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1981年4月、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の4枚目シングル「CUE(キュー)」が発売された。アルバム「BGM」(81年3月)からのシングルカットで、クレジットは作詞・作曲が《高橋幸宏、細野晴臣》、訳詞が《ピーター・バラカン》となっている。(全2回目の2回目) *** 【レア写真】33年前 “国民的美少女”とのツーショットで満面の笑みを見せる坂本龍一 YMOは1983年に「散開」したが、その後、高橋幸宏さん(享年70)は、ソロやMETAFIVE(註1)のライブで、「CUE」をラスト近くやアンコールで歌うことが多かった。 訳詞を担当したピーター・バラカンさん(71)は「確かに『CUE』や『SOMETHING IN THE AIR』(註2)を最後のほうで歌っていました。あの2曲は僕も特別に好きですね」と言う。 「幸宏は“袋小路”という言葉にこだわりがあったようで、『BGM』の制作
「本当のところ、YMOは最初の頃、あまり好きじゃなかった」──これがピーター・バラカンさん(71)の発言だと知れば、驚く人もいるかもしれない。1月15日から16日にかけ主要メディアは相次いで、高橋幸宏さん(享年70)が死去したと報じた。(全2回目の1回目) *** 【写真を見る】「みんな、本当にありがとう」 高橋さん生前最後のSNS投稿 高橋さんは1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなった。近親者のみで葬儀が営まれた後、15日に所属事務所が発表した。 ミュージシャン、ファッション・デザイナー、文筆家、俳優……高橋さんは、まさにマルチな才能を発揮してきた。しかし、やはり多くの人にとっては「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」のドラマーとしてのイメージが強いだろう。 YMOは細野晴臣さん(75)、坂本龍一さん(71)、そして高橋さんの3人によって結成
デビューから60年超。今なおテレビ、ラジオ、舞台で「現役」を貫くのが、伊東四朗である。御年84、「知力・体力・気力」の源は何か。ノンフィクション・ライターの堀ノ内雅一氏による「最後の喜劇人」インタビュー。 *** 【写真3枚】80歳を超えても舞台に立ち続ける「伊東四朗」 テレビでもラジオでも舞台でも、“生”をやっていると、今の世の中を教えてもらえるんですよ。役者というのは、まあ、風貌は年取っていくんですけど、頭の中というのは、いつでも青年でありたいと思っていますんでね。その機会をいただけるのはありがたいです。 はい、今年は舞台もやらせていただきました。100分出ずっぱりといっても、飛んだり走ったりがなかったんで、なんとかなった、できたのかな、って思いますけどね。 〈いえいえ、伊東さん、それはご謙遜では。つい、そう返したくなるほどの、知力・体力・気力漲(みなぎ)る「生涯現役」ぶりなのだ。デビ
――蛭子(えびす)さん、ご無沙汰しています。鎮目(しずめ)です。今日はよろしく願いします。 蛭子 えっと……、すみません。覚えてなくて。 ――蛭子さんには私が担当したABEMAの番組に毎週ご出演頂いて。韓国ロケには私も同行させもらったんですよ。 蛭子 えっ! そうだったんですか……。 〈今年7月、漫画家でタレントの蛭子能収(よしかず)さん(72)は、テレビ東京系の番組「主治医が見つかる診療所 2時間スペシャル」で、小人などの幻覚を見る症状で知られる“レビー小体型認知症”と“アルツハイマー病”の合併症であることを公表した。筆者はテレビプロデューサーとして、インターネットテレビ局・ABEMAの番組制作に携わり、2016年には収録で週1回、蛭子さんとお会いしていた。しかし、およそ3年ぶりに再会すると番組に出演していたことすら覚えていなかった。そこで、今回は蛭子さんを長年支えてきた森永真志マネージ
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