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歴史と経済に関するhat_24ckgのブックマーク (3)

  • 日銀・黒田総裁を悩ませる「あの政策」実施のタイミング(安達 誠司) @moneygendai

    出口政策は慎重に 筆者は日銀が「出口政策」のあり方を議論するのはまだ早いと考えている。 日は、これからデフレ脱却に向けていよいよ正念場という局面に入ってくると思われる。このような局面でやるべきはインフレ目標政策に対するコミットメントをもう一度強化することであって、出口政策の話をすることではないと考える。あまりに拙速に出口政策の議論をしてしまうと、経済やマーケットにむしろ逆効果ではないかと考える。 しかしながら、日では、出口政策の議論を早急に進めるべきであるという意見が多数となっている。その主な理由は、出口政策実施の際に懸念される日銀の赤字計上や債務超過リスクを事前に明らかにすべきだからというものである。 この点については、エコノミストらによってシミュレーションなどが提示されている。筆者も、シミュレーションをして欲しいと某メディアなどからリクエストされたことがあるが、どうしてもやる気が起

    日銀・黒田総裁を悩ませる「あの政策」実施のタイミング(安達 誠司) @moneygendai
    hat_24ckg
    hat_24ckg 2017/11/30
    “1935年から1936年にかけての米国経済の回復は著しく、当時の誰もが、デフレは完全に克服したと考えた。…当時のFRBは「満を持して」出口政策を開始したが、その結果は、再デフレを招くという大失政となった”
  • 戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法 | JBpress (ジェイビープレス)

    空襲で焦土と化した東京。所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(資料写真、出所:Wikimedia Commons) 今から71年前の今日、日は終戦を迎えた。太平洋戦争は民間人を含めると300万人を超える犠牲者を出したといわれるが、経済的な損失も計り知れないものだった。戦費総額は国家予算の74倍に達しており、空襲によって生産設備の50%以上が失われていた。 この天文学的なレベルの経済損失を日政府はどのようにして穴埋めしたのだろうか。 実質ベースの戦費総額は国家予算の74倍 太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円だった。日中戦争開戦時のGDP(当時はGNP)は228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると33倍、国家予算(一般会計)に対する比率では何と280倍という数字になる。 現実には過大な戦費調達から財政インフレが進んでおり、実質ベース

    戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法 | JBpress (ジェイビープレス)
    hat_24ckg
    hat_24ckg 2016/08/15
    いずれを選ぶかというとき、景気を過度に悪化させない=国の経済システムを機能不全に陥らせない、需要が供給に対し小さくなりすぎないようケアすべき。その視点が抜けているのがこの記事の欠点
  • 昭和恐慌は「一人当り90円の借金」を返済しようとして発生した - シェイブテイル日記

    1000兆円の政府債務が積み上がった現代とよく似た状況が84年前にもありました。 ただ、その時積み上がっていた政府債務、よくいわれる言い方では「国民一人あたりの借金」とは90円でした。 1929年(昭和4年)、浜口雄幸内閣が誕生し国民から熱狂的に迎えられました。 浜口内閣は痛みを伴う改革を訴え、不況下の緊縮財政を断行します。 同年8月には、浜口首相は緊縮財政の必要性を訴えるビラを全国1300万戸に配布しました。 今日のままの不景気は底知れない不景気であります。これに反して緊縮、節約、金解禁(著者注:金位制に復帰すること)によるところの不景気は底をついた不景気であります。 我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのんで、後日の大なる発展を遂げなければなりません。 「全国民に訴う」 1929年8月28日 これに対して、野党・政友会の三土忠造は政府を次のように批判しました。 その中で当時大問題

    昭和恐慌は「一人当り90円の借金」を返済しようとして発生した - シェイブテイル日記
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