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歴史に関するDrunkarのブックマーク (159)

  • 満鉄をめぐるハリマンと小村寿太郎の対決

    Ⅰ 断乎、ハリマン協定を粉砕 1 ハリマンの正体 2 戦後経営の消極主義につけこむ 3 ハリマン覚書の内容 4 小村、政府の無謀に激怒す 5 毅然として神のごとし 6 後門の狼を討つ 7 ハリマンと焼き打ち事件 Ⅱ 満州に関する日清協約 1~7 省略 8 ハリマンに引導を渡す 9 桂と共に辞職 Ⅲ ハリマンの執念と”亡霊” 1 新民屯、法庫門鉄道問題 2 満州銀行の創立案 3 錦愛鉄道借款問題 4 満州鉄道中立案を提議 5 4国借款団も水泡に 小村寿太郎 安政2年9月16日~明治44年11月26日 (1855~1911)宮崎生まれ。外交官。 父は飫肥藩士。藩校振徳堂で学び貢進生として大学南校に進む。 明治8年(1875)に文部省第1回留学生に選ばれてハーバード大学に入学。 帰国後、司法省に出仕し、大審院判事を経て21年(1888)外務省翻訳局長となる。 日清戦争では政務局長。 その後、外務

  • 「報復除外」韓国政府が幼稚な対日政策をやめられない理由 田中秀臣の超経済学

    Redmine

  • プロローグ(『戦後経済史』全文公開:その1)|野口悠紀雄

    『戦後経済史』が刊行されます(日経済新聞出版社、2019年4月1日)。「はじめに」「プロローグ」「第1章」を全文公開します。なお、書は,『戦後経済史』(東洋経済新報社、2015年6月)を文庫化したものです。 ◇ 私は3月10日を生き延びた 私の記憶は、1945年3月10日の深夜に始まります。 猛火で赤く染まった空を背景に、B29の大編隊がこちらに向かってくる。圧倒的な力を持つ敵が、私たちを殺しに来た。それに対して、どうすることもできない。その極限の恐怖を、いまでもはっきりと思い出します。 私たち5人の家族(私、母、祖母、姉、妹)は、近くの小学校の地下防空壕に向かって逃げました。全員が防空頭巾をかぶり、幼かった妹をうば車に乗せ、途中でお地蔵様の前を、当に転げるように走り抜けた記憶があります。そして、まったくの偶然によって生き延びたのです。 私たちと同じ防空壕に逃げ込んだ人々の大部分は、

    プロローグ(『戦後経済史』全文公開:その1)|野口悠紀雄
  • 【星暁雄のブロックチェーン界隈ざっくり見て歩き】ハッシュのダンス〜BitcoinとBitcoin Cashの「分裂」騒動を振り返る

    【星暁雄のブロックチェーン界隈ざっくり見て歩き】ハッシュのダンス〜BitcoinとBitcoin Cashの「分裂」騒動を振り返る
  • 終身雇用制はいつからあるの?|公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-

    格的に普及したのは戦後からですが、その原型は戦前・戦中期にありました。 終身雇用制とは、会社が労働者を入社から定年まで雇い続ける、日特有の雇用慣行です。 現在もほとんどの日企業が、正社員に対してこの終身雇用制を保障しています。 同じ会社で真面目にコツコツ働き続ければ、一生うには困らない。 こうした長期雇用の慣行はいつ頃できたのでしょうか。 戦前からすでにあったのでしょうか。 実は、終身雇用制が格的に普及したのは戦後になってからでした。 しかし、その原型は戦前・戦中期を通してつくられてきたといえます。 もともと、戦前の日は労働者の移動が激しい社会でした。 特に、工場で働く労働者たちは、熟練工になるとすぐに、より給料の高い職場へ転職してしまいました。 そこで、会社は優秀な人材を引き留めるため、様々な奨励制度を考えます。 勤続年数=年功に応じた昇給、積立式の退職金、手厚い福利厚生など

