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れ歴史とい池田信夫に関するmidnightseminarのブックマーク (2)

  • 「歴史問題」なんて忘れよう

    30分で書いた大晦日の記事がいまだに論議を呼んでいるようだが、話が荒っぽいのでちょっと補足。戦後70年近くたっても「自虐史観」と「皇国史観」が対立するのは困ったものだ。 東京裁判は占領統治の一環であり、敗戦国は何をされても文句はいえない。それが「勝者の裁き」だとか「事後法」だとかいうのは軍国老人の甘えである。当時は国際法上は日と連合国はまだ交戦状態にあり、日を無力化してふたたび連合国に宣戦しないようにすることが東京裁判の目的だった。 いまだに「パル意見書」が話題になるのも困ったものだ。安倍氏は第1次安倍内閣のときインド訪問でパルの長男を訪れたりして、意見書を「大東亜戦争」を肯定するものだと思っているようだが、これは誤解である。彼の依拠したのはガンジーの非暴力主義で、安倍氏とは対極の絶対平和主義や世界政府を望んでいたのだ。 保阪正康氏もいうように、パル意見書は東京裁判が政治ショーだという

    「歴史問題」なんて忘れよう
    midnightseminar
    midnightseminar 2014/01/04
    「歴史問題に答はない。加害者と被害者が同じ歴史を共有することはできない」
  • 一向一揆という「ノマドの反乱」 : 池田信夫 blog

    2012年06月21日02:36 カテゴリ 一向一揆という「ノマドの反乱」 大阪維新の会はみずからを明治維新になぞらえているが、その方向は逆だ。明治維新はローカル国家連合としての幕藩体制を中央集権国家に統合するものだったが、維新の会の打ち出している地方分権の強化は、むしろ明治以来の主権国家を解体する方向である。橋下市長も「大阪独立、ほんとそれを目指します」とコメントしている。 だから彼のモデルとしては、明治維新より一向一揆のほうがふさわしいのではないか。その中心となったのが、上の図(想像図)の石山願寺である。これは現在の大阪城の場所にあった浄土真宗(一向宗)の山で、願寺を中心に数十万人の集まる自治都市(寺内町)が形成されていた。 これに対して1570年、織田信長は総攻撃を行なったが、願寺は10年にわたって戦った。当時すでに全国最大の武装集団だった信長に対してこれほど長期の戦いができ

    一向一揆という「ノマドの反乱」 : 池田信夫 blog
    midnightseminar
    midnightseminar 2012/06/21
    「本願寺の戦力を支えたのは、こうしたノマドの経済力だったのだ」
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