一般的に、批評家と実務家は真逆の対象として語られることが多い。そして大抵の場合、批評家は実務家のような苦労をすることなく好き勝手にものを言って暮らしている人、というイメージで語られがちだ。 さらにいえば、大学教授や研究者に対して「自分が実務家としてやってみたらいいのでは」という意見を耳にすることもある。 こうした言説に触れるたび、「考える」という知的労働の地位はまだまだ確立されていないのだなと思う。 「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄は、批評家という仕事に対してこんな言葉を残している。 批評家というものは、他人をとやかくいうのが上手な人間と世人は決めてかかりたがるが、実際には、自分を批評するのが一番得意でなければ、批評商売もなかなかうまくゆかないのである。(小林秀雄「読書について」) この「自分を批評する」行為、すなわち自省こそがその人の知性を形作るのだと私は思う。自省なき言説には人を動かす