  • 戦後日本55年の政策を経済学三大思想でスッキリ読み解く | 週刊ダイヤモンド特集セレクション | ダイヤモンド・オンライン

    戦後の復興期から現在に至るまでの55年は、経済思想にとって怒涛の半世紀といえる。新古典派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学という三大思想の波が入り組みながら、交代で前面に押し寄せた。 1960年代は、米国でも日でもケインズ主義が隆盛を極めた時代だった。18世紀型自由主義の市場経済ではなく、政府主導の財政政策による経済成長が続いたのだ。60年12月に閣議決定され、翌年から実施された国民所得倍増計画はその代表例だ。「計画」と銘打っていることからお分かりの通り、新古典派的な自由主義とは懸け離れている。 60年代を通し、現に日は2桁の経済成長を続け、国民所得は倍増以上に膨らんだ。いわゆる高度成長期だ。一方、経済力を維持しようとした米国から貿易と資取引の自由化を迫られてもいる。 70年代に入ると長期好況は終わり、一転して不況・低成長時代となる。71年8月にはドルショックにより、戦後の国際通

    戦後日本55年の政策を経済学三大思想でスッキリ読み解く | 週刊ダイヤモンド特集セレクション | ダイヤモンド・オンライン
    Drunkar
    Drunkar 2018/12/08
    “73年の石油危機以降は、インフレと不況が同時に起こるスタグフレーションが長期化し、ケインズ経済学はこれにて後景に退く”
  • システムソフトウェアに対する攻撃の歴史と傾向 - 高度標的型攻撃や国家に支援された攻撃の仕組み - - るくすの日記 ~ Out_Of_Range ~

    A History of system-level offensive security researches: How is your system compromised by nation state hacking, APT attack はじめに 企業や個人に対するサイバー攻撃の頻度は年々増加の一途を辿っているが、これらはskiddyによる悪戯程度の物から、企業を標的とした高度な標的型攻撃、あるいは政府による諜報活動に至るまで多岐にわたっている。 特に大規模な組織や政府による綿密に練られたサイバー攻撃は、確実に目的を果たすために高度な手段が講じられる事が多い。 記事では高度標的型攻撃や政府による諜報活動で用いられる手法の一つとして、"システムソフトウェアに対する攻撃"について紹介する。 これはオペレーティングシステム (OS) や仮想マシン、ファームウェアといった基盤システムを

    システムソフトウェアに対する攻撃の歴史と傾向 - 高度標的型攻撃や国家に支援された攻撃の仕組み - - るくすの日記 ~ Out_Of_Range ~
  • NEDO Web Magazine | 実用化ドキュメント

    NEDOプロジェクトにより開発された技術が、 どのように製品やサービスとなって活用されているかを紹介するシリーズ企画です。 NEDOによる開発成果がさまざまな形で活躍しています。 NEDOでは、プロジェクト終了後の「その後」を追い、成果の社会への広がりを把握する「追跡調査」を実施しています。 そして、それによって把握された製品やサービスを中心に企業をはじめとする開発者にインタビューを行い、「実用化ドキュメント」として紹介しています。

  • 共同ファブはなぜ破綻したのか

    システムLSI事業で成功するためには,国内メーカーは設計と製造を分離し,水平分業体制に移行しなければならない――。こう考えた経済産業省が主導して,国内メーカーの製造部門を統合した「共同ファブ」を立ち上げる構想があった。定評ある日企業の製造力を集結し,世界で通用するSiファウンドリーを立ち上げる。一方で,製造に必要な大規模投資から解き放たれた各社は,設計力の強化に邁進できる。一挙両得を目指したこの構想は,結局うまくいかなかった。失敗の根底には,一体何があったのか。日経エレクトロニクスが2007年に掲載した連載記事で検証する。

    共同ファブはなぜ破綻したのか
    Drunkar
    Drunkar 2018/04/30
    「現実のプロジェクトの進め方は,これとは正反対だった。参加する各社の意図を等しく尊重し,成果の配分でも平等を重視する合議制を採っていた。」
  • 【電子産業史】1992年:半導体に見る日本メーカーの凋落

