ジャーナリズムの歴史でも特に優れていると名高い雑誌記事の発表から、8月末で70年が過ぎた。記事の見出しはただひと言、「HIROSHIMA」。ジョン・ハーシー氏が書いた3万語にもなる記事は、核兵器による恐怖の全容を戦後の世の中に伝え、大きな衝撃をもたらした。BBCのRadio4編成責任者だったキャロライン・ラファエル氏が、その経緯を振り返る。 私の手元に、1946年8月31日発行の米誌ニューヨーカーがある。表紙のイラストは実に無難で、陽気で無邪気な夏の公園の風景が楽しく描かれている。背表紙ではニューヨークの球団、ジャイアンツとヤンキースの監督が、たばこは「チェスターフィールドで決まり」だと宣伝している。 ニューヨークのタウン情報と映画欄、ダイヤモンドや毛皮、車やクルーズのきらびやかな広告に続いて、編集部からの簡単なお知らせが載っている。そこには、この号全体をたったひとつの記事に充てると書かれ
日本の原子爆弾開発(にほんのげんしばくだんかいはつ)では、大日本帝国による核兵器の開発について述べる。なお、原子爆弾は核兵器の一種であり、核兵器=原子爆弾ではない。 研究計画の始動[編集] 開発依頼まで[編集] 第二次世界大戦(太平洋戦争)中、日本軍部には二つの原子爆弾開発計画が存在していた。大日本帝国海軍のF研究(核分裂を意味するFissionの頭文字より)と、大日本帝国陸軍の「ニ号研究」(仁科芳雄の頭文字より)[注 1]である[注 2]。 日本海軍のF研究に関わることになった荒勝文策は、研究以前、1926年から2年間ヨーロッパに留学し、ベルリン・チューリヒでアインシュタインやボーテの薫陶を受けた後、イギリス・ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所に在籍、ラザフォードに師事した[2]。1928年、「Self reversal lines of lead in explosion s
HIROSHIMA, JAPAN - MAY 27: U.S. President Barack Obama gives a speech during his visit to the Hiroshima Peace Memorial Park on May 27, 2016 in Hiroshima, Japan. It is the first time U.S. President makes an official visit to Hiroshima, the site where the atomic bomb was dropped in the end of World War II on August 6, 1945. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)
アメリカによる広島と長崎への原爆投下が正しい決定だったのかどうかを問う世論調査を行ったところ、アメリカでは「正しい決定だった」と答えた人が多かった一方、イギリスでは「誤った決定だった」と答えた人のほうが多く、対照的なものとなりました。 それによりますと、2000人余りが回答したアメリカでは、45%の人が「正しい決定だった」と答え、「誤った決定だった」という答えの25%を上回りました。 これに対し、イギリスでは、回答した1600人余りのうち、「誤った決定だった」と答えた人が41%と、「正しい決定だった」と答えた28%を上回り、原爆投下の決定に対するアメリカとイギリス両国市民の考え方は対照的なものとなりました。 ただイギリスでも65歳以上の世代では、原爆投下について「正しい決定だった」と答えた人のほうが多く、半数近くに上りました。 一方、アメリカ、イギリスとも、核兵器が開発されたことを「好まし
2015年8月6日にNHKが放送したNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」がとても凄い内容だと話題になっています。 広島への原爆投下から70年目ということで、この番組では巨大なきのこ雲の下の惨状を記録した2枚の写真をもとに、鮮明な立体映像化をフランス公共放送F5と共同制作しました。 写真は爆心地から約2kmの地点にある「御幸橋」で撮影された物で、そこには約50人の火傷を負った人々が写っています。 原爆の火傷は普通の火傷とは異なっており、猛烈な熱波で皮膚の上の部分が剥がれ落ちるような状態になっていました。痛みを感じる神経がむき出し状態で、専門家の方は「人間が感じる痛みの中で最大の物」と指摘しています。 写真が動き出すシーンが強烈の一言で、原爆投下の悲劇をこれ程までにハッキリと伝えた番組は初めてかもしれません。 ネット上でも多くの方が衝撃の映像に驚くと同時に、「歴史として多くの人
