cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
writer:@raq_reezy チャイルディッシュ・ガンビーノの新作「This is America」のミュージックビデオが公開され、その衝撃的な内容が話題となっています。 YouTubeの再生回数は公開から3日で3,000万回を突破しており、注目度の高さを伺わせます。 このミュージックビデオは、ドナルド・グローヴァーが製作総指揮と主演を務める『アトランタ』というテレビドラマの映像監督を務めるヒロ・ムライ氏が撮影しています。 さて、コミカルに踊るドナルドと子どもたちが不気味なこのミュージックビデオで、ガンビーノは何を訴えようとしているのでしょうか。 さっそく内容を見ていきたいと思います。 ブリッジ(Childish Gambino, Young Thug)この曲は明るいイントロから、楽しそうなブリッジに入るところから始まります。 ミュージックビデオでは、上半身裸のドナルド・グローヴァー
ケンドリック・ラマーが4月16日(日本時間では4月17日)、2017年に発売したアルバム『DAMN.』で、ピューリッツァー賞の音楽部門を受賞した。 同賞は「ジャーナリズムの発展」を目指して開設された、アメリカでも屈指の権威のあるアワード。ジャーナリズム部門、文学、音楽の分野があるが、音楽部門でヒップホップ作品が受賞するのは初めての快挙だ。 ケンドリック・ラマー『DAMN.』 当初はセロニアス・モンクやジョン・コルトレーンといったジャズミュージシャンの受賞が多かった同賞。1990年代中盤から他ジャンルの音楽家にもスポットが当たるようになり、2008年にボブ・ディランが特別賞を受賞し、ロック界では初の快挙だと話題になった。 授賞の基準は「アメリカの生活を描写した」「卓越したものであること」。選考委員はケンドリックへの授賞理由について「現代を生きるアフリカ系アメリカ人の人生の複雑さを捉えながらも
最終ソロ作"Circus Money"が傑作すぎた、故ウォルター・ベッカーの追悼を兼ね、 スティーリー・ダン Steely Danの歌詞の意味とか断片的な和訳とか解釈とかその他の寝言のようなことを、書く。再結成前のみ。 世間では最高に洗練された大人のための高級BGM = AOR/フュージョン、だと思われてるスティーリー・ダンですが、歌詞は非常に毒毒しい。(音楽も結構ヘン) よくあるのが、語り手のモノローグがだんだんヘンな内容になっていく、というパターン。 ・Dirty Work 自分を欲求不満のはけ口にする年上のリッチな女性(You have sent the maid home ealry)に対し、若い男が「もうあんたの汚れ仕事はしたくない」などと語る、衝撃のバラード。英語の"dirty"、いろんな意味がある。解釈によっては、割とエグい。 パーマーのやさしい歌声と言ってる内容の整合性がめ
本日は、スピッツの歌詞で女子の口説き方を学んでみたいと思います。作詞はご存知のとおり、ボーカル草野マサムネであります。われわれはこれから草野マサムネの歌詞を読み、女子を口説くための技術を学んでいくのであります。それでは始めます。 ひとつめの教材は『大宮サンセット』です。『色々衣』というカップリング集に収録されています。この曲の冒頭の一行を見てほしいのですが、そこにあるのは最高の導入なのであります。 この街で俺以外 君のかわいさを知らない この一文で始まるのです。これがすごいのです。なぜか? 一般に、男が女をほめるとき、「かわいいね」と言うのです。これを「口説きの平均値」としてみます。では、平均以下の口説き文句とは何か? それはたとえば「かわいいって言われない?」であり、「モテるでしょ?」なのです。これのなにが駄目かといえば、相手のことをほめるのに第三者の存在を利用しているところなのです。
♪ねえ 髪の毛を洗ってあげようか♪という『DATE』収録の「いじわる」を最初に聴いたとき、正直、僕も引いた。ここまであからさまに性衝動を歌う日本語の歌に出会ったことはなかった。歌っている岡村が真っ直ぐだからこそ、よけいにこちらが恥ずかしくなったのかもしれない。89年の武道館ライブで、岡村が「ねえ 髪の毛を洗ってあげようか」と歌い、女子オーディエンス全員が「キャー!」と叫んだとき、僕はのけぞってしまった。それでも岡村の歌の熱量は、こちらの気持ちをグイグイこじ開けようとした。それにやられて、やがて『靖幸』(89年)の「ダイスキ」や、『家庭教師』(90年)の「どぉなっちゃってんだよ」や「カルアミルク」を“名曲”として聴けるまでになっていった。 岡村は最新のサウンド・プロダクツを志向しながら、同時に歌詞も最新型を目指していた。学校の教室で話されている言葉で歌詞を書き、それをまるで話しかけるように歌
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すばらしいアルバムは終わり方も印象深い。名作を作るには、リスナーを興奮させ、高揚感を残して終わるような力強い締めくくりの一節が必要だ。これから挙げる、時代を超えた24枚の名作が証明するように……。 ザ・スミス『ザ・クイーン・イズ・デッド』 “Some Girls Are Bigger Than Others” 「枕を送ってくれ/夢見る時に君が使ってる枕を/そうしたら俺のも送るよ」 – Send me the pillow/ The one that you dream on/ And I’ll send you mine モリッシーの曲のタイトルの中でもかなり衒いのない“Some Girls Are Bigger Than Others”というタイトルが、ジョニー・マーの巧みでキラキラしたリフに泥を塗ったとしたら、モリッシーはこの曲のメランコリックでロマンティックな最後の一文で、いくらか間
