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わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
しかしiPodの母機としてのiTunesのシンクができなくては仕方ないので一個だけ残った。あれはiPod専用ポートなのです。光学ドライブをつなぐなんてのはジョブズの考えからすると邪道らしい。
アイデンティティなんていらない。 - Something Orange ほぼ全面的に同意なんだけど。 アイデンティティなんて、床の間に飾ってあるトロフィーのようなもので、過去に自分が獲得したものや、手に入れたものが何であるかを確認する手段でしかない。そう僕は思っている。時折それをみては誇らしげな気持ちになったり、人に見せつけて悦に至ったりするのに用いられるくらいで、実はそれほど有用性なんてないんじゃないかと考えることもある。昔は一流のメジャーリーガーだったのに、引退したとたんに落ちぶれて、挙げ句の果てにホームレスになった人。彼は酒浸りになりながらも、昔の栄光を忘れられずにいるらしい。忘れてしまいそうな大昔に獲得したトロフィーを磨くことばかりに懸命で、現実から目を背ける人。手に入れたトロフィーを手放すまいと必死な人。アイデンティティは時に麻薬のように、現実から逃避するため格好の材料となる。
ログ読みましたが、追い詰められちゃったのでしょうか… 個人的には「あの程度の誹謗中傷で自殺すんだったら、私なんか何回死ねば良いのだろう」とか思うわけですが、まあ自分をまだはっきり確立できてないとこで「14歳ブサイクヤリマン」だの書かれたら負の衝動に駆られるのは仕方ないんでしょうか。 http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1194162235/ 本当であったら非常に残念なことですし、ご愁傷様としか申しようがないわけですけど。 ゲセンでいうなら、私も東京のゲセンの常連ではございますが、未成年の若い衆含めそれほどドロドロした関係なんてなくて、カラッとしたもんです。広島とかだとまた人間関係が濃厚だったりするんすかね。 (追記) まとめサイトを探して読んだが、あれは確かに酷いので魚拓は置かないこととする。
週末に開幕した東京モーターショーですが、客足はいいようですね。今年のモーターショーはエコリッチがテーマだそうで、エコ、環境に配慮した車がたくさんずらり。一方で、車に乗る喜びを再び喚起しようと、スポーツカーを各社ともラインアップしました。 一方、国内の新車販売台数が27ヶ月連続で前年比割れの状態になっています。 車が売れないのは、特に若者層が買わなくなったからだそうです。8月22日の日経新聞のアンケート記事では、車を持っている20代は13%(2000年調査時は23%)。車を持ちたいと思っている人も25%しかいないそうです(2000年は50%弱)。 私が社会人になった10年ほど前だと、社会人になってすぐにローンで車を買う人がたくさんいました。それを考えると保有者が13%って、ホント??という印象です。しかも、持ちたいと思っている人も4人に1人しかいないって…。 若者が車に乗らなくなっているのは
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社会 「残業代が出なければさっさと帰ればいいじゃない」という事ではない。ましてや「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」ですらない。いわゆる「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」ではないが、「残業代が出なければさっさと帰ればいいじゃない」とでもいう態度の表明は、さすがアルファブロガーの余裕である。萌え理論Blog - パンがなければケーキを食べて、残業代が出なければ帰ればいいsirouto2さんは此処で「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を無理解の象徴として出しておられるが、では「残業代が出なければさっさと帰ればいいじゃない」というのは具体的に誰が言ったのか。桝添氏の発言からsirouto2さんが汲み取っただけの事ではないだろうか。 私は自営業をやっているからボーナスも残業代も出ない。同じ仕事を半日で作ろうが一週間寝ないで頑張って作ろうが貰える金額は一緒だ。「これだ
「でもそんなの関係ない」 finalventの日記 - なんだなんだろこれ、これって話題か? finalventの日記 - どうもな finalventの日記 - ホワエグ対談? tano13 >ホワエグってどうしてみなさんそんなに熱くなる話なのかわからないな 雇用者報酬が下がりつづけているのに「残業代0円になります」って言えば、そりゃみなさん顔真っ赤にして詳細なんか見るヒマもなしに文句言うと思いますが。 finalventさんが分からない理由がわからない、というか興味があります。 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189574936#c1189583405 kurotokage 『厚生労働大臣』の発言を批判するのに、なんで『要一さん』の人生を考えないといけないのだろう。社保庁の職員を批判するのなら、個々の人生を詳しく調べてからということ?
