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ブックマーク / ikedanobuo.livedoor.biz (39)

  • 蓮舫氏は「日本人ではないので国会議員になれない」 : 池田信夫 blog

    2016年09月18日16:17 カテゴリ法/政治 蓮舫氏は「日人ではないので国会議員になれない」 きょう放送の「そこまで言って委員会NP」で、金美齢氏が「2009年に日国籍を取得するとき、法務局から先に台湾国籍を喪失して喪失証明書を持ってきてくださいと求められた」と証言した。原口一博元総務相も「国籍法14条違反だ」と言った。第十四条  外国の国籍を有する日国民は、外国及び日の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。 2  日の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言をすることによつてする。原口「国籍法16条は努力義務ですが、14条によって台湾籍は放

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    midnightseminar 2016/09/20
    国籍法の本文を読んだだけだと、「日本国籍の選択」をしていない状態の者も「日本国民」と呼ばれているようにみえるけど
  • 大学教育では遅すぎる : 池田信夫 blog

    2014年07月01日19:29 カテゴリ科学/文化 大学教育では遅すぎる 今まで科挙が中国の停滞の原因になったと書いたが、これはちょっと不公平かもしれない。科挙の1000年以上の歴史の中で、中国が停滞したのは18世紀以降で、それまで中国が世界の最先進国だった一つの原因も科挙や儒学にあるからだ。 科挙は日公務員試験とは違い、年齢・学歴不問である。最初の試験は童試と呼ばれ、10歳以下を想定していたが、大人でもこの試験に合格できない人は永遠に「童子」だった。現代でいうと中学校の入学試験が公務員試験の一次試験になっているようなものだ。 この童試に受かることが支配階級に入る絶対条件なので、今でいえば「お受験」のための予備校が大繁盛したが、その授業は四書五経を暗記するものだった。子供には何のことかわからなかっただろうが、とにかく文字を読む訓練を猛烈にしたのだ。 このように年齢も学歴も問わないで、

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    midnightseminar 2014/07/06
    “このように人間の情報処理能力は幼児のうちにほとんど決まるので、高校以上の学校教育には大した意味がない”
  • 原子力に未来はあるのか : 池田信夫 blog

    2014年05月15日02:37 カテゴリ 原子力に未来はあるのか 今週の言論アリーナでも話したように、日では「原子力=軽水炉=福島」と短絡して、今度の事故で原子力はすべてだめになったと思われているが、技術的には軽水炉は命ではなかった。1950年代から書のテーマとするトリウム溶融塩炉が開発され、1965年には発電を行なった。理論的には溶融塩炉のほうが有利だったが、軽水炉に勝てなかった。 それは軽水炉には、原子力潜水艦という「キラー・アプリ」があったからだ。小型で構造が簡単で、空気なしで何年もエネルギーを供給できる軽水炉は原潜に最適で、米海軍の電気部門の責任者ハイマン・リッコーヴァーが強く推進した。その要素技術は核兵器と共通で、核分裂でできるプルトニウムが核兵器の材料になることも有利だった。 しかしこれは商業用の原子炉としては、不利な要因ともなる。海軍が莫大な初期投資をしたので、軽水

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  • 唯物史観の原像 : 池田信夫 blog

    2014年05月06日14:47 カテゴリ 唯物史観の原像 保守派の理論的支柱であるEconomist誌が、毎週のように(ピケティに関連して)マルクスの記事を書いているのをみると、時代が一めぐりして彼が普通の古典として読まれる時代が来たような気がする。今では誰もが「終わった思想家」と思っているだろうが、実はほとんど理解されてもいない。 「マルクスの入門書としていいのは何ですか?」とよく聞かれるが、残念ながら現役のにはない。池上彰氏のようにありきたりな「格差社会論」にしてしまうのも感心しないし、橋爪大三郎氏のはマルクスのテキストをろくに読んでもいない。他方でマルクス文献学者のは精密に読んでいるだけで、何も現代性がない。 書は絶版で、アマゾンでは12600円という値段がついているが、いまだにマルクスの解説書としては最高傑作だと思う。入門書としてはむずかしすぎるが、38歳の廣松渉の文体

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  • 明治維新はなぜ低コストだったのか : 池田信夫 blog