イントロ およそ35年前、自分をブルースの世界に引きずり込んだのがこのロバート・ジョンソンというブルースマンである。ギター弾きの自分はそのときから彼の歌とギターを演奏しはじめ、今に至るまでずっと続けている。その、破格に思い入れのある彼の音楽を、今回は切り刻んで分析しようとしているのである。 なにをしているかと言うと、彼の歌を周波数解析しメロディーの正確な周波数を測定し、これを半音の1/100の単位で譜面化する。次に、この正確な音程に基づいて、電子ボーカルソフトであるVocaloidにそのままその歌を歌わせる。最終的な目的は、ロバート・ジョンソンの平均律12音階から外れる音程(マイクロトーンと呼ばれている)の秘密を解き明かし、その独特のフィーリングを明るみに出すことである。 実は、この分析はアカデミックな世界で仕事として行っているものである。アカデミアでは結局、論文がすべてだが、このページは
1937年にロバート・ジョンソンが発表した「Sweet Home Chicago」という歌がある。 ちょっとブルースを聴きかじったことがある人なら、たいがい演奏したことのある“最も有名なブルースナンバー”の一つだ。 エリック・クラプトン、ブルース・ブラザース、マジック・サム、フレディ・キングなどのカヴァーでも知られているこの名曲は、古今東西、数多のステージでセッションされ、様々なミュージシャン達から愛されてきた。 その曲の歌詞で繰り返される“ある部分”にまつわる謎がある。 現在では、ほとんど「Back to the same old place, Sweet Home Chicago」と歌われている部分が、ロバート・ジョンソンのオリジナルバージョンでは「Back to the land of California, To my sweet home Chicago」となっているのだ。 オリ
「カリスマ」「大物」と呼ばれる還暦オーバーのミュージシャンは数いれど、'10年代に入ってからもヒットを量産しているのはこの二人のほかにはいない。なぜいまなおファンが増え続けるのか――。 ユーミンと何が違うのか 女性でも男性でも、そして音痴でもそれなりに歌える。しかも聞き手が感情移入しやすい――。 中島みゆき(65歳)が'92年に発表した『糸』。この曲をいま、女子高生から中高年サラリーマンまでがカラオケで熱唱している。 最新のカラオケ人気ランキング(2月4~10日・第一興商調べ)で、『糸』は堂々のトップ。結婚式ソングの定番にもなっている。 年を追うごとに新しいファンを獲得し、40年間も第一線で歌い続けているのは、この中島とサザンオールスターズの桑田佳祐(62歳)だけ。 同世代には松任谷由実(64歳)や山下達郎(65歳)、長渕剛(61歳)らがいるが、近年は新作を発表するペースも遅く、また二人ほ
ワンフレーズ聴けば、すぐに曲名が浮かんでくる。情感あふれる歌詞を書き続けた松本氏は、日本の歌謡曲史を大きく塗り替えた。数々の名曲に隠された背景と秘話を、松本氏が本誌に直接語った。 表彰は縁がないと思っていた 歌謡曲やポップスといった大衆の娯楽は、流行り廃りのペースが早くて、だいたい3ヵ月くらいのスパンで生まれては消えていくシステムだと僕は思っているんです。 でも、「はっぴいえんど」というバンドのドラムから本格的に作詞家の道へ歩みはじめたときに、僕は流行する曲でありながらある程度の期間、世の中に残るようなものを作りたいと考えていました。 作詞家生活は45年を超えて、いつの間に芽が出たのかわからないけれど、僕の作詞した曲を親が子に伝え、子が孫に伝えて、「家庭内継承」というのかな、そういうことが30年以上の期間を経て起こるようになってきた。大衆の娯楽が簡単には消えなくなってきたんです。 去年の秋
aikoは常に「あたしとあなた」のことを歌う。そしてaikoを聴くとき、私は男でありながら「あたし」になっている。この話は何度か書いた。私のなかに住む背の低い女をaikoが引きずりだしてきたという話である。aikoの音楽の前では、私は平気で性別を飛び越えて、「俺はaikoだ」と断言してしまえる。「俺とはaikoの別名だったのだ」と言ってしまえる。 それはまあ、いいだろう(社会的にはよくないが)。 さて、私は男として生きている。つまりaikoの曲を「あなた」の立場で聴くことも可能だということだ。しかし、「あなた」の立場でaikoの曲を聴くことは怖い。 怖さのひとつは、いわゆる「女の計算の怖さ」なんだが、これは今回の主題ではない。それでもいちおう具体例をあげておくと、 愛しい人よ くるくると表情を変えながら あたしの手のひらの上にいてね 『恋人同士』 あなたが悲しくなった時 見計らって逢いに行
歌詞、メロディ、歌声、楽器演奏……音楽を構成している様々な要素のなかでも、日本人は「歌詞」を重要視する傾向にあると言われていた。特に1990年代の終わり頃からは、アーティストの内面から紡ぎだされるリアルな言葉への“共感”を口にする人が急激に増えた。しかし、ここ最近のヒットを振り返ってみるとメロディとの親和性や言葉の響きなど、内容よりも語感や耳なじみの良さを追求するアーティストが増えているように感じる。音楽における「歌詞」の役割は変化しているのだろうか? 2000年ごろからは浜崎あゆみ、宇多田ヒカルら作詞を自ら手掛ける女性シンガーが台頭。同世代の女性の“共感”を呼んだ。写真は宇多田『First Love』(1999年発売)ジャケット写真 写真ページを見る ■乱立していた“ブログ風”の歌詞 日本の音楽における歌詞は、近代に限らずいわゆる“流行歌”の時代から重要な役割を担ってきた。職業作家が紡ぎ
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