで自民党と公明党が対立。24年間続いた連立政権がついに終わりを迎えるのではないかと報道をにぎわせているが、有権者不在の政党間の駆け引きに過ぎず、私は白けた思いで見つめている。 近年、国政選挙の投票率は右肩下
河野太郎デジタル相のテレビ番組での発言をきっかけに、Twitterでは「日本の住所表記(の不統一性)がヤバい」と話題を呼んでいます。表記を統一するのは難しいのか? 地図会社のゼンリンに聞きました。 【画像】変わった住所を見る きっかけとなったのは6月4日放送の、フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」。番組では、マイナ保険証に誤って別人の情報がひも付けられるトラブルなど、マイナンバーカードにかかる諸問題が議題となりました。こうしたエラーについて「AIなどを活用して人が介在せず防ぐ方策は取れないのか」と問われ、河野大臣は「AIを活用するまでもなく、ふりがなが振られれば、名前の照合はできる。名前、生年月日、マイナンバー、これらがきちんと照合されれば誤登録はなくなる」としたうえで、住所の表記ゆれがネックになると答えました。 その一例として挙げたのが、番地の表記。例えば「港区赤坂1-2-3」な
という非常に興味深い調査結果が発表されました。 そもそもイデオロギーとは「思想や考え、信念や理念をまとめたもの」を意味し、おもに政治思想などの世界で好んで使われます。 政治思想では「保守」と「リベラル」という二つの大きなイデオロギーが存在し、それぞれ「右」や「左」と呼称されることもあります。一般的に、保守(保守主義)は「現状の制度や思想を尊重する立場」であり、リベラルは英語の「自由な」に由来し「個人の自由を重んじて社会を変えていく立場」とされています。 選挙ドットコムではこの調査結果を参考に、「各年代のイデオロギー観」や「イデオロギー観別の政党支持」についてハイブリッド調査を用いて調べました。調査結果は以下の通りでした。 年代によってはっきり分かれるイデオロギー観 1月度のハイブリッド調査では、「政治的な立ち位置について、保守的やリベラルという言葉が使われますが、あなたは次の中でどれにあた
6月21日の国会会期末まで2週間となり、与野党の攻防が大詰めを迎えている。立憲民主党は6日、入管難民法改正案の採決を阻止するため、斎藤健法相の問責決議案を参院に提出。防衛費増額の財源確保特別措置法案でも徹底抗戦する構えで、内閣不信任決議案の提出も見据える。対する政府、与党内では岸田文雄首相が衆院解散に打って出るとの観測も広がり、終盤国会は緊迫度を増している。 「つまらないプリンス」が首相就任会見で見せた「らしくない」顔 6日午前9時前。先に動いたのは立民だった。この日、参院法務委員会で採決を予定していた入管難民法改正案を巡り、「発言が二転三転するなど資質に欠ける」として、斎藤氏への問責カードを発出。立民の参院国対幹部は記者団に「1日でも長く、成立を遅らせる」と豪語した。 今回の問責決議案の提出により、改正案の成立は9日にずれ込む見込み。立民は1日にも参院法務委員長の解任決議案を出すなど採決
岸田文雄首相の長男・翔太郎氏の秘書官辞任や、臆面もなく家系図をアピールして大炎上した岸信千世議員など、世襲に対する批判が高まっている。だが日本は民主国家であり、世襲議員を当選させているのは国民自身に他ならない。 【写真】大蔵省の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」いまだからウラ話を明かそう! なぜ日本人は世襲を批判しながら、世襲議員に票を入れるというちぐはぐな行動をとっているのだろうか。その背景には、お互いが自分に甘くして欲しいと考える、日本人特有の思考回路がある。 世襲を批判しながら、世襲議員に投票 翔太郎氏は昨年末、首相公邸で親族と忘年会を開き、公的なスペースで大はしゃぎして写真撮影したことが週刊誌に報じられた。当初、岸田首相は翔太郎氏を続投させる方針だったとされるが、あまりにも批判が大きく更迭を決めた。 岸信夫前防衛相の後継者として補選に出馬した長男の信千世氏は、曽祖父の岸信介元首相に始まる
「暴言王」だけど市民には大人気で、その発言が中央政界にまで影響力を持っていた泉房穂前明石市長が、市長を辞めてこれからどんな動きをするのかに注目が集まっている。その実績とリーダーシップから、「総理大臣になってほしい!」と切望する国民もいる。国政の複雑なシステムを考えるとそれは不可能だと思いがちだが、実はそうではない。小選挙区制の特徴は、「変わるときは一気に変わる」こと。強烈な風が吹けば、泉房穂総理の誕生は、けっして夢物語ではない。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 たとえば、橋下徹氏と泉氏の連携が実現したら……自民党執行部がいまいちばん恐れているのは、それかもしれない。話題の新刊『政治はケンカだ! 明石市長の12年』より抜粋してお届けする連載第9回。 連載『政治はケンカだ! 』第9回後編 前回記事【日本は「お上主義」が強すぎる…泉房穂前明石市長がぶち上げる「新・日本
第3回『「「犬より可愛いから産みなよ」中学生の娘に出産を勧める32歳母の「ヤバい言動」…少子化に直結する貧困問題〈炊きたてのご飯を知らない子どもたち〉」』より続く。 【写真】大谷翔平の両親が、我が子の前で「絶対にやらなかった」意外なこと 第1回『20年以上前から変わらない「少子化」のヤバすぎる実態…「自分を生かすだけで精一杯」な30歳男性、「子育てを一緒にできる男がいない」と嘆く31歳女性』から、日本の少子化の裏に潜む「母親の劣化」という問題を見てきました。初回の冒頭で、私が23年前に書いた檄文を掲載しています。改めて、見返してみましょう。 〈とてつもない勢いの少子化です。1950年には270万人産まれていた赤ちゃんが、99年には117万人と半分以下。国連の試算によれば「日本は今後50年間に3300万人の移民を受け入れるか、定年を77歳まで引き上げないと90年代の生産性が保てない」とか。政
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東京都心の鉄道は、地下鉄を除けば昭和戦前期には概ね現在のネットワークが完成していました。大正時代、第1次世界大戦、関東大震災後の郊外化を背景に郊外私鉄が次々と開業し、沿線開発と人口増加が続きました。 【この時代には戻りたくない!!!】地獄の通勤風景を見る(写真) その結果、東京府(当時)の人口は、1920(大正9)年の約370万人から1930(昭和5)年には約541万人まで急増。戦時体制に入ると軍需景気でさらに人口集中が強まり、1940(昭和15)年には約735万人にまで達しました。鉄道各線は通勤客で大混雑し、日本初の「時差通勤」が行われたのも、実は戦時中のことです。 しかし戦争末期、東京への空襲が始まると都心は焼け野原となり、疎開や避難で人口が流出。終戦時、1945(昭和20)年には約349万人と半減していました。鉄道の被害も甚大で、特に1945年5月25日夜に行われた大空襲では、国鉄、
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