    2014年04月26日13:50 カテゴリ 明治維新はなぜ低コストだったのか 明治維新は不思議な革命である。250年も安定していた幕藩体制が完全に消滅し、支配層だった武士の9割以上が失業した大革命が、西南戦争を入れても3万人以下の犠牲で短期間に実現したのは、世界的にも例がない。 その原因を三谷博氏は、最初は体制内の改良と見せて、なし崩しに廃藩置県をやった西郷隆盛などの「間接戦略」だというが、私はもっと根的な原因は江戸時代の徴税システムにあると思う。 歴史の教科書に出てくる「五公五民」というのは間違いで、徴税の基準となる石高は1700年ごろに凍結され、再測量には農民が百姓一揆で抵抗したので、検地はほとんど行なわれなくなった。このため実効税率は下がり、幕末には2割以下だったと推定される。新たに開墾した土地や米以外の収穫はすべて農民のものになったのでインセンティブは強まり、長時間労働で果てし

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  • 産業革命は「消費革命」だった : 池田信夫 blog

    2014年04月30日00:25 カテゴリ 産業革命は「消費革命」だった 世界史で教わる「産業革命」は、最近は評判が悪い。書のタイトルも産業革命だが、教科書的な説明を数量経済史のデータでことごとく反証している。イギリス資主義のエンジンになったのは18世紀の産業革命ではなく、17世紀の植民地経営の成功だった。その主役は勤勉なプロテスタントの資家ではなく、海外でもうけたジェントルマンだった。 そして書の最大の特徴は、従来の「ものづくり」史観を否定し、イギリス資主義を育てたのは消費者だったとしていることだ。マルクス以来、当時の労働者は「生存最低水準」で労働力を再生産する賃金しかもらえなかったことになっているが、図のように18世紀のロンドンの賃金は生活費の4倍以上で、しかも急速に上がった。マルクスの「窮乏化論」による革命が挫折したのは当然だった。 農村から都市に出てきた労働者は、消費者

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    midnightseminar
    midnightseminar 2014/04/30
    「今まで成長を支えてきた輸出(外需)が当てにならない以上、内需を増やすしかない」「分配の平等になる時期には成長率も上がる」
  • 非同期的な時間 : 池田信夫 blog

    2014年04月23日01:31 カテゴリ 非同期的な時間 きのうの記事はちょっとわかりにくかったので、補足しておこう。人々に共通の時間という概念は、書によれば15世紀のヨーロッパで生まれたものだ。そのころ機械式の時計が普及し、都市の公共空間に時計台ができた。 中世までの自然な時間は季節によっても地域によってもバラバラだったが、近代の時間は正確に同じで、人々は時計で同期をとって共同作業する。工場では同じ時間に出勤して同時に仕事しないと効率が落ちるので、資家は労働者に時間厳守を要求した。工場では個人にノルマが与えられ、人々は限られた時間の中で休む暇なく同時に働いた。金利を取るようになったのも、16世紀以降である。それまで時間は神の所有するものであり、それを利用して商人がもうけることは許されなかった。このためカトリック教会は金利を禁止し、高利貸しを取り締まったが、プロテスタントは時間から

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  • 「残業代ゼロ」を批判する朝日新聞に残業代はない : 池田信夫 blog

    2014年04月22日15:53 カテゴリ経済 「残業代ゼロ」を批判する朝日新聞に残業代はない また朝日新聞が「『残業代ゼロ』一般社員も」とか下らない記事を書いているが、これは小泉内閣のとき朝日などが騒いでつぶしたホワイトカラー・エグゼンプションの焼き直しだ。 こういう変な名前で出した財界もセンスが悪いが、それをつぶした朝日新聞はもっと悪質だ。なぜなら朝日も含めて、新聞記者にも放送記者にも「残業代」なんかないからだ。私のいたころから、NHKの記者は(他社と同じく)特定時間外というみなし勤務で、職場ごとに一定の手当をもらっていた。そもそも記者は、ほとんど外回りで「出勤」とか「労働時間」という概念がないので、残業時間なんか測れないのだ。 労働時間も残業も、工業時代の遺物である。ネットメディアに勤務時間はないので、残業という言葉は無意味だ。インターネットは既存メディアを破壊するだろうが、それ以上

