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ブラジルに関するmidnightseminarのブックマーク (4)

  • 障がい者用駐車スペースに違法駐車 戻ってきたドライバーへ、市民からお仕置きが!

    ブラジルで撮影された映像。障がい者用の駐車スペースに車を止めたドライバー、車を離れている間にとんでもない制裁が加えられてしまいました! 車に貼り敷き詰められたのは、ポストイット。丁寧に二色を使って車いすのマークが描かれています。なんとも大がかりなおしおき。 ドライバーは苛立ち、ポストイットをはがそうとしたり、落ち着かなげにうろうろしたり…。 最後には、運転席の前をはがしただけの状態で走り去ってしまいました。見物していた市民たちは拍手喝采! ポストイットのごみがあたりに散らかっていたり、運転時に危険かもしれないということもあり、この行為を手放しに称賛はできません。ですが世界各国で話題になったことから、違法駐車抑止の啓もう活動としては効果があったのではないでしょうか。

    障がい者用駐車スペースに違法駐車 戻ってきたドライバーへ、市民からお仕置きが!
    midnightseminar
    midnightseminar 2015/06/29
    障害者用のトイレでうんこするのも慎んだ方がいいな
  • 日本へのデカセギが生んだロストゼネレーション(下) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)

    家庭の中の会話は「全てポ語が約束だった。日語はオハヨウとかしか知らないレベルだった」という。それでも「毎日学校に通う中で日の言葉は覚えました。子どもだったからね」と事もなげに話す。 工場が多い土地柄で、全校で30人以上のデカセギ子弟が在籍する小学校だった。 日語の不自由な児童のために「国際クラス」があったが、ポ語を解する教員も、外国人指導の資格を持った指導員もいなかった。中学校でも同様で、比較的早く日語になじんだ幸良さんが通訳をする機会が多々あったという。 中学卒業後は高校には進学せず、就職を選択した。「両親の意向で、中学を卒業して1、2年でブラジルに帰ることになっていた。結局延びに延びて20歳まで日にいましたけど・・・」。伯人が多い土地柄だったので銀行の通訳としても働いた。ポ語の勉強もかかさず、伯国の高校資格も日滞在中に取得した。 「接客の態度、お客さんへの敬語、何より手を抜

    日本へのデカセギが生んだロストゼネレーション(下) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)
  • 日本への出稼ぎが生んだロストゼネレーション(中) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)

    ニッケイ新聞 2013年1月15~17日 (4)「何とかなる」と高校中退 工場労働で後悔の日々も 三宅ミドリさん(22、四世)は1996年、6歳の時に訪日し、先にデカセギに行っていた両親と合流した。家庭内もポ語会話が基で、日語を覚えるのには苦労したという。 通学した愛知県豊橋市の公立小学校にはブラジル人の職員がおり、国語の科目の時間のみ日語が得意でない外国人の生徒を対象に特別教室があった。 「全校でブラジル人を中心に外国人生徒が15人くらい。ペルー人なんかもいた。居心地は良かったけど、日語が上手くなるにつれて行かなくなった」。その理由を尋ねると「日人の友達もできたから」と照れくさそうに笑う。 それでも中学校への入学が目前に迫ってくると、ブラジル人学校への入学を希望するようになった。「特別授業がない国語以外の科目に段々ついていけなくなった。特に算数が難しかった」。しかし、金銭的な都

    日本への出稼ぎが生んだロストゼネレーション(中) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)
    midnightseminar
    midnightseminar 2013/04/04
    「死ぬときは、日本で死にたいなって思う。でもやっぱり難しいかな」
  • 日本への出稼ぎが生んだロストゼネレーション(上) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)

    ニッケイ新聞 2013年1月10~12日 (1)3歳で訪日、母親と再会=義務教育はわずか2カ月 あと2年で、デカセギ開始年といわれる1985年から30年が経とうとしている。金融危機以来の4年で約10万人のデカセギが帰伯した。戦後移民5万人の2倍に匹敵するこの“民族大移動”は「第2の戦後移民」ともいえる出来事だ。しかも、この30年間に日で育ち人格形成した世代は2、3割以上を占めるともいわれ、年々その割合を増しており、「第2の子供移民」ともいえる層を形成している。 彼らは訪日就労ブームの申し子のような世代だ。「デカセギは是か否か」――20数年前に邦字紙を騒がせたそのような問いかけの結果が、いま当地に次々と舞い戻っている。どこに居場所を作り、何をして生活していくのか。帰国数年の率直な声を11回にわたり連載する。(酒井大二郎記者) 「あー、どうも。今日はよろしくお願いします」。帰伯子弟をテーマに

    日本への出稼ぎが生んだロストゼネレーション(上) さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま | JBpress (ジェイビープレス)
    midnightseminar
    midnightseminar 2013/04/04
    「ヤクザを刺しちゃったんですよ。組を抜けようとした結果、命を落とした友人の仇をとるため、事務所に単身で乗り込んだ」
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