    1992年,DRAM市場と半導体市場で日のメーカーがそれぞれシェア1位から転落した。 日の電子産業の勢いがなくなったのはいつからだろうか。半導体産業で見ると1992年が大きな転機だったことが分かる。日の牙城といわれたDRAMにおける日メーカーの凋落と韓国メーカーへの主役交代――これが明確になったのが,韓国Samsung Electronics社が市場シェア・トップに立った1992年である。 1980年代に日のDRAMメーカーは品質を武器に着々と地歩を固め,世界のトップに躍り出た。しかし2005年のDRAMメーカーの売上高を見ると,Samsung Electronics社ほか海外のメーカーが上位を占める(表1)。日メーカーはかろうじて第5位にエルピーダメモリが入っているだけだ。 1992年は日のDRAMメーカーにとって驚愕と失意の年だった。バルセロナ・オリンピックが開かれたこの

    【電子産業史】1992年:半導体に見る日本メーカーの凋落
    Drunkar
    Drunkar 2018/04/30
    「DRAMの勝ちパターンは分かっている。製造装置が安くなり競合他社の力が弱まる不況期にこそ投資することで収益を上げられる。ユーザーにも製品を安定供給できる。」
  • 【電子産業史】1988年:TRON

    1988年,TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足した。 1984年にTRONプロジェクトが始まってから22年が過ぎた。これだけの時が過ぎると世の中の評価が落ち着きそうなものだが,現在でもTRONに対しては賞賛から批判までさまざまな見方がある。なぜ,長い年月を経てもここまで評価が分かれるのか。1980年代後半の5年間,坂村健氏の近くで取材をしていた記者の一人として思うところを書いてみたい。 結論から言うと,我が国のエレクトロニクス産業においてTRONプロジェクトが果たした役割はとてつもなく大きい。とりわけ,ITRONから始まった組み込み分野での貢献は特筆に値する。TRONを抜きにして携帯電話機などの組み込み型の国内電子産業がここまで発展したか否かについては見方が分かれるだろうが,そうした議論に意味はない。別のものがその役割を果たし得たかもしれないということを言い出せば,米Mi

    【電子産業史】1988年:TRON
    Drunkar
    Drunkar 2018/04/30
    「当時の日本メーカーは優れた半導体技術を持ちながら,著作権の壁に阻まれてマイクロプロセサ事業への道を閉ざされていた。」
  • 【電子産業史】1983年:DESとRSA

    1983年,米Massachusetts Institute of Technologyは,RSA暗号に関する特許を取得した。 暗号は今や,情報インフラのセキュリティーを支える基技術となっている。例えば,最近の「おサイフケータイ」にも暗号技術が応用されているのである。 だが現在のような暗号技術の開発が始まったのはさほど古くはない。米国でも1970年代に入ってからである。誌で暗号の記事が初めて登場したのも1978年9月4日号であった(図1)1)。 DESとRSAが同じ時期に誕生 それまでの暗号技術といえば,文字通り暗闇の技術であった。国家保安のための技術であったからだ。かの有名なTuringやShannonも暗号理論の専門家であったし,世界初の実用コンピュータも暗号解読マシンであった。だが,軍用技術であった暗号は,公の場で議論されることがなかった。 明るい表舞台に暗号技術が登場したのは,

    【電子産業史】1983年:DESとRSA
  • 【電子産業史】1980年代:基礎研究に走った日本企業,欧米は大学・ベンチャー主体に

    1980年代を私は誌編集長として過ごした。当時と現在とで,1980年代に対する私の見方は大きく違う。当時を振り返るとき,「なぜ気付かなかったのだろう」の思いを禁じ得ない。 例えば1980年代に欧米企業の研究開発方針は大きく転換した。要約すれば「中央研究所の時代から産学連携の時代へ」である。 西洋社会の伝統では長いこと,「知」と「技術・産業」は分断されていた。大学と産業界の距離は,西洋世界でこそ遠かった。それが1980年ごろから様子が変わる。「新産業を生み出すのも,新しい雇用を創出するのも,大学であり,大学の仕事に基づくベンチャー企業であり,それを起こす企業家だ」。世界中でこう期待し始めたのである。今にして思えば,それは,ほとんど革命(大学革命と呼ばれる)だった。 伝統的大学人の強い抵抗と社会的な摩擦を伴いながら,この革命は進行した。歴史的に大きな転換であるだけに,痛みもまた激しかったよう