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    midnightseminar
    midnightseminar 2014/04/23
    「既存メディアのボトルネック独占をなくすことによって、ネットメディアは完全競争に近い利潤ゼロの世界を生み出す。それが企業にとっていいことかどうかはわからないが」
  • 21世紀の資本論 : 池田信夫 blog

    2014年04月20日11:13 カテゴリ 21世紀の資論 ピケティのは世界的な論争を呼び起こしている。タレブの『ブラック・スワン』以来だろう。特にクルーグマンは、NYRBに長文の書評を寄せて絶賛している。ピケティの最大の強みは、15年かけて最近300年の各国の税務資料を収集し、富の分配とその内訳について包括的な統計をつくったことだ。 アメリカの分配の不公平が拡大していることは明らかだが、それは歴史上初めての出来事ではない。20世紀初めのヨーロッパでも同じぐらいの不公平があったが、今のアメリカの状況はそれとは違い、上位1%の「スーパースター」が20%の所得を取るのが特徴だ。メディアンの労働者の所得は40年前とほとんど同じだが、上位1%の所得は165%増え、上位0.1%は362%増えた。 これは限界生産力説では説明できない。ではどう説明するかはむずかしい問題で、ピケティもそれ以上に説得

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  • 原発事故と放射線のリスク学 : 池田信夫 blog

    2014年03月30日22:53 カテゴリ 原発事故と放射線のリスク学 反原発派は論理で勝てない相手に「御用学者」とか「原子力村」などとレッテルを貼って個人攻撃するが、著者にはそのレトリックは通じない。中西準子氏は、宇井純氏とともに日の公害反対運動を立ち上げ、23年間も東大の助手として闘った闘士である。 しかし彼女は1987年にリスク管理という考え方にめざめる。リスクをゼロにするのではなく、「リスクはどこまで許容できるのか」と考えるのだ。そのとき大事なのは、次の式である。 リスク=ハザード×確率 ここでリスクは確率的な期待値であり、ハザードは1単位あたりの有害性、確率は書では「ばくろ量」(放射線の場合は被曝線量)である。原発のハザードは大きいが、確率が小さければリスク(期待値)は小さいのだ。 まずこれがわからない人が多い。何度も引き合いに出して恐縮だが、河野太郎氏の「タバコは青酸カリ

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  • 原発再稼動に反対する人々の3つの神話 : 池田信夫 blog

    2014年03月29日14:26 カテゴリエネルギー 原発再稼動に反対する人々の3つの神話 「原発の新規建設をやめて徐々に減らす」という意味の「脱原発」は政策としてはありうるが、事故を起こしてもいない原発を政府が行政指導で止めたまま放置するのは違法行為であり、経済的にも莫大な損害が出ている。ところが八田達夫氏は再稼動に反対し、次のような議論のうち最初の3つは「神話」だという。夏の電力不足を招く 温暖化対策に十分に貢献が出来ない 電力料金が法外にあがり、日の産業がつぶれる ホルムズ海峡封鎖のようなエネルギー安全保障の危機に対応ができない1について八田氏は「夏のピークに需要が供給を超過するのは料金が安すぎるためだから、ピークロード料金で需要を抑えればいい」という。これは私も原則としては賛成だが、原発を止める理由にはならない。ピークロード料金を実現するには制度的・技術的な問題が多く、すぐできる

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  • 資本過剰が格差を拡大する : 池田信夫 blog

    2014年03月27日19:00 カテゴリ過剰が格差を拡大する 資家と労働者の所得格差はマルクス以来の問題だが、新古典派経済学には所得分配の理論がない。しいていえば限界生産力説というナイーブな理論があるが、これは資源配分の理論であり、アメリカなどで深刻化している極端な格差の問題を解くことはできない。 書は『21世紀の資論』という壮大なタイトル通り、マルクスのテーマに数量経済史の手法で挑み、国富や所得分配についての膨大なデータを集めて理論的に説明しようとするものだ。その結論は単純で、著者が資主義の第一法則と呼ぶのは、次の式である。 α=r×βここでαは資分配率(資収益/所得)、rは資収益率、βは資/所得比率である。これは会計的な恒等式だが、所得分配が資収益率で決まることを示している。αは歴史的に次の図のような「U字型カーブ」を描いている。20世紀初めにはアメリカの所