SWDYH - 茂木健一郎さんのmp3データpodcast用フィード ここで用意されているフィードを使うと、茂木さんの講演をiTunes+iPodで簡単に聴くことができます。更新して新規のものを追加することはしないそうですが、古いものだけでも膨大な量があります。 この中から適当にいくつか聞いている中にあった話で、ネタ元と正確な内容は忘れてしまいましたが、「数学の難問を考えている時に、数学者の脳からはドーパミンが出ている」というような話がありました。数学者は数学の問題を考えている時に、おいしい食事やSEXに匹敵する、あるいはそれ以上の快感を感じているということです。 数学者という種族は、人間としての理性を失なったら、食べるのも寝るのも忘れて、ずっと数学を考え続けてそのまま死んでしまうような人たちなんです。 プロのギタリストの練習量もハンパなものではないというような話(伝説?)もよく聞きます。
あとオカシイのが、北九州の小倉はモノレールが小倉駅に乗り入れてない。 途中で歩かせることで買物させようという考えらしいが裏目。 当初の計画では、国鉄(現JR九州)小倉駅北口地区の振興を狙って、小倉駅の北側に起点駅を設ける予定であった。しかし、山陽新幹線を乗り越えることが困難であるなど現実的でなかったため、小倉駅南側に駅を設けることとなった。ところが、開業当初は地元商店街の反発に遭い、小倉駅への乗り入れができず乗り換えに不便が伴った。これは、景観問題に加えてモノレールが小倉駅に直結すると「これまで商店街を利用していた人がそのまま国鉄(JR)に乗り換えて博多方面へ向かってしまうのでは」と小倉駅周辺の商店街が危惧したためであったが[要出典]、徒歩連絡という不便さがモノレール利用客自体を減らすこととなってしまった(景観問題に関しては、小倉駅周辺のモノレールの地下化を求める声もあったがコスト・技術面
昨日の記事に、こんなブクマコメントがのこされていた。 と言われても、そう簡単にポジティブにはなれない。なれないものはなれない。だから楽にもなれない。なれないものはなれない。 それはそうだろう。 ぼく自身、いろいろなことをくぐり抜けて、最近になってようやく「ダメな人生も悪くないな」と思えるようになった。 それまでは、ひとにどんなに励まされても、慰められても、無意味なきれい事としか思えなかった。自分の人生は無価値で、無意味で、辛く、苦しく、やりきれない代物に過ぎない、そうとしか思えなかった。 だから、ぼくの言葉がひとの想いを変えられないとしても、何も意外だとは思わない。 ひとがその何十年もの人生で経験した失敗と挫折、苦しみと悲しみの思い出は、他人の言葉などよりはるかに重く、そのひとを規定しているものである。ちょっとやそっとのことでは、人間は変わらないし、変われないのだ。 ネットには、自分がいか
「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。 格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。 どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。 だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。 「格差」とは何のことなのか? メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。 平たく言えば年収のことである。 年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。 とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。 パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。 そういう説明がなされている
Sirokuroさんから、トラックバックを頂きました。 しかし自分は、未来の被害者を無防備のまま公衆の面前に放り出すつもりは更々御座いません。 小倉先生は「被害者が気にしなければ済む」がお嫌いのご様子ですが、つまり小倉先生は被害者は「無防備であってしかるべきだ」と仰るのでしょうか。 無防備でも安心して発言できる場を整えようとする心構えは大変素晴らしく思います。 しかし理想ではなく「今できること」を考えるのも大事なのではないでしょうか。 「加害行為を防止なんかしなくとも、被害者が気にしなければ済む」と言ってのけることが未来の被害者の防備につながるのでしょうか。もしそれが本当であれば、教育現場としてはとても楽です。ホームルームの時間にでも、「いじめられても、被害者が気にしなければ済みます。クラスメートからどんなに酷いことを言われても気にしない強い人間になってください」と諭すだけで、いじめ対策は
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