    【電子産業史】1980年代:基礎研究に走った日本企業,欧米は大学・ベンチャー主体に
  • レファレンス協同データベース

    レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベースです。詳しくは「事業について」の各ページをご覧ください。

    レファレンス協同データベース
    Drunkar
    Drunkar 2018/04/14
    いろんな質問に対する資料が載っていてすごい
  • 【電子産業史】1979年:超エル・エス・アイ技術研究組合

    1979年度に,超エル・エス・アイ技術研究組合の活動は一部の研究を除き終了した。 「将来のコンピュータシステムの要となる超LSIを開発する」という目的で,「超エル・エス・アイ技術研究組合」が1976年に設立された。総予算は700億円。うち約290億円が「次世代電子計算機用大型集積回路開発促進補助金制度」からの補助金(国の出資)で,4年計画のプロジェクトである(一部の研究は7年間まで延長)。 参加企業は,コンピュータ総合研究所(富士通,日立製作所,三菱電機),日電東芝情報システム(NEC,東京芝浦電気)の2グループ5社。通商産業省工業技術院電子技術総合研究所と日電信電話公社も協力した。 これは米IBM社の未来のコンピュータ計画「Future System」(FS)に触発された国家プロジェクトである。前年の1975年に,コンピュータの100%資自由化が実施され,日のコンピュータ産業に対す

    【電子産業史】1979年:超エル・エス・アイ技術研究組合
  • http://www.jshit.org/3-kaishi.html

    Drunkar
    Drunkar 2018/04/10
    日本産業技術史学会誌 『 技 術 と 文 明 』
  • 開発ものがたり|日本半導体歴史館

    における高水準の半導体関連技術は、世界の先進諸国の中で国際的に評価され、世界の半導体産業の中で確固たるものが確立されてきました。 「日半導体歴史館」ではここに、世界の半導体産業に大きく貢献した日の半導体および半導体応用製品に関する重要開発の貴重な記録を「開発ものがたり」として収録、公開することとしました。ここでは開発当事者(個人、グループ、企業、研究開発機関を含む)によるレビュー、エピソード、インサイド・ストーリー等の様々な記録を継続的に集積していきます。またこれら記録は、歴史館内部収録のものと外部収録へのリンクを含みますが、いずれも十分有効なキーワード検索機能によって簡便にアクセスできるように企図、構成しました。

  • 日本半導体歴史館

    Topics 新たな特別展示として「拡がりゆく半導体応用分野 ~ロボット/AI/IoT~」の展示室を開設しました。 また、「個別半導体他」2020年代に「車載LiDAR向け SPAD直接ToF方式距離センサーを商品化」の記事を掲載いたしました。是非ご覧ください。 2023.10.24 NEW 「個別半導体他」2020年代に「車載LiDAR向け SPAD直接ToF方式距離センサーを商品化」の記事を掲載いたしました。 2023.9.20 NEW 「個別半導体他」2020年代に「共鳴トンネルダイオード(RTD)を用いたテラヘルツ発振デバイス開発」の記事を掲載いたしました。 2023.8.1 NEW 新たな特別展示として「拡がりゆく半導体応用分野 ~ロボット/AI/IoT~」の展示室を開設しました。 2022.10.25 「応用製品」2010年代に「産業用無人ヘリコプター(ドローン)の実用化」の記

  • 統計資料室|日本半導体歴史館

  • 第19回文化庁メディア芸術祭 「テレビゲームの時代: 世界へ羽ばたく日本のゲームとアニメーション」 - GAME Watch

    第19回文化庁メディア芸術祭 「テレビゲームの時代: 世界へ羽ばたく日本のゲームとアニメーション」 - GAME Watch
    Drunkar
    Drunkar 2018/03/11
    「『ファミコンロッキー』あたりまでのゲームマンガは、ゲームを遊ぶプレーヤーが主人公になっていました。ですが、それ以降は…ゲームのキャラクターが主人公となるコミカライズばかりが出るように」