「それは差別だ」と批判されないように、別の言葉に言い換えるという配慮が、結果的に言葉狩りに拍車を掛けている。 一報、社会悪(と定義された対象)への批判・中傷は、表現の自由を楯にエスカレートし、これも既存の言葉に次々に別のニュアンスを与え続けて、本来の言葉の意味を殺してしまう。 どちらも同様の言葉殺しなのだが、なぜそういったことが起き、なぜそれが改善しにくいのかについて考えた。 結論から言えば、「差別表現への配慮が言葉殺しを産み、社会批判のための皮肉が中傷を肯定して言葉殺しに拍車を掛ける」。 続きを読む