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インタビューと音楽に関するthebandのブックマーク (6)

  • 大滝詠一ベスト発売記念 ~受け継がれるナイアガラ遺伝子~

    Q1. あなたにとって大滝詠一の魅力とは? 音楽を聴くという行為は、レコードが回っている間どこか違う世界を覗けるような、連れてかれるような感覚があって、大滝さんの音楽を聴いた時見えてくる景色は、いつもブライトで底抜けに楽しくて、トンチがきいていて、ユーモラスな体験をさせてくれたように思います。 Q2. 最も好きな大滝詠一作品(提供楽曲でも可) 大滝詠一 『Niagara Moon』 関連情報 【連載】森は生きている、圧倒的完成度のセカンドアルバム『グッド・ナイト』発売を記念し連載中! Q1. あなたにとって大滝詠一の魅力とは? 僕と大瀧さんとの出会いは1997年11月12日発売、大瀧詠一最後のシングル【幸せな結末 cw/HappyEndではじめよう】です。当時高校生だった僕は、カラオケへ行っても流行歌が全くうまく歌えませんでした。しかしこの曲だけはなぜか、自分で言うのもなんですが上手に歌え

  • 音楽界のレジェンドの壮絶な人生──クインシー・ジョーンズ、思い出物語

    Quincy Jones クインシー・ジョーンズ 1933年、米国イリノイ州シカゴ生まれのジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。名クインシー・ディライト・ジョーンズ二世。50年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞。 ロサンゼルス郊外の高級住宅地ベルエアー。丘の上にそびえる邸宅の広々としたリビングルームにクインシー・ジョーンズが姿を現す。そして、大都市の夜景の連なりがいっぱいに見わたせる大窓に面した椅子にゆっくり腰を沈めるや、屋敷の主はこう切りだした。「84という年齢になると、長年悩まされてきたあらゆる疑問の答えがふっと湧いてくる。そんなような気がしているのだよ」 そんな言葉を入り口にジョーンズが語りはじめた人生は、置かれた境遇、出会った人々、輝かしい事績のいずれをとってもあまりにも変化に富んでいて、ひとりの男がそのすべてを体験したとはと

    音楽界のレジェンドの壮絶な人生──クインシー・ジョーンズ、思い出物語
  • インタビューってなんですか? 音楽評論家 #柳樂光隆|岡本尚之|note

    先日開催されたライター講座、若柳樂音筆の会(のちに若柳宮音筆の会に名称変更。その後、音筆の会に名称変更)の第1講では「インタビューがわからない」というテーマで、編集者の若林恵さん、音楽評論家の柳樂光隆さん、編集者・ライターの宮田文久さんが3時間を超える鼎談を行った。刺激的な一夜を終えて分かったのは、やっぱりインタビューがよく分からないということだった。音楽ライターの柳樂さんとは、色々な場所でインタビューについてお話しさせてもらっている。今回はさまざまな場所で話した柳樂さんのインタビュー論を対談形式にまとめた。はてブでは「しかしこの記事全体は対談だかインタビューだか迷って不時着しているふうにもなっていそうだなー」と書かれるなど、反響もあった。さて柳樂さん、インタビューってなんですか? とにかく雑誌が大好きな子供だったので、買ったら隅から隅まで読んで何度も読み返してた 岡:先日の「インタビュ

    インタビューってなんですか? 音楽評論家 #柳樂光隆|岡本尚之|note
  • 「アーティストには未来予知の責任がある」トラックメイカー・Seihoが示す、音楽の役割と可能性

    音楽は絶対、新しくなけりゃ意味がない」ーーそう言い切るのは、国内外で高い評価を受ける気鋭のトラックメイカー・Seihoだ。関西のアンダーグラウンドシーンで異彩を放ち、音楽評論家・阿木譲から美学を受け継いだ彼は、どんな発想で音楽に向かってきたのか。電子音楽に目覚めたきっかけから、彼が思い描く音楽の未来図まで、音楽ジャーナリストの柴那典が聞く。(編集部) ジャズプレイヤー志望から、電子音楽の道へ ――そもそも、なぜSeihoさんは今のスタイルでエレクトロニック・ミュージシャンとしての表現や音楽活動を始めたんでしょうか。 Seiho:基的に小学校ぐらいから音楽はずっと好きだったんですけど、音楽友達というより両親とのコミュニケーションツールだったんです。家でご飯をべてるときに音楽が流れていて、その話を父親や母親とするみたいな。 ――お父さんやお母さんは、わりとコアに音楽を聴いているようなタ

    「アーティストには未来予知の責任がある」トラックメイカー・Seihoが示す、音楽の役割と可能性
    theband
    theband 2018/03/14
    "演奏者は身体を伴う~身体能力としての技術が必要~僕はJazzやってた時に、頭で鳴ってるのに吹けなかったり、テクニックで届かない部分が沢山あった~電子音楽は身体を伴っていないから頭でさえ鳴っていればどうにかなる"
  • 谷村新司が語る、アジアと日本のポップス論「ヨナ抜き音階が何を意味するのか、10年間探求しました」

    谷村新司が5年ぶりとなるオリジナル・アルバム『NIHON〜ハレバレ〜』を4月22日にリリースする。2003年に上海音楽学院の常任教授となった谷村新司が、生徒と向き合う中で「日」についての作品を構想し、12年を費やして作り出したという作。その全13曲には、どのようなメッセージが込められているのか。また、アリスのメンバーとして、70年代の日のポップミュージックを牽引してきた谷村新司にとって、現在の音楽シーンはどのように映っているのか。独自のポップス論や創作方法のほか、海外ツアーで気付いたことや新アルバムのコンセプトについてまで、じっくりと語ってもらった。 「楽曲の作り方は結構攻めている方だと思います」 ――谷村さんの音楽キャリアを振り返ると、アリス以来、洋楽的なものを咀嚼しつつ、日のポピュラー音楽として、多くの人が口ずさめるような楽曲のあり方を提示されてきたと思います。それは意識的なも

    谷村新司が語る、アジアと日本のポップス論「ヨナ抜き音階が何を意味するのか、10年間探求しました」
  • 世間に誤解されてきた戸川純、貪欲に生き抜いてきた35年を語る | CINRA

    1980年代をニューウェイブの歌姫としてセンセーショナルに駆け抜け、一方では女優として『釣りバカ日誌』や『男はつらいよ』といった国民的な作品に出演し、ドラマやバラエティーでも活躍するなど、その特異な個性が光った戸川純。彼女がVampilliaとのコラボレーションによって過去の名曲を再録したアルバム『わたしが鳴こうホトトギス』を発表した。 今回の取材では、歌手活動35周年を記念した作品のリリースにあたり、戸川のキャリアを改めて総括。「不思議ちゃんとかメンヘラとか、さんざん言われてきたわよ」と笑って語る彼女の表現の源泉に迫った。 女優と歌手を並行させながら時代と戦った80年代から90年代。そして、体調を崩しながらも、女優と歌手を続けることに執着し、「生きる」ことへの情熱を燃やす現在。このインタビューによって彼女の人となりや哲学が伝わることを願いたい。 「私のことわかって」だけだったら歌わない。

    世間に誤解されてきた戸川純、貪欲に生き抜いてきた35年を語る | CINRA
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