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  • 価値判断は事実判断に先立つ : 池田信夫 blog

    2014年03月19日09:34 カテゴリ 価値判断は事実判断に先立つ きのうの言論アリーナでは「STAP細胞は捏造なのか」という問題を1時間かけて徹底的に議論した。過失と仮定すると、ありそうにない偶然や重過失が何度も重なったと考えないと説明できないが、もともと存在しないSTAP細胞のデータを小保方氏が捏造したと考えると、すべての疑問が簡単に解決する。 しかし今度は「なぜそんな嘘をついたのか」という疑問が出てくる。これは最初の疑問とはまったく別で、自明ではない。彼女は「コピペをやってはいけないと思っていなかった」と理研は説明した。普通の研究者にとっては過失と捏造の間には決定的な差があるが、それはなぜだろうか。 ヒューム以降の近代哲学では、道徳を道具的合理性で考える。嘘をつくと社会が混乱するので、嘘つきは社会から排除される。道徳は社会秩序を維持する手段であり、人々の黙約(conventio

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  • STAP細胞は過失か捏造か : 池田信夫 blog

    2014年03月16日16:07 カテゴリテクニカル STAP細胞は過失か捏造か 理研の中間報告をめぐって混乱した議論が散見されるので、細かいことだが補足しておく。Nature論文が撤回されることは確実だが、事件質はそこにはない。重要なのは、次の問題だ。STAP細胞が当にできたのか 過失によって他の細胞と混同したのか それとも意図的にデータを捏造したのか1については、理研が「プロトコルの著者(小保方氏を含む)も再現できなかった」と認めたことで、ほぼNOと考えていい。理研の中の人もいうように、これは単なるES細胞からできた多能性細胞と考えるのが無理のない推論だ。この「内部告発」について記者会見でスラッシュドットが質問したのに対して、理研は答えられなかった。 2が理研の説明だが、いろいろ辻褄があわない。特におかしいのは、まとめサイトも指摘している図2eである。これはNatureでは、T細

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  • 理研に欠けているアカウンタビリティ : 池田信夫 blog

    2014年03月15日01:25 カテゴリ法/政治 理研に欠けているアカウンタビリティ 理研の記者会見はひどかった。ありえない「過誤」が重なったとか、証拠もないのに「悪意はない」とかいう説明は、説明になっていない。これを聞いていて頭に浮かんだのは、accountabilityという言葉だ。これは対応する日語がないので「説明責任」という意味不明の言葉に訳されるが、これ自体が日社会にアカウンタビリティが欠落していることを示している。 これは単なる「説明する責任」ではなく、the quality or state of being accountableつまり説明のつく状態のことである。画像の「取り違え」とかコピペとかいう行為は、公の場で説明できない。その責任を課すことによって、不正行為のインセンティブをなくすのだ。フクヤマによれば、近代国家の必要条件はデモクラシーではなくアカウンタビリティ

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  • 人はなぜサンクコストを錯覚するのか : 池田信夫 blog

    2014年02月11日12:40 カテゴリテクニカル 人はなぜサンクコストを錯覚するのか 前にも書いたように、細川護煕氏や小泉純一郎氏が「原子力に過去に投じられたコストが天文学的」だから原発は高価だというのは、サンクコストの錯覚である。これは大島堅一氏のような研究者まで勘違いしているぐらいよく起こる。 同じ錯覚は、核燃料サイクルを守ろうとする官僚にもある。私が「過去に何兆円投じたかは、サンクコストだからどうでもいい。今後のコストが直接処分のほうが安いことは経産省も認めてるんでしょ?」と問うと、官僚は「直接処分にすると使用ずみ核燃料が資産に計上できなくなる」という。これこそ帳簿上の錯覚で、問題は今後のキャッシュフローだけなのだ。 サンクコストの錯覚が誤りであることを証明するのは簡単だが、なぜ誰もがサンクコストを気にするのかは簡単な問題ではない。実はこの現象は動物行動学でも知られている。たとえ

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  • 法制局が憲法解釈を決める「下克上」 : 池田信夫 blog