今日は、ヒロシマ原爆の日。 「ねずさんのひとりごと」では、「なぜ、日本に2発の違う種類の原爆が落とされたのか?」という考察から始まって、日本も原爆の開発をしていたからこそ、ヒロシマに使われた爆弾が核兵器だとすぐにわかったということや、軍の上層部が、開発した新型爆弾を使おうとして昭和天皇に止められたことなど、当時のいきさつを詳しく書きおこしてくださっています。 特筆すべきは、広島に原爆を投下されて5日後(長崎投下の2日後!)には、スイスを通じて日本政府の抗議文がアメリカに送られていたこと。 今までそんな文書があったことも知りませんでしたが、その内容が今読んでも全く違和感のない、筋の通った正論であることに二重の意味でびっくりしました。 これは、「正義の国」を標榜してきたアメリカにすれば、あまり表に出したくない文書の一つだったのではないでしょうか? 日本に反撃能力がないのを見越して、人体実験を一
被爆70年に合わせてNHKが行った世論調査で、広島と長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、正しく答えられなかった人がそれぞれ全国で7割程度に上り、専門家は原爆について意識を高めていく必要があると指摘しています。 まず、広島に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月6日」と正しく答えられた人は、広島で69%、長崎で50%、全国で30%でした。 また、長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月9日」と正しく答えられた人は、広島で54%、長崎で59%、全国で26%でした。 さらに、「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。 一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、広島では、ごく僅かですが
どうも、服部です。昭和の歴史を映像をもとに紐解いていくシリーズ、今回は原子爆弾が投下された翌年、1946年(昭和21年)に撮影された広島のカラー映像を紹介したいと思います。撮影は3月から4月にかけて行われたようなので、原爆投下(1945年8月6日)後、わずか7~8ヵ月です。 Youtubeで93万回以上再生されている「Hiroshima Aftermath 1946 USAF Film(1946年の広島の状態 アメリカ空軍フィルム=著者訳)」というタイトルの17分ほどの映像です。ナレーション、BGMなどは一切ありません。 ※動画はページ下部にあります。 まず撮影のカチンコが映し出されます。Dateの枠に「April 8 46」と書いてあります。1946年(昭和21年)4月8日の撮影のようです。 廃虚の屋根の下で、子供たちと手を繋ぐキリスト教聖職者の姿が見えます。聖職者らが見上げる先には……
修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中学校3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に対して「死に損ない」などの暴言を発し、森口さんが学校に抗議していたことが6月7日、分かった。MSN産経ニュースなどが報じた。 森口さんによると、被爆者らが5月27日、3年生119人をグループに分け、爆心地周辺の被爆遺構を案内。森口さんが山里小学校で説明し始めたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだ。森口さんは注意したが、この数人は周りの生徒にも「拍手しろ」などと言って妨害、暴言を続けたという。 (MSN産経ニュース『長崎被爆者に「死に損ない」 横浜の中3生、修学旅行中に暴言』より 2014/06/07 13:10) 森口さんは翌日、「たいへん悲しいことでした。多くの被爆者の方に申し訳なく、つらい時間でした」と記し
「人形が怖い」との意見で被爆再現の人形撤去へ…原爆資料館 1 名前: シンガプーラ(家):2013/03/17(日) 09:36:39.05 ID:0t22kIY+0 広島市は14日、原爆資料館(中区)に展示している、やけどを負った被爆者の姿を再現したプラスチック人形を2016年度にも撤去する方針を示した。館内の展示を遺品などの実物資料に切り替える見直しに合わせる。印象が強く、広く知られた人形の撤去について、来館者たちの受け止めが分かれた。 人形は女性、女学生、男児を模した3体。焼けただれた皮膚で、がれきの中をさまよう。先代のろう人形を1973年から展示し、91年に現在の人形に替えた。 この日、市議会予算特別委員会で議題に上った。委員の一人が「旅行代理店のアンケートに、 人形が怖いとの意見があった」と指摘。石田芳文・被爆体験継承担当課長は「本館リニューアル後は、 展示しない方向で検討してい
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