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SNSと日本に関するDrunkarのブックマーク (1)

  • 神と天才とユートピア 第一部 「ソーシャル」なものの終わり (4) 分かりあえないってことだけを

    僕たちがウェブだと思っているものとは別のところに、コミュニケーションではないものによって作動するウェブが広がりつつある。それがこの連載の前提となる認識だ。もちろんそれは純粋に技術的なものでも、商業的なものでもない。法などの社会制度の変化を伴いながら拡大するという点で、社会全体の大きな動きなのだ。ただ、僕たちが見ているウェブの世界とは異なるために、いちいち説明しないとそれがウェブだと気づかれないので、ここまで前置きの話を続けてきたわけだ。 ではそういう世界で、ウェブ上の「ことば」のやりとりはどういう意味を持つのだろう。この連載を始めるタイミングで、日のウェブ上ではソーシャルメディアが終わるの終わらないのという話で盛り上がっているらしい。特定のサービスが面白いかどうかについては個人の自由に任せるけど、「ソーシャル」という言葉の指すものについては少し整理しておいた方がいいような気がする。 ソー

    神と天才とユートピア 第一部 「ソーシャル」なものの終わり (4) 分かりあえないってことだけを
    Drunkar
    Drunkar 2014/08/17
    「ソーシャルメディアが期待されていたものは、このコーヒーハウスのウェブ版であり、人々が自らのコンテクストを離れて「パブリック」なことばをやりとりする場になることだった。」
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