    2014年02月14日09:45 カテゴリ法/政治 法制局が憲法解釈を決める「下克上」 東京新聞によれば、首相が集団的自衛権についての憲法解釈を変えるのは「立憲主義を否定」するものだそうである。相変わらずの地方紙クオリティだが、東京新聞は立憲主義の意味がわかっているのか。 歴代の内閣で法制局は「集団的自衛権は保持しているが行使できない」という奇妙な憲法解釈をとり、首相の答弁を拘束してきた。立憲主義とは憲法にもとづいて国民が政府を拘束する考え方だが、今は立法も行政も官僚がやり、憲法解釈も法制局がやっている。これこそ立憲主義に反する官僚支配である。 内閣法制局はその名のとおり内閣の一部局で、首相の指揮下にあるのだから、憲法解釈を変える権限は首相にある。法制局が勝手に憲法解釈を決めて首相の判断を拘束するのは、戦前から続く下克上の悪習である。首相が法改正で解釈を変更した場合には、国会が承認すればよ

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    midnightseminar
    midnightseminar 2014/02/16
    “東京新聞によれば、首相が集団的自衛権についての憲法解釈を変えるのは「立憲主義を否定」するものだそうである。相変わらずの地方紙クオリティだが、東京新聞は立憲主義の意味がわかっているのか”
  • グローバリゼーションと歓待 : 池田信夫 blog

    2014年01月04日23:27 カテゴリ経済 グローバリゼーションと歓待 アゴラの記事の補足。ロドリックもいうようにグローバリゼーションと主権国家は矛盾するが、その敵は民主主義ではなく、資主義である。 ネグリ=ハートが指摘したように、近代国家は国内では移動の自由を認めながら移民は認めない。ロールズ的な「一国平等主義」が偽善的なのも、格差原理の適用を国内に限っているからだ。開発援助なんかしなくても、移民の自由を無条件に認めれば、バングラデシュの飢えた人々はアメリカに行くだけでいい。 もちろん現実にはそんなことは不可能だが、近代国家は根底にそういう偽善をはらんでいるのだ。ネグリがそれを批判する概念として提起したのが、歓待の倫理である。これはデリダがレヴィナスの存在論に見出した概念で、その対義語である排除と対にして考えたほうがわかりやすい。 資主義は、排除によって利潤を維持するシステムであ

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  • 統帥権はなぜ独立したのか : 池田信夫 blog

    2013年12月29日00:23 カテゴリ法/政治 統帥権はなぜ独立したのか 靖国参拝に対する反応は、最初から立場が決まっている人が多い。「私はリベラルだから反対だ」という人がいる一方、「私は保守派だから賛成しなければならない」と思い込んでいる人も多い。そういう人は「国の誇り」とやらを振り回す前に、書を読んでほしい。 保守派の論客だった山七平は日軍の狂気を詳細に分析し、その根底に明治憲法の致命的な欠陥があることをきびしく批判した。書の308~10ページから引用しておこう(一部略)。なぜこの民権派・人権派が統帥権の独立──いわば兵権と政権を分離し、政府に兵権をもたせず、これを天皇の直轄とせよ──と主張したのか。言うまでもなくそれを主張した前提は、明治の新政府が、軍事政権とはいえないまでも、軍事力で反対勢力を圧服して全国を統一した新政府、いわば軍事的政権であったという事実に基づく。 こ

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  • 「明治レジーム」の虚妄 : 池田信夫 blog

    2013年12月28日16:41 カテゴリ法/政治 「明治レジーム」の虚妄 アゴラに靖国参拝に対するきつい意見が並んだので、ついでに私もひとこと。今回の事件が日米同盟に亀裂をもたらすことは、安倍首相も覚悟の上だろう。中国韓国の反応も織り込みずみと思われる。わからないのは、なぜそこまで大きなリスクをおかして参拝する必要があったのかということだ。 比較的中立な日経の報道からみても、遺族会の票がほしいとか、自民党内の右派を味方につけるとかいう打算でやったようには見えない。それどころか「参拝できなかった心のわだかまりが再登板のきっかけになった」という関係者の話が当だとすれば、これが政権についた目的だったわけで、日米同盟もアジア外交も眼中にないのは当然だ。 私は安倍首相と同じ世代だが、靖国神社には何の感情もない。安倍氏に特別な感情があるとすれば、それは祖父を戦犯として裁いた「東京裁判史